戸根明彦ブログ

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第7章 変化(1) 

2013-01-07 19:33:50 | 日記
ある日いつも通り会社に出勤し仕事に取り組んでいたところ、
一本の電話が本社から私の所属していた部署の
責任者のところにかかってきたのだ。

責任者が暫く電話で話した後、
私は責任者に話があるからと呼ばれ、
私はその時とっさに何かとんでもない
ミスをしでかしたのかと不安に思ったのだが、

責任者からはただ明日の朝本社の社長室に
行くようにとの指示だけを言い渡され、
理由は判らぬままだった。

あまりに突然に社長に呼び出された訳で、訳がわからなかったが、
何はともあれ行くしかないし、
とりあえず腹をくくる思いで行くこととなった。

そして翌日本社に出向き社長秘書の人に促されて社長室に入った。
社長と面と向かって1対1で話す事など想像もしていなかったし、
私などは何の権限もない一従業員に過ぎない訳だから、
このようなシュチエーションなど考えられる筈がない。

さて呼ばれた理由と社長の話なのだが、
これまた驚きの内容であり想像もし得ない話であり、
正直一瞬唖然とするものだった。

なんとアメリカの支社(その頃アメリカのカリフォルニア州に
社長の長男が代表を務めていた子会社のダイコロコーポレーションがあった。)
に出向し、航空機の操縦ライセンスを取得してくるようにとの話だったのだ。

その後約30分程だったかと思うが、
今後の会社が行おうとしている事業の事
(航空、船舶事業を含めたレジャー事業の話)を聞かされ、
既に東京支社に事業部門を開設し、
北海道には自社の飛行場も完成していることを詳しく知ることとなり、
それぞれの部門には輝かしい経歴者が
ヘッドハンティングされ責任者として席に就いている事も初めて知った。

・・・つづく

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第6章 自立(4) 

2013-01-07 00:30:12 | 日記
ただし、その後フルマラソンの出場機会はない。
それでもフルマラソンを完走できたことに気をよくしたのか
色々な体力の限界に挑む競技に目を向け
スパルタスロンという100Km走破のレースや
トライアスロン等にも興味を示していた。

ただ時間的、金銭的な壁もあり、
私が次に挑戦したのは富士登山競走という競技だった。

走行距離はフルマラソンより短い30km程度で、
制限時間にも余裕があるように見えた。

大会参加を決めて練習にも入ったが、
山登りの練習をする場所は近くには無いので
やはり平場での長距離の練習をしていた。

フルマラソンを完走していたので多少甘くも考えていて、
フルマラソンの時の練習量よりも準備は劣っていた。

そして大会参加の為に有給休暇までとり、
前日にスタート地点の富士吉田市にて前泊し大会に参加した。

早朝にスタートし一定の地点で制限時間内に
地点通過できないとその場で失格となるのだが、
スタートして10km位までは比較的勾配は緩かったが、
その先はもう走ることなどできず、
想像以上に過酷な登山競技だった。

結果的に私は7合目を通過し8合目に辿り着く前に
制限時間オーバーでリタイアとなってしまった。

大会参加の意義は感じられたが、
やはり完走できないと無達成感は否めなかった。

また挑戦したいとは思ったが、
練習方法や練習時間を確保することはその後難しかった。

その後の人生の中ではこのような体力の限界に
挑戦するような事は無くなってしまっている。

話は変わるが、この時期もう一つ叶えようとしていた事があった。
それは、入社2年目に隣国で開催された
ソウルオリンピックを観に行くという計画で、
世界一流のプレイを見たかったのと、
世界中から人が集まるという空気感を感じたいと思っての事だった。

その為に人生初の海外渡航の為に
パスポートを取る準備もしていたのだが、
この時期に私にとんでもない話が舞い込んできて、
結局ソウルオリンピック観戦旅行は
断念せざるを得なかった。

・・・つづく

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