戸根明彦ブログ

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第8章 挑戦(1) 

2013-01-12 20:07:32 | 日記
LAに到着したら現地のスタッフが迎えに来て下さり、
早速職場のあったトーレンスという街に運んで頂いた。

事務所は比較的長閑な地域で、
アジア系の人間が他の地域より多く住むエリアだったようだ。

建物は平屋建てで、この街には高くそびえるビルは
殆どなくて平地に有り、西海岸も
車で数分というところに立地していた。

オフィスの入ると社長をはじめ日本人スタッフが4人と
日本語を話せる日系アメリカ人が2人、
英語オンリーの現地スタッフが2人の7人だった。

その後私のいた1年の間にアメリカ人が2人と
日本から出向してきたスタッフが2人
入れ替わりで出入りがあった。

とにかく私にとっては頑張って早く任務を果たし、
日本に帰りたいとの思いがあったので、
この日より寸暇を厭わず頑張ろうという決意だったのだが、

スタートラインに着いたはいいが、
翌日より私がやることになったのは、
航空機の操縦ライセンスを取る為の行為ではなく、
現地法人の事業運営を手伝うスタッフとしての役目だった。

しかもそれさえも経験した事のない業務で、
その会社では格好よく言えばビジネスカード
(いわゆる写真入り名刺)の制作をやっていて、

私が任されたのは顧客の顔写真のプリントをしたり、
製版や時にはスキャニングや印刷の手伝いもやっていた。

それもLA到着当初に日本から出張で来ていた
部長の肩書きの人から業務の一部分を数日間教わっただけで、
その人が帰国した後は手探りに近い状態で業務をこなしていた。

それでも私に任されたところを私がやらなければ、
その後の工程が詰まってしまうという事だから、
黙ってやるしかなかった。

そんな状況が1~2ヶ月続くとさすがの私もイライラが募り、
とうとう社長に向かって、いつになったら飛行訓練は
できるのかと詰め寄ったのだが、

それでやっと本腰を入れて動いてくれはじめて、
現地の飛行学校への手配、段取りが整い、
アメリカ入国後3ヶ月位でやっと飛行学校に入校できた。

しかし事務所での仕事をしなくていい訳ではなく、
両方を効率よくこなす事を余儀なくされた。

・・・つづく

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