戸根明彦ブログ

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第8章 挑戦(4) 

2013-01-15 20:52:24 | 日記
そんな状況でたまたま近くを飛行していた航空機に
現在地に近いであろう飛行場の管制塔とやりとりをしてもらい、

私の位置から目的地までのルートを指示してもらいながら、
指示に従い高度を下げた時には、
既にコンプトン空港は目の前に来ていて
慌ててランディングへの操作を行い
無事戻って来れたという事があった。

着陸後にアフターチェックをした時にもハッとさせられたのは、
燃料が危うく尽きる状態でもあって、
この時も何かのタイミングがずれていたら、
無事には戻っていたかっただろうと思ったものだった。

予定していた時刻もだいぶ過ぎていたが、
教官や空港のスタッフは待っていてくれて、
よく無事に帰ってきたねと言われたのを覚えている。

本人は必死な状態だったのだが、
そんな事は何でもないかのような感じで、
さすがに多少の事では動じないお国柄だし、
職業柄なのかと思い知った。

出発の時は本人は勿論、
教官たちも知らなかったようだが、
この日目的地であったパームスプリングスでは
エアーショーをやっていて
通常の2~3倍の航空機の離発着があったらしい。

そんな経験を積みながらやっとの思いで
規定の飛行時間とカリキュラムをこなし、
筆記試験も答え丸覚えの状態でやっと合格を果たし、

実地試験は私なりには過去最高位のパフォーマンスで
合格に漕ぎ着けた時には、
渡米して既に8~9ヶ月が過ぎていた頃だったかと思う。

それでも私はやっと日本に帰れる
条件をクリアしたという思いで最高の気分だったはずだ。

ところが、現地の社長や日本の航空部門の責任者に報告したところ、
現地では私の業務の引き継ぎのスタッフが決まっていないという理由で、
日本からはもう少し他の機種の操縦訓練や、

双発機(エンジンが両翼にある機)の
航空機のライセンスも取っておくようにとの指示があり、
結局のところ日本に帰ることが出来ず、
その後数ヶ月間を踏ん張ることとなった。

・・・つづく

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