こんにちは・・(^_-)-☆
散歩道で出会った花です・・(^-^)
今日は、古代よもやま話の二話・「仏教伝来を再考する」を考えてみたいと思います・・(^_-)-☆
私は、日本書紀に記された欽明天皇13年の10月に百済の国王聖明王から金銅製の仏像と経典類が伝えられたと信じていますが?
ただ元興寺の538年説もあるがこれは年数が合わないので、あまり信じていません。
その当時の王宮の金刺宮にいた天皇に届けられ、初瀬川沿いに「仏教伝来」の碑があり、そう信じていました?
これがいわゆる仏教公伝ですが、近年これを疑問視して、飛鳥寺の造営完了をもって、日本の仏教需要の始まりとするのが一般的になっているんですね??。
これは、仏教がどのように伝わり、どのように需要されていったが明らかになっていない証拠なんですね。
松田氏は、伝承の背景に注目して、蘇我氏とその配下にいた渡来人たち(特に池辺直?)に注目しているんですね。
欽明天皇の仏教宝物は、蘇我稲目に預けられ向原の寺に安置したんですね。
さらに、敏達天皇も、蘇我馬子に預けるんですね。
そして、蘇我馬子によって本格的な寺院ができたのが、飛鳥寺(法興寺)なんですね。
伝承の中では、蘇我氏との関係が深かった池辺氏が仏教を擁護する活動を進めたんですね。
欽明14年5月に茅渟海に浮かんでいた放光するクスノキを引き上げて日本で最初の仏像を造ったんですね。
その意味では、奈良県よりも大阪湾などの海沿いの地域、そして、西日本や九州島などに初期の仏教儀礼が6世紀の段階で伝わっていてもおかしくないんですね。
注目されるのは、和歌山県の古墳から、被葬者に「レンコン(蓮華の根の部分)」もしくは「蓮の花托」を捧げた女性人物が埴輪で表現されているんですね。
また、平安時代の「日本霊異記」でも、放光するクスノキで、仏像を造ったと記されているんですね。
いわば、民間伝承の部類に過ぎないといわれてしまえばそうですが、松田氏は、政府の公認した唯一の仏教伝来譚よりもこういった蘇我氏に由来する仏教導入に関しての説話の方が史実に近いのでは思ったりしていますと・・
この続きは、今月の29日に大淀町地域遺産シンポジウム「放光仏誕生」(入場無料)で議論される予定ですので、ぜひお越しくださいと・・(^_-)-☆
松田氏は何を持って、仏教伝来を語るんでしょうね・・(^_-)-☆
今月最後の日曜日に行われるシンポジウムに出れる人は行って聞いてくださいね・・(^_-)-☆
私もその結論を聞きたいので、一応行く予定にはしています・・(^_-)-☆
今日も良い日であります様に・・(^_-)-☆