奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

本薬師寺跡とホテイアオイ・・(^-^)

2018-08-30 16:57:42 | 奈良まほろばソムリエ

こんにちは・・(^-^)

近鉄畝傍御陵前駅から10分も歩くと到着します。

旧い街道らしき道を歩いていて民家を抜けると、ホテイアオイの薄紫色の花畑が見えてきます。 

9月初めに満開になります。

想像してたよりずっと広範囲で見事な眺めでした。

美しい薄紫色の花が一面に広がり、前回行ったときは、見頃となった赤色の彼岸花との共演も楽しめました。

とても綺麗で行く価値はあります。

車で来られる方は近隣に大きな駐車場がなかったので、数台が止めれそうな小さな駐車場は寺跡の西側にありました。

看板や説明がなかったらここが何の跡地なのか・・・

西ノ京にある薬師寺の豪華絢爛さと比べて、礎石のみの本薬師寺跡は寂しいばかりです

しかし、よく見ると塔の跡もありここがかつては巨大な寺院であったことがしのばれます。 

ここは天武天皇が皇后、持統天皇の病気平癒を祈願して建立した寺院で、持統天皇そのものがその意思を引き継いで完成させたといわれる建物跡地です。

夫の深い愛情や夫婦愛、絆の強さなどが感得出来るが、たった二人のためにこれだけ巨大で、これだけ豪華、贅沢で、これだけ立派なものを作る必要性があるのか否か、極めて疑問です。

その費用と労力を万民の生活向上のために使えばいいのに、と思った場所でした。

平城遷都に伴い薬師寺が西ノ京に移ったため,本薬師寺と呼ばれた。

現在は,金堂と東塔・西塔の礎石だけが残っているだけですが,むしろ近くの小学生が植樹したホテイアオイが見どころ。

西に畝傍山、北に耳成山を見つつ、在りし日のお寺の姿を想像すると、古代の人の情景が浮かびます。

想像力を搔き立てるヒントとして、本薬師寺跡からもう少し東に歩いたところにある藤原京跡も訪れることをお勧めします。

それを取り巻く大和三山。

かつてここが日本の中心であったことが伝わってきます。

今はまだ彼岸花は見れませんが綺麗なところなので見にいってくださいね・・(^-^)

明日もいい日でありますように・・(^-^)

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法隆寺の金堂壁画を知っていますか?・・(^-^)

2018-08-30 12:33:06 | 奈良まほろばソムリエ

こんにちは・・(^-^)

聖徳太子が作ったとされる法隆寺には、仏像仏像厨子、工芸品を多数収蔵した法隆寺は、仏教美術の宝庫でもあります。

浄土を表す壁画が金堂内部を囲んでいました。

その1つとして、かつては多くの来観者の目を楽しませていたのが、金堂の壁画です。

インド・アジャンターの壁画、中国敦煌莫高窟の壁画などと並んで、金堂壁画はアジアの古代仏教絵画を代表する作品の1つとも言われました。

金堂の壁画は、普通、外陣(堂の外側の一郭)の土壁に描かれていた12面の絵を指しますが、金堂にはそれ以外にも内陣(堂の最も奥まったところ)の小壁に20面の飛天図が、外陣の小壁に18面の山中羅漢図がありました。

これらは、20面の飛天図を除いて、いまはもう見ることができません。

その理由は火災です。

火が出たのは1949年(昭和24年)1月26日です。

これを受けて昭和25年に文化財保護法が制定されました・・(^-^)

火元は壁画の模写作業をしていた画家の電気座布団とされていますが、模写に使っていた電熱器が火元という説もあり、真相は不明です。

いずれにしても、この火災のために外陣土壁の12面の絵は黒焦げになり、収蔵庫に保管されています。

また、18面の山中羅漢図も、火災の後始末の一環として粉々に砕かれてしまいました。

こうして、金堂壁画は人々の前から消えていき、金堂の修復後、外陣土壁は現代の画家たちが模写した絵で覆われることになりました。

ところで、金堂壁画にはもうひとつの謎が今もついてまわります。

それは、壁画を描いたのは誰かという謎です。

この問題は長く議論され、平安時代の文献『七大寺日記』の記述をもとに、飛鳥時代に活躍した仏師によるものというのが定説となってきました。

しかし、壁画が描かれたのは7世紀後半という説が有力で、飛鳥時代の仏師が描くのは不可能です。

壁画の絵師は、いまも謎につつまれたままです。

私も一部を見ましたが、全面の壁画を見ていません?

一度ゆっくり見たいですね・・(^-^)

今日も良い日でありますように・・(^-^)

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おほてらの まろきはしらの・・を書いた歌人は?・・(^-^)

2018-08-30 10:39:33 | 奈良まほろばソムリエ

 

おはようございます・・(^-^)

散歩で出会った花です‼

今朝の奈良は快晴で良いお天気です・・(^-^)

なのに今朝は、9時半過ぎまで寝ることに・・(^-^)

昨日にビールを二缶飲むと?

なぜか夜中にトイレに7回も行って、寝不足に・・(^-^)

二度寝ならず、6度寝かなあ?

さらにこむら返りで足も痛いです・・

起きてすぐにゴミ置き場を見るともう収集した後でした・・(+_+)

新聞を取って、居間に帰ってドアを開くとマリア猫が踏み石の上で待っていて、部屋の中に・・(^-^)

そして、餌を食べて、部屋でくつろいでいたがまた雲隠れです・・(^-^)

今日もならまほろばソムリエにチャレンジを・・(^-^)

第一問は、奈良の地に平仮名だけで書かれた歌がある人です。

皆さんも一度は行ったことがある唐招提寺の金堂の前の左側に・・

おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもえ

そう読まれた歌がありますが、その歌人の名前を号で、秋艸道人と書かれているかもしれませんが?

そこまでは確認していませんね?

ここには、開山堂の下に松尾芭蕉の句碑もあるんですね。

第二問は、弥生時代前期から後期まで継続する国内屈指の弥生時代集落跡です。

復元されているのは、楼閣絵画が復元されています。

田原本町にある池のそばの遺跡です。

では、挑戦を・・(^-^)

(1)『南京新唱』、『鹿鳴集』などに奈良の歌を数多く残した歌人は誰か。

ア.折口信夫          イ.会津八一          ウ.堀辰雄            エ.吉野秀雄

(2) 出土した土器片の絵画に基づいて古代の楼閣が復原されている、弥生時代の遺跡はどれか。    

ア.布留遺跡        イ.唐古・鍵遺跡      ウ.宮滝遺跡         エ.飛鳥池遺跡

なんですね・・(^-^)

あなたが最近一番冒険したな!って思ったのは?

70歳を超えた私が、冒険をすることはありませんね?

ゆっくり余生を送ることを大事にする私は冒険をしませんね?

なぜかここ数日眩暈が続いて、活動ができません。

熱中症の影響かなあ?

足の痛みもあるので、家でゆっくりし、4日に出す入江泰吉記念奈良市写真美術館の写真の整理をしますね。

今日も良い日でありますように・・(^-^)

今日の回答1イ2イ

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