最初は友好的で親近感より距離を縮めていって、
そのうち深く関わるようになっていった。
但しその当時の創価学会はお寺側と言っていた宗門の
信仰への荒廃が明白となっていて関係を絶っていた事から、
入会は出来ない状況であった事が、
かえって私としては安心して学ぶ事が出来ていて幸いしていた。
そのような状況なのでよく聞く強引な勧誘のようなものもなく、
素直に受け入れられ、どちらかというと私の方から
積極的に距離を縮め、教えを吸収しようとしていた。
それから2年後に入会が可能となると、
自然に抵抗なく入会したのであるが、
その時以来今もって私は、創価学会員であると認識している。
ただ活動については今の私は以前のように活発ではなくなっている。
それでも私は一部世間から言われているような
異質で盲目な宗教団体ではなく、
純粋にかつ現実的に社会に貢献し、
一般社会や実生活に根付いた宗教であり、
活動であると身をもって体感している。
信仰の自由は憲法でも保障されているが、
誰が何を信仰しようが自由だ。
但しそれは自分の為である以上に、
他社や社会平和の為であるべきだと思う。
さて東京での2年間は生活も環境も、
仕事も人間関係も遊びも、
考え方さえも全てが新鮮で刺激的であり、
2年という短い時間であったが充実し、
もっと長く感じられ、様々な経験と成長を
もたらしてくれたと思っている。
ここで得られた経験は私に大きな礎となる信念と、
様々な人や仕事や環境に対する
柔軟性を会得させてくれたと思っている。
・・・つづく
自分史制作は、ZIDEN.produce.
www.ziden-produce.jp
そのうち深く関わるようになっていった。
但しその当時の創価学会はお寺側と言っていた宗門の
信仰への荒廃が明白となっていて関係を絶っていた事から、
入会は出来ない状況であった事が、
かえって私としては安心して学ぶ事が出来ていて幸いしていた。
そのような状況なのでよく聞く強引な勧誘のようなものもなく、
素直に受け入れられ、どちらかというと私の方から
積極的に距離を縮め、教えを吸収しようとしていた。
それから2年後に入会が可能となると、
自然に抵抗なく入会したのであるが、
その時以来今もって私は、創価学会員であると認識している。
ただ活動については今の私は以前のように活発ではなくなっている。
それでも私は一部世間から言われているような
異質で盲目な宗教団体ではなく、
純粋にかつ現実的に社会に貢献し、
一般社会や実生活に根付いた宗教であり、
活動であると身をもって体感している。
信仰の自由は憲法でも保障されているが、
誰が何を信仰しようが自由だ。
但しそれは自分の為である以上に、
他社や社会平和の為であるべきだと思う。
さて東京での2年間は生活も環境も、
仕事も人間関係も遊びも、
考え方さえも全てが新鮮で刺激的であり、
2年という短い時間であったが充実し、
もっと長く感じられ、様々な経験と成長を
もたらしてくれたと思っている。
ここで得られた経験は私に大きな礎となる信念と、
様々な人や仕事や環境に対する
柔軟性を会得させてくれたと思っている。
・・・つづく
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