戸根明彦ブログ

ZIDEN.Produce.(自伝・自分史の制作)の運営をしています。HP:www.ziden-produce.jp

第10章 出会い(4) 

2013-01-27 19:28:49 | 日記
最初は友好的で親近感より距離を縮めていって、
そのうち深く関わるようになっていった。

但しその当時の創価学会はお寺側と言っていた宗門の
信仰への荒廃が明白となっていて関係を絶っていた事から、
入会は出来ない状況であった事が、
かえって私としては安心して学ぶ事が出来ていて幸いしていた。

そのような状況なのでよく聞く強引な勧誘のようなものもなく、
素直に受け入れられ、どちらかというと私の方から
積極的に距離を縮め、教えを吸収しようとしていた。

それから2年後に入会が可能となると、
自然に抵抗なく入会したのであるが、
その時以来今もって私は、創価学会員であると認識している。
ただ活動については今の私は以前のように活発ではなくなっている。

それでも私は一部世間から言われているような
異質で盲目な宗教団体ではなく、
純粋にかつ現実的に社会に貢献し、

一般社会や実生活に根付いた宗教であり、
活動であると身をもって体感している。

信仰の自由は憲法でも保障されているが、
誰が何を信仰しようが自由だ。

但しそれは自分の為である以上に、
他社や社会平和の為であるべきだと思う。

さて東京での2年間は生活も環境も、
仕事も人間関係も遊びも、
考え方さえも全てが新鮮で刺激的であり、

2年という短い時間であったが充実し、
もっと長く感じられ、様々な経験と成長を
もたらしてくれたと思っている。

ここで得られた経験は私に大きな礎となる信念と、
様々な人や仕事や環境に対する
柔軟性を会得させてくれたと思っている。

・・・つづく

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第10章 出会い(3) 

2013-01-26 20:29:38 | 日記
その後は勤務地も近かったので連絡先を交換し、
また会う約束もしていたかと思う。

そうこうして何度か会った頃、
一本の電話が私宛で社宅にかかってきた。

電話をかけて来た相手に聞き覚えがなかったのだが、
聞くと何と彼女の職場の先輩からの電話で、
彼女はこの先輩に私のことを相談していたらしく、

その先輩は彼女が私との関係をどう付き合えばよいか
わからないと言っているという内容で、
きちんと付き合う気があるのかと問い詰めてきたのだった。

その時の私は恋愛に対して慎重になっていた為、
彼女に対しても積極的には考えていなかったのだが、
彼女の気持ちが前向きなのであれば
私としては何ら断る理由もなかった。

こうして彼女の先輩に促されるように、
その後の人生を大きく変えていく事となる出来事が始まっていった。

その後の東京でのプライベートの時間は
有意義で楽しいものとなった。

まずは何といっても彼女が出来てお互いを尊重していたので、
毎日のように連絡を取り合い毎週のように会ってデートを重ねていた。

時には普段の日であっても仕事帰りに会って食事をし、
近くのラブホテルで一夜を明かしそのまま出勤という事もしばしばだった。

また精神面においても私に大きな変化をもたらす事にもなったのだが、
お付き合いを始めた彼女が創価学会員であり、
真面目に活動していた人だったので、
仏教についての話や活動、時には会合などへの参加も度々するようになり、

当時の私は様々な事について何が正しくて、
どう考え生きるべきかを求めていた事もあって、
創価学会の活動や考え方、仏教の教えは
私の疑問や悩みを解決してくれるところが多く、
納得し得るものであった。

・・・つづく

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第10章 出会い(2) 

2013-01-25 20:11:01 | 日記
私は今までもこれからもそうだと思うが、
思ったことはやる人間のようだ。
たまに後悔もあるが、そのことも含めて経験とする考えのようだ。

そして数日後連絡が来た。
事の次第を少し話した後会う約束をしてくれた。

最初は自己紹介程度の短い時間であったが、
ここで私が安全な人間であることを認識してもらい、
あらためて次の約束をとりつけた。

お互いのことを少し分かった事もあって2度目に会う時には、
どうせならデートのような形でと考えて、

当時はまだ後楽園と言っていた
今の東京ドームで行われた実業団サッカー
(Jリーグになる2年~3年前)の東西対抗の
オールスター戦のような試合の観戦に誘い、

その後近くの喫茶店に入り、
当初の目的でもあった仕事についての考えや、
私が経験してきた事や考え方が
変わってきたこと等を話してみたのだった。

話の内容は決しておもしろおかしいものではなく、
どちらかというと硬めな話で、
普通なら飽きられそうなものなのだが、

彼女はそんな私を不思議な人だと感じながらも、
同年代の人間があまり考えないような事を話すものだから、
逆に興味を持たせてしまったようだった。

正直この時の私は彼女に対して
特別な感情があった訳ではなく、
友人になれればいいなと思っていた位だったかと思う。

・・・つづく

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第10章 出会い(1) 

2013-01-24 20:37:53 | 日記
私は手術当日の術後の夜に、
麻酔が切れてそれまで経験した事もない痛みに我慢できず、
とうとう夜中に当直の看護婦さんを呼んで
痛み止めを打ってもらった。

その時何となく見えた名前を覚えていて、
何と私は退院の日に何の前置きもなく、
その看護婦さん宛にメモ程度の手紙を
ベットの脇に置いて病院を去ろうとしていたのだったのだが、

これが運命というものなのだろうか
出口の付近までいったところで、
当の本人に出会い手紙を置いてきた事を告げる事ができた。

手紙の内容はよく覚えていないが、
決してその看護婦さんに気があってとかという事でもなく感謝の言葉と、
よければ外で一度お話を聞けると有難い等という内容だったかと思う。

今思うと一歩間違えるとちょっとおかしい人と思われるのだろうが、
帰り際に会えてその事を告げられた分、
多少はそのあたりの怪しさも和らげられたような気がする。

後で聞いたがその看護婦さんは慌てて私のいた
ベットに手紙を探しに行ったそうだ。

その当時はまだ携帯電話も無かったので、
よろしければと書いた連絡先は社宅にあった代表電話だった筈だ。

連絡が来るか来ないかはその看護婦さん次第で、
私はなんと思い切った事をしたものかと思う。

・・・つづく

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第9章 思想(5) 

2013-01-23 20:54:30 | 日記
診断結果について上司に報告したところ、
まずもって忙しい部署でもないので、
すぐ手配して手術するようにとの指示を受け、

私は勤務先近くにあった総合病院で、
同愛記念病院というところに行き再度診察を受け、
手術の段取りという事になった。

手術自体は難しいものでもない様だったが、
それでも経過入院も含めて2~3週間の手術入院という事になった。

人生初の手術と入院はとにかく暇を持て余す事になろうかと思い、
何冊かの本を持ち込んではいたが、それでも時間を持て余し、
手術後は一人で何かを考えるようになっていった。

先にも話したように私は、米国での経験と
日本に戻ってからの日本の状況を見るにつけ、
ただでさえ心落ち着かない部分があったのに、

さらには時間まで十二分に与えられては、
考える事が具体的な事にまで及ぶようになり、
そんな中で考えていた事の中の一つに、
なぜ人は仕事をするのか等と考えを巡らせていて、

当然ながら食うため生活の為なのだが、
その職種が多岐にわたる理由や
そうなっていった経緯等にも興味関心をもって
色んなことを思っていたものだった。

恐らくはこうであろうと自分の中での
結論を見出しながら日々過ごしていたが、
そんな時ふと目の前で仕事をしている看護婦さんの仕事を考えたとき、

女性にしか出来ない、女性に適した仕事であろう看護婦さんの仕事を選び、
従事している本人達は仕事についてどう思っているのかと、
無性に尋ねてみたいという衝動にかられてしまった。

・・・つづく

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