私はそれらの意見要望を現実的で可能性のあるものを
選りすぐって取りまとめ管理部署でもあった
本社総務部長(次期社長)宛に要望書として提出を試みたのだった。
数日後、総務部長より呼び出しがかかた。
幾つかの要望は叶えられるであろうと思っていた私は
総務部長の話に愕然とする思いだったのだが、
その答えは「君たちが何を言ったところで社長は
聞く耳を持ってくれないだろう。
何故なら社長は若い人の自由を制限する事で
将来の安定を提供している事にポリシーを持っているし、
これとは別に会社や、仕事上においても社長の考えに
沿わないものは全て聞き入れられないのだから。」
との話だったかと記憶する。
その時の私はまじまじと絶望感を感じていたかと思う。
ただこのような活動を実行したからこそそんな話が聞けたわけで、
その後の判断や決断を促される要因となったのは間違いない。
その時の私はまだ若かったし、感情的な理解判断だったのかも知れないが、
これ以上ここにいても自らのエネルギーの
発散できる環境ではなさそうだと感じていた。
話は変わるがこの頃もう一つ忘れられない想い出がある。
それは、先にもお話したように私は積極的に
様々な事に挑戦し行動を起こしていたのだが、
いつものように創価学会のある会合で、
私は体験談として入会までの事を40~50人の前で
お話する機会があり、その時に参加していたある女性から、
突然告白されるということがあった。
・・・つづく
自分史制作は、ZIDEN.produce.
www.ziden-produce.jp
選りすぐって取りまとめ管理部署でもあった
本社総務部長(次期社長)宛に要望書として提出を試みたのだった。
数日後、総務部長より呼び出しがかかた。
幾つかの要望は叶えられるであろうと思っていた私は
総務部長の話に愕然とする思いだったのだが、
その答えは「君たちが何を言ったところで社長は
聞く耳を持ってくれないだろう。
何故なら社長は若い人の自由を制限する事で
将来の安定を提供している事にポリシーを持っているし、
これとは別に会社や、仕事上においても社長の考えに
沿わないものは全て聞き入れられないのだから。」
との話だったかと記憶する。
その時の私はまじまじと絶望感を感じていたかと思う。
ただこのような活動を実行したからこそそんな話が聞けたわけで、
その後の判断や決断を促される要因となったのは間違いない。
その時の私はまだ若かったし、感情的な理解判断だったのかも知れないが、
これ以上ここにいても自らのエネルギーの
発散できる環境ではなさそうだと感じていた。
話は変わるがこの頃もう一つ忘れられない想い出がある。
それは、先にもお話したように私は積極的に
様々な事に挑戦し行動を起こしていたのだが、
いつものように創価学会のある会合で、
私は体験談として入会までの事を40~50人の前で
お話する機会があり、その時に参加していたある女性から、
突然告白されるということがあった。
・・・つづく
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