こんにちは・・(^_-)-☆
散歩道で出会った花です・・(^-^)
一時からの健康麻雀に行こうとすると眩暈が?
暑さの性による眩暈か疲れによる眩暈かわからず行くのをやめることにして、少し横になろうと思います・・(^_-)-☆
先日の古代のよもやま話の最後の「春日奥山に眠る古代」を書いていなかったので書きますね。
春日の原始林は、国指定の天然記念物で、さらに世界遺産ということで、だれでも自由に出入りできないんですね。
ここに出入りできるのは、奈良県庁の人と春日大社の人だけなんですね。
そんな中を奈良県の許可をもらって入った松田氏が見たものは・・(^_-)-☆
龍王池があり、ここから北西に流れる佐保川と、南西へ流れる能登川の源流になっているんですね。
水の神の龍神もまつられているようですね。
この祭場は、今は無き香山堂の整備以前からあったようですね。
誰も入らないので、香山の南斜面全体には、伽藍が広がっていた様子が分かったんですね。
平坦面には、土壇跡もあったようですね。
この香山堂は、聖武天皇やその皇后の光明子にとっては、重要な意味を持つ場所だったんですね。
その寺の創建は、資料上の所見では、天平20年で、それ以前に光明工合によって創建された奈良県最大の山岳寺院だったんですね。
それがなぜ春日の奥山に作られたことに興味をそそられたようですね。
光明皇后ゆかりの新薬師寺は、別名、「香山薬師寺」、「香薬寺」と呼ばれたんですね。
まさに春日奥山の「香山」にあった薬師堂と深いつながりを持って創建されたことがわかりますね。
天平勝宝8年時点での東大寺周辺の景観とその寺域を示す東大寺山堺四至図が残されているんですね。
この絵図の中心には、東大寺。
そして、下方には、「神地」「新薬師寺堂」右方に「香山堂」があります。
この図には当時存在するものが多く省かれています。
そんな中で、東大寺からは見ることができない香山堂が書き込まれていることの意味が大きいといえますよね。
この堂を建立した光明皇后の思いを強く感じられますよね・・(^_-)-☆
そんな香山堂の歴史を明らかにするのも重要と思いますねと松田氏は・・
私も、そんな山奥に作った堂の思いを新薬師寺に伝えたかったものを知りたいですね・・(^_-)-☆
今は、春日大社の神職は自由に出入りできますが、その当時にはまだ春日大社はなかったんですね・・(^_-)-☆
歴史は1300年もすると変わるもんですね・・(^_-)-☆
今日も良い日であります様に・・(^_-)-☆