梅雨入りした。
昨日からずっと雨が降り続いている。
湿った空気が家の中まで忍び込んでくる。
梅雨の季節は紫陽花の季節でもある。
僕は着替えた。赤いポロシャツとチノパン。
電車を乗り継いで、とある駅に降り立った。
透明の傘を開き、小雨の歩道を黙々と歩いた。
なだらかな坂道を登っていくと、目的の場所に着いた。
「あじさい寺」
この時期、この寺はそう呼ばれている。
小道を辿ると両側に、見渡す限り紫陽花が咲き誇っている。
いつしか雨はやんでいて、太陽が雲の間から顔を出していた。
よく見ると、雨粒が紫陽花の花の一弁一弁に、はかなげにとどまり、光り、そして、落ちてゆく。
まるであの日の君が流した涙のように。
遠い記憶。
ちょうど、この場所で、僕は君に別れを切り出した。
君は訳も聞かず、黙って涙をこらえていた。
やがて、頬を涙がひとすじ伝い落ちた。
君はやっと聞こえるくらいの声でぽつりと言った。
「そう・・」
いきなり突風が吹き、僕を驚かせた。
紫陽花がいっせいに揺れる。
僕はその場に立ち止まり、風に吹き飛ばされる紫陽花の涙を見ていた。
太陽がまぶしかった。
紫陽花の涙が、きらきらと光り輝きながら、
空へ、舞った。
あじさい。
紫の、陽の、花。
梅雨に咲くのに、
陽の、花。
もう、2年。
君はもう、あの日流した涙のことなんて忘れてしまっているだろう。
今、君の心は、陽の中にあり、
この空の下のどこかで、紫陽花を見ているだろうか。
別れを切り出した僕の方が、まだ、君を引きずっているなんてね。
僕は歩き出し、小道を下る。
あじさい寺の山門をくぐるとき、
一度だけ振り返り、紫陽花たちに別れを告げた。
心の中でつぶやく。
「また、会おう」と。