内海聡FBより転載
2024年01月30日
ーーー転載開始ーーー
日本の不条理をなんとなく自覚している人が対策として思うことに、「自給自足して自分で食べるものを作っていく」というのがあります。
サバイバルという観点からすると良いように思えるかもしれません。
実際、私も2015年ころまで自給自足は意味があると思っていました。
しかし最近その考え方は甘いと考えるようになりました。
確かに国やシステムが信用できないのだから、自分で作って生きていくという考えは悪くありません。
しかしこの自給自足という考え方もお花畑の世界観の中で育まれた、温室の考え方だと述べているわけです。
理由は簡単、そんな時代が来たら権力は自給自足をこそ潰しに来るからです。
方法はこれまでにもいくつもありました。
自給自足する人々をオカルトや新興宗教のように扱ってしまうが一つの手です。
モンサントがやっていたように特許侵害的に扱うこともできますし、法律違反しているように持って行ってしまってもいいです。
とにかく自給自足という考え方は、日本がなくなるという前提に立って考えているのとは、実は違うのだということに気づかないといけません。
もう一つは自給自足という考え方は、テレビを捨てればいいという考え方と一緒で、自分がよければいいという考え方に根差しています。
サバイバルの時代では自分を大事にするのは最も重要であり、その点において批判はしません。
批判するところがあるとすれば、結局それはマイノリティであり、マイノリティの極致なのに自分たちの権利は守られて当然だという、慣れ切った人権主義に浸ってしまっているということなのです。
日本がなくなる時代は人権なんてないと言っているのです。
繰り返しですが自給自足が悪いわけではありません。
これがサバイバル術になるためには、やっても大丈夫だという背景を作ることが重要です。
不条理で権利のない奴隷国家の中で、自給自足程度はせめて許されるような、小市民としてお金と権力を持ち、同意者が多いコミュニティとなりながらカルト感覚を感じさせない、そういう世渡りのずる賢さが必要不可欠だと考えています。
<2025年日本滅亡説より抜粋>
ーーー転載終了ーーー