こんにちは・・(^_-)-☆
禅の言葉・禅語(ぜんご)に、・ 泥(どろ)多ければ 仏(ほとけ)大なり。というものが有ります。
塑像(そぞう:粘土で作る仏像)の場合、材料となる粘土が多いほど、大きな仏像を作ることが可能です。
大きな仏へと成る道を、歩いているだけだ。
こういう意味もあるわけです。
問題は、苦労の中身だと思います。
働かずに遊んでばかりな人、ムダな浪費ばかりしている人、その結果、貧乏な苦労が多い。
もし、このような苦労では、いつまで経っても決して仏には成れません。
苦労には、正しい苦労と、ダメな苦労が、この世には有るということです。
真面目に働いていても、注意していても、次々と災難に遭う苦労をする人はおられます。
まさに観音様に成られる道を、歩かれている御方だと言えます。
これは、霊的には素晴らしいことであり、輪廻(りんね:生まれ変わり)の視点からも、・ 泥=天からの祝福だった。と言えます。
後から受ける恩恵が大きいのです。
だから、もし自分が真面目に生きているのに、災難が多ければ、それをムダな苦労だと思わないで欲しいのです。
ムダだと思ってしまえば、まだ自分は熟していないために、せっかくの苦労(チャンス)を流してしまっています。
実は、その流しているチャンスは、金運だったりもするのです。(ホントダヨ)
災い転じて福となす。
これは実際に有ることなのです。
大きな苦労ほど、もし正しく受け切れば、それは大きな福徳となって、自分自身に帰って来るものです。
だから恐れずに、怖がらずに、コノ世を歩いて行きましょう。
雨降らば降れ。風吹かば吹け。」 (by 一休)
自分の良心に沿って生きていれば、どんな災難も、良いことも、自分をより大きな仏様にしてくれます。
恐れずに生きて行きましょう。
(カカッテ キナサイ。 ナンチャッテ)
生かして頂いて 有り難う御座います