戸根明彦ブログ

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第9章 思想(2) 

2013-01-20 20:01:49 | 日記
とにかく東京での新しい生活が始まり、
通勤だけでも疲れを感じる毎日だったのだが、
会社での業務はなんというかはっきり言って暇なものだった。

毎日やっている事と言えば、航空、船舶関係の
専門誌や資料を眺めていたり、
たまに輸入販売の為の海外の取引先とのやりとりをしている位で、

どう考えてもここで利益を上げているとは思えないばかりか、
後々分かってきたのだが、相当な赤字部門であり、
他部署や本来の印刷事業部門から見れば、
煙たいお荷物部門であったようだ。

それでも私に出来る事、考えられる事と思って、
時に何も分からぬままに近郊の港や
ヨットハーバーに出向いていって、
営業の真似事のような事をやったこともあった。

当然素人のやることなので、
誰もまともに相手にはしてもらえなかった訳だが、
そんな業務の中でもまともだったのが、

海外の航空機メーカーより販売代理権を得ていた
航空機を国内に輸入販売する為の日本版の
フライトマニュアルの作成における
各省庁との調整の仕事だったのだが、

英文のマニュアルを日本版に翻訳していく訳なのだが、
ただの英文ではなく専門的なものなので、
これには正直手を焼いていた。

私が配属されたエアクラフト・マリン本部には
私を含めて5人のスタッフが常駐していたのだが、
その長は元伊藤忠アビエーションという
超大手の代表を引退した人であり、

航空部門の運営は元自衛隊のブルーインパルスの
隊長を辞職した人だったりと、
とんでもなくレベルの違いすぎるエリートで、

その下に私と同学年の同僚、
そして事務で雇われていた女性の5人という組織で、
どう見てもアンバランスな
人員と業務内容という状態だった。

・・・つづき

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第9章 思想(1) 

2013-01-20 00:33:12 | 日記
そんな私は私の考えている様な事を、
他の人はどのように思っているのかとも思い、
その後色んな行動に出る事になっていく。

何とか目的である航空機の操縦ライセンスも取得し、
日本に戻ってきた私は、たった一年居なかっただけなのに
行く前とは違う世界を感じていた。

帰国後大阪の本社に報告に出向き種々の手続きを終えた後は、
東京本社エアクラフト・マリン本部なる部署への転属を命じられ、
数日後には東京に向かった。

アメリカの1年は私に特別な刺激を与え、
数々のものを得る事ができたが、失うものも少なくなかった。

慣れ親しんだ大阪の街や人との別れ、
趣味・趣向も置いていかなければならなかった。

東京での私は新しい自分を創る事を自然に強いられる事になった。
東京での住まいは荒川区西尾久に完成していた会社の社宅であり、
勤務地は墨田区両国の、あの両国国技館(大相撲が行われる)
のすぐ隣に社屋があった。

通勤はJRの京浜東北線と総武線を乗り継いで
約40分位だったかと思うが、
何しろ朝の通勤ラッシュというものを初めて体験したのだが、
とにかく尋常ではないすし詰め状態の毎日だった。

変な話だが私は秘かにこの通勤ラッシュ解消の為に、
線路をエスカレーターの様に常時動くものとして、
ノンストップで人を運べる様にすれば、
こんなラッシュは無くなるんじゃないかと考えたりした事もあった。

・・・つづく

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