奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

高取町佐田にあり、草壁皇子の墓と推測される終末期古墳名は?・・(^_-)-☆

2024-12-23 18:37:07 | 奈良まほろばソムリエ
こんばんは‥(^_-)-☆



今日の奈良は、8℃と寒い日になりましたね。
最高気温も昨日と同じ9度と寒い日になりましたね。

引き続く寒さの性か血圧が上がり下痢がまだ続き体調不良が続いています。

少ししんどいが散歩に励みますね。

しんどいが、少しづつ散歩を増やそうと思いますが増えませんね?・・

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の11回目の問題です。

3 奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について最も適当なものを選びなさい。

(25)明日香村稲淵にあり、明神塚と呼ばれていた墳墓は誰の墓とされているか。 

ア.高向玄理   イ.僧旻   ウ.南淵請安   エ.犬上御田鍬 

(26)阿部丘陵にあり、竜山石製の大きな家形石棺が石室の内部に残る古墳はどれか。 

ア.文殊院東古墳 イ.艸墓古墳   ウ.秋殿南古墳   エ.谷首古墳 

(27)高取町佐田にあり、草壁皇子の墓と推測される終末期古墳はどれか。 

ア.束明神古墳   イ.カヅマヤマ古墳   ウ.越塚御門古墳   エ.マルコ山古墳

(25)○○○○は、渡来系氏族の学問僧。608年、遣隋使・小野妹子に従い、8人の学問僧の1人として派遣された。

帰国後、「周孔の学」(儒教)を教えていた請安のもとに、法興寺の槻の木の下で近づいた中大兄皇子と中臣鎌足が、ともに書物を持って通ったと記されている。

二人はその道中、蘇我氏打倒の計画をひそかに練り、その考えはことごとく一致したとある。

645年の「乙巳の変」の後、○○とともに隋・唐へ留学していた高向玄理(や僧・旻)は新政権にて国博士(政治顧問としての官名)となる。

ヒントは方角の字が混ざる人です。

(26)桜井市谷の住宅街の中に残された古墳で、安倍文殊院の直ぐ近くにあります。

この古墳を語るときに必ず出てくる話題が、石棺と石室の関係で、石棺を石室にどう入れたのかですが・・・

それはさておき、石棺は一見盗掘されていないように見えますが、奥側の小口部に大きな盗掘穴が空いています。

しかし、それを差し引いても決して期待を裏切らない国史跡の古墳です。

(27)奈良盆地南縁、真弓丘陵南東部の尾根南斜面に築造された古墳である。

築造時期は古墳時代終末期の7世紀末頃と推定される。

被葬者は明らかでないが、草壁皇子の真陵とする説が知られる。

当該時期の終末期古墳としては、大規模な地形改変の点、墳丘・横口式石槨の規模の点で際立った存在として注目される古墳になる。

春日明神内にあるのがヒントです。

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

(25) ウ (26) イ (27) ア 
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