照明が落とされていた。前から2列目、右側の席。
横には誰もいない。
しばらくして、女の子が目の前に置かれたキャンドルに火をともす。
どこから来るのか、風がキャンドルの炎を揺らす。
僕のこころも揺れる。
想い出が甦る。
ちょうど1年前。由香と知り合ってまだ1ヶ月だった。
「クリスマスイヴはレストランを予約しなきゃね」
「何言ってるの。イヴは教会で過ごすのが王道よ」
僕にとって初めての教会。
受付で賛美歌が印刷された小さな冊子を受け取った。
由香は僕を席にエスコートした。前から2列目、右側の席。
キャンドルに火がともされた。
静寂を破ったのは牧師の声だった。
オルガンが鳴り響き、座ったまま、何曲か賛美歌を歌った。
牧師の短いスピーチがあり、やがて燭火礼拝は終わりを告げた。
キャンドルが消された。
その間、僕らは何一つ言葉を交わさなかった。
外は冷気で研ぎ澄まされた空間だった。
満点の星を、真白い十字架が切り抜いていた。
振り返ると、由香は目に涙を一杯たたえていた。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないわ。ここで帰るね」
由香は駆け足で街角を曲がり、姿を消した。
一人取り残された僕は、呆然とした。
2日後、由香から手紙が届いた。
「ごめんなさい。前の彼と別れたばかりで、寂しさを紛らわすために、あなたと会ってた。
まだ、忘れられないの。これ以上、自分を偽るわけにいかない。本当にごめんなさい」
始まったばかりの恋は、あっという間に終わりを告げた。
回想をオルガンが断ち切った。
そのとき、右横に誰かが座った。由香だった。
キャンドルの光に照らされた瞳が、きらきらと光っていた。
綺麗だ、と思った。
礼拝が終わり、教会堂の外へ出た。いつのまにか雪が降っていた。
「メリークリスマス」由香は明るく言った。
「この1年、どうしてたの?」僕は聞かないわけにいかなかった。
「少しずつ、あなたのこと、好きになっていったのよ」
「よく言うよ」
「本当よ、ほら」由香は赤い包みを差し出した。
包みを開くと、そこに現れたのは日記帳だった。
12/25から始まっていた。1ページ目に僕の名前が一つ、2ページ目に二つ、
そんな風に1日ずつページを追うごとに、僕の名前が増えていった。
12/24のページには、僕の名前がぎっしりと書いてあった。365個あるのだろう。
日記帳から目を上げると、雪に飾られた由香の黒髪が美しかった。
教会の屋根に架かった白い十字架にも、雪が積もっていた。
あの日、由香が消えていった街角を、今度は二人で曲がった。
雪はいつまでも降り続いた。まるで由香の日記帳に書かれた、僕の名前のように。