「断想」という聞きなれない言葉がある
京都の牧師、神学者 藤木正三氏、1927年 - 2015年1月22日
が残された言葉である
ヨルダン社(今はない)発行の「灰色の断想」あとがきから引用する
「若干の例外はあるが、断想はいずれも、実際に協会で語った毎週の礼拝説教を、できるだけキリスト教用語や表現を避けてまとめ、そして教会週報に載せたものである」
「人生の色」
誠実、無欲、色でいえば真白な人、
不実、貪欲、色でいえば真黒な人、
そんな人はいずれも現実にはいません。
いるのは、そのどちらでもない灰色の人でありましょう。
比較的白っぽい灰色から、
比較的黒っぽいのまでさまざまではありますが、
とにかく人間は、灰色において一色であります。
その色分けは一人の人間においても、一定ではなく、
白と黒との間をゆれ動いている者同士の分別に過ぎません。
よくみればやはりお互いに灰色であります。
灰色は、明るくはありませんが、暖かい色です。
人生の色というべきでありましょう。
『灰色の断想』p8 藤木正三著
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