private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2015-08-09 15:48:30 | 非定期連続小説

SCENE 9

「恵さん。いろいろとまずいですよねえ?」
 恵の部内の女子社員である杉下仁美が、総務室から廊下へ出たところで偶然を装って近寄ってきた。口をほとんど開かずに、お互いソッポを向いたまま会話を続けるので、傍から見れば知らぬもの同士がたまたま廊下を並んで歩いているようにしか見えない。
「何がまずいのヒットミ? 今の私はまずくない状況を探す方が難しいぐらいなんだから。どの懸案について言ってるの?」
 仁美は、恵が置かれた状況か、恵自身の状況のどちらについて言おうか少し躊躇した。
「だってえ、部内の仕事ほうりっぱなしで、社長のご機嫌とりばかりしてるってえ。みんな陰口… ていうか普通に話してますよ」と、この場は無難な方を選択していた。
「ああ、そんなのどうでもいいわよ。そんなバカバカしいことに割いてる時間なんかかいんだから。それよりさ、今日一緒にランチしましょ。駅前の商店街。行くよ」
「ほんとですかあ。スペイン料理のお店が新しくできたんですよお。評判みたいだし。そこに行きたいですう。で、午前中になにやっておけばいいんですか?」
 恵にまだ勢いが感じられているうちは、余計な口を挟まない方がいいと、出された提案に素直に賛同し、オーダーされる仕事をそれまでに片付けることに専念する。
「どこかの、オボッチャマとは大違い。話しが早くて楽だわ」
「えっ?」
「ううん、なんでもない。これ、お願いね」
 恵は四つ折りにしたメモ紙を、歩く手が重なったタイミングで仁美に渡す。仁美は手で覆うようにしてメモを広げ内容を確認して、質問する必要がないとわかったところでリョーカーイと言いながら廊下を右に折れていった。
――組織に従属しているオトコ達って、ホンっと情けないわね。誰かにかまってもらわないと生きていけないのかしら。自分でなんとかしようと思わないくせに、要求する権利だけを振りかざして、しかもやりかたが子供っぽいし。煙たがるならそれに見合った男でも取り繕って寿させろってハナシよ。って、それはないか。
 直接自室に戻れる通路を使わずに、恵はあえて部内に入り、ゆっくりと、そして堂々と歩いていった。割いている時間もないが、キズが深まって余計に時間をとられるのも面倒だ。
――さあて、エサに喰いついてくるかしら?
 まわりからは見るでもなしといった目線が感じられる。そのわりには誰も何を言ってこないのは、匿名では出てくる勇気も、仮面をはずした状態では湧いてこないからか。それ故、陰口というのだが。
――結局、壁の向こうでコソコソするしかできないのかしらねえ。机の向こうに引きこもっちゃって、これじゃあシャッター商店街とかわんないじゃないの。
「部長。すいません。この案件についてご指導いただきたいんですが」
 そこに、あきらかにあげ足を取ろうと、これみよがしの顔で近寄ってくる年配の男がいた。そしてまわりでニヤつく取り巻き達。
 正義を楯に取り行動を起こす者に、それが正義かと問うても、無論、正義と答えるだろう。自分の判断基準を持って、明確な境界線があるわけではないし、悪もまたしかりであれば、お互いが相容れない状況を作り出すのは容易だ。
 ここでいう相手の正義はつまり、部内でどんな案件が動いているかも把握しておらず、部下からの問題提議に対してもなんの助言も出せない女部長をやり込めることだ。
――世の中正義の味方が多すぎるんだから、イヤになっちゃうわ。誰かに指示されなきゃなにも決められない正義の味方って。それとも自分の能力不足を棚に上げ、他人からアイデアだけいただく気?
 なににしろ主体のない人間なら、恵にとってはやりやすい相手で、釣れた魚は自由に料理すればいい。
「その前に。あなたの案を聞かせてちょうだい。まず主案がここに書いてあるモノならば、それに代わる案が二つ、三つ必用よね。何の代替案もなく相談を持ちかけてきたわけじゃないでしょう」
 まわりに聞えるように大きな声で言う必要はない。恵は耳もとで男が持ってきた書類を覗き込みながら小声で伝えた。この男に恥をかかせて変に逆恨みを買いたくはない。ならば勝ちを譲って退却いただくのがもっともムダを省く選択となる。
「えっ? はあ、ああ、そのう… 」
「いい。質問があればオープンクエスチョンになるようにしてね。答えはひとつじゃないし、クローズドでは結論ありになるでしょ。最低三つのアイデアを持って、それぞれの、メリット・デメリットと比較できる費用対効果をつけてくるのはアナタもわかっていると思うけど… 」
 ここまでは引き続き小さな声で話した。髪をかきあげながらまわりを見回しそして良く通る声に切り替える。
「ごめんなさいね。私が部内にいることが少ないから、見かけたときに声をかけなきゃならないのはよくわかるわ。もう一度、私にもわかりやすい内容にして、まとまったところでドアをノックしてちょうだい。みなさんにお手間取らせて申し訳ないけど、頼りにしてるわ」
 部内に向けて軽く礼をしてから恵は部長室へ向かった。これでしばらくは何も言ってこないだろう。席に戻ってからは使えない女部長をやりこめてやったと武勇伝を語っているのかもしれないが、それで満足ならいくらでも差し上げても痛くないし、やっかみが自分の人生を支えていることを知りもせず、日々を生きていく愚かなヤツラだと割り切ればいい。
 会社の中の部内という枠組みの中で、たまたまめぐり合っただけの偶然的な関わり合いであるのに、いったいどこまで彼等の人生に責任を持たなければならないのかと不条理さだけがのしかかってくる。
――どいつもこいつも。最初に方針なり、方向性は伝えてあるのに、なにも変えようとしない。これじゃあのオボッチャマがすこしはマシに見えてくるじゃない。こちとら戦いの場に上がるだけでも一苦労だったのに、最初からそこから始められているのに、なにバカやってんだか。って…
 自分の仕事にかこつけて部内の管理を放棄して、押し付けられた役割りとは別の方法で成果を出す方を選んだのは自分のエゴでしかない。関係が生じた途端にそこに責任が生まれる。責任を振りかざせばまた正義と同様にお互いが相容れなくなる。そう思うと、バカをやってるのは自分も変わらないはずだ。
――だったら、勝ちつづければいいのよ。
 仁美の二つ目の懸案が危うさを増している。


商店街人力爆走選手権

2015-07-25 12:18:42 | 非定期連続小説

SCENE 8

「まったく、昨日は… つーか、今日の朝まで、ひどい目にあいましたよ」
 クッションの効かない事務椅子に勢いよくすわっても、反動が自分に返ってきて不快が増すだけとわかっているのに気持ちでそう動いてしまった。
 課長の韮崎は新聞を少しだけ下げて、目線を合わせてきたものの、その瞳はいやらしそうに光っていた。
「おまえ、重役出勤の上に、あの女部長と一晩一緒だったのか? どんな目にあったのかって、自慢話しまでしたいらしいな」
「やめてくださいよ。カチョー。誤解を招くような言い方は。そりゃ、一緒にいたっていえばそうですけど。アッチへ、コッチへ引きずりまわされて、ツカイッパにされて、こき使われただけなんですから」
「へえ、うらやましいな。アッチやコッチを、掴みまくって、コキまくったのか」
「なにいってんスか。カチョー、オレが女ならセクハラっスよ。訴えられるっスよ」
 韮崎は再び新聞でバリアを築き、つまらなそうに答えた。
「おまえだから言ってんだよ。女子社員に言うわけないだろ。だいたいここに女子社員いないだろ。いまどきのデキル女は営業や総合職志望で、オマエぐらいの合否ギリギリの男ぐらいしか回ってこねえんだからよ」
「ホントッすよね。おれもソームって言うから、女子社員が一杯いるかと思って楽しみにしてたのに。カチョーと、用務員みたいなおじいさんと、たまに顔出す部長しかいないんですからガッカリッすよ」
 まさにのれんに腕押しとはこのことで、韮崎は新聞の向こう側で、自分がけなされていると思わず、意見に同意してくる戒人を心底アホだと思っていた。
「そんなことより、カチョー、オレもう24時間休まずに働いてんスから、今日は早退していいですかね。あと、時間外手当、12時間分付けたいんスけど、どうやって申告するといいんスか? 経理で聞いてきたんスけど、誰も相手にしてくれなくて」
 アホだと思っているやつから権利を求められるとよけいに腹立たしくなってくる。新聞を机に置くと同時に両腕で立ち上がり戒人を一喝した。
「バカなこと言ってんじゃないよ。それだけいい思いして、早退だ、手当てよこせだって、そんなもん認めるわけないだろ。なんだったらオレが代わってやってもいいんだぜ。仕事とはいえあの部長と一晩お付き合いできるなら、コッチが金払ってもいいぐらいだ。寝ぼけたこといってないで、仕事しろ、仕事。昨日の分かたづいてないだろ」
 予想外の攻撃にもたじろかず、平然と弁解する戒人。もとより好戦性は皆無でりながら責任転嫁だけは一人前にしてくる。
「エーっ。なんスかー、それ。カンベンしてくださいよ。いい思いなんで全然してないし。うわー、もう最悪。じゃあカチョー、今度来たらカチョーが相手してくださいよ。カチョーが一晩付き合えば満足なんスよね」
「アホか。オマエが会長の息子ってことで依頼があったんだから、オレが行ったってなんの役にもたたんだろ。いつまでもバカなこと言ってないで、今日中にやっとくこと書いといたからよ。たのんだぞ」
 韮崎が戒人に付箋に書かれたToDoリストを渡そうと戒人の目先に差し出すと、そのアタマ越しに紙片が取り上げられていった。
 戒人が目線でそのリストを追って天井を見上げれば、その先には今まさに課長に押し付けようとしていたあの顔があった。
「あーら、お仕事、大変そうだけど、定時で切り上げられるように頑張ってね。今日も御宅へおジャマすることになったから、お父様へよろしく伝えといてくれる」
「えーっ、なんでですか? もう二度と会うことはないって、朝に言てったじゃないですか。もう、カンベンしてくださいよ」
 天井を仰ぐのをやめて、椅子ごと恵の方へ向き直った戒人は、不満顔を隠そうともしない。もう遠慮する必要はないと悟ったのか、自分のホームである総務室での対面とあって俄然力が湧いたのか。まさか課長の韮崎の権威を借りたつもりでいるわけではないだろうが。
「私もねえ、会いたくなかったんだけど、社長命令じゃしょうがないでしょ。会社方針に従ってのサラリーマンだからね。それに、今日もじゃなくて、今日から毎日よ。会長を落すまでね。あっ、でも徹夜はしないから安心して。私もそこまでタフじゃないから。終電に間に合うように頑張って、人力車引っ張ってちょーだいね」
「そんなあ、聞きました? カチョー。あっ! カチョーいない」
 どこに勝機をみいだしたのか、やはり韮崎に楯になってもらうつもりだったらしい。その韮崎はいつのまにやら席から姿をくらましていた。リスクマネジメントに乗っ取った賢明な判断といえるだろう。
「よかったわねえ、私のお目付け役として、毎日定時で帰れる口実ができて。充実のアフターファイブが過ごせるわよ」
「しょんなあ… 」
 恵はToDoリストを、戒人の鼻先に突きつけた。戒人の両目が寄る。
「それがイヤなら、アンタも協力して、会長が首をタテに振るようなアイデアでも考えてみたら。それじゃ17時に1階ロビーに集合。時間厳守だからね」
 戒人の鼻先にあったリストが舞いながら床に落ちる。恵が部屋から出て行ってもリストを拾う気になれない。
「オレって、今年の運勢、最悪だったっけ。いや、たしか大吉だったはずだけど… 」と正月に商店街の神社で引いたおみくじを、いまさらうらやんでもどうにもならないし、自分が立案して商店街に活気が戻れば、商店街と自分にとって大吉になるという考えにはいたらないのも残念だ。
「よかったな。毎日、女部長とおデートできて」
 そして、課長の韮崎が机の下から顔を出す。どうやら地震警報よろしく机の下に避難していたようだ。
「モグラタタキッスか」
「つまんねえ突っ込みしてないで、今日の仕事終わらせろよ。充実のアフターファイブのためによ」
 韮崎は立ち上がると、わざわざ戒人の席まで来て、床に落ちたリストを拾い上げて机に貼り付けていった。
「あっ! これ、カチョーの仕事も書いてあるじゃないスか。あれ、カチョー、カチョー。どこいくんスか。カチョー!!」
 ホームでも孤立無援の戒人であった。


商店街人力爆走選手権

2015-07-11 18:49:39 | 非定期連続小説

SCENE 7

「社長。遅くなりまして申し訳ございません。昨日のプレゼンをまとめてから、ご面会する予定でおりましたが、社長からのご連絡のメモを拝見しまして、取るものもとりあえず参上いたしました」
 いろいろな含みを考えての口上の本音は、まとめられるようなプレゼンの結果があるはずもなく、手ぶらで登場できる良い言い訳ができたというところだ。
 社長の人吉は親しげに手招きをして恵に着座を求めた。
「あー、いい、いい、そんなものはキミから直接聞けばいいことだ。まわりくどくする必要はない。それでどうだんだ? 首尾は? わたしの企画を使ったプレゼンだ。キミもいろいろと勉強になったんじゃないのかな」
――勉強って、アンタの授業を誰がすき好んで受けるかっ、つーの。
「はい、それはもちろん、社長の企画でプレゼンすることができて、わたくしも光栄でございます。あれほどの内容ですので、いろいろと知見を得ることができました」
「ホーッ、そうかね、そうかね。それで、先方はどうだったんだね。あんな、かたむきかけた商店街には勿体ないぐらいの企画だが、まあ今回ばかりはそうも言っとれんかったからな。駅前のヤツラをギャフンと言わしてやろうと思っていたからな」
――こっちが、ギャフンと言いたくなったわよ。
「それはもう先方も大変に乗り気で。次のアポも取れておりますので、次回には契約の運びとなると存じます」
「おっ、おっ。そうか、さすが時田君だ。抜かりがないな。だがな… 」
 ここで人吉は席を立ち、ブラインドを指で広げて外界を見た。
――ボスかっ。わかる私も残念だけど… くさい小芝居してないで、どうしたいのか話し進めなさいよ。
 想定外の動きを取られると次の言葉がどうでるのかわからず、対応するに当たり多くのパターンを用意しなければならなくなる。それになぜか言葉の端々が過去形になっているのが気になる。
「話しはそううまくいかんようでなあ。まあ、これを見たまえ」
 社長は自席の机にのっていた一枚のチラシをつかみ恵に渡した。そこには駅前の次回のキャンペーン告知が印刷されている。プレゼンが一週間前に行なわれ、二日前に結果が通知された割には早すぎるタイミングだ。
「まったく、してやられたわ。最初からアッチに決っておったのだよ。そうでなければわたしの企画で落すわけがないだろう」
――ああ、そう、そういうことね。このチラシ見たもんだから、私に早く伝えたくて待ちきれなかったのね。良い言い訳見つけたものね。
 そこにあるキャンペーンの内容といえば、このアホ社長が出した、ありがちな企画と大差のないB級グルメと、ゆるキャラが前面に押し出されており。あえてその差を述べるなら、社長のよりはずいぶんアカ抜けしており、万人受けしそうなところだ。
「それでは、社長の企画をブラッシュアップして駅裏を活性化し、ハナをあかしてやりましょう」
 ここで人吉は難しい顔をした。当然、調子のいい言葉でハッパをかけてくると思った恵は拍子抜けをして、再び次の言葉を待つしかなくなる。
――なに妙な間を取ってるのよ。もったいぶって。私も忙しいんだから、方向性をハッキリさせて早く仕事に取り掛からせて欲しいわ。ブラッシュアップどころか、最初からやり直ししないといけないぐらいなんだから。しかも、社長のプライドを損ねないように、あーっ、もう、メンドクサイったらありゃしない。
「時田くん、もちろんそうなんだけどね。そうとばかり言ってられなくてね」
――はあぁ? いまさらなんなのよ。あれだけ威勢のいいこと言っといて。
「こんなチラシ撒かれたあとで、同じような企画で勝負するわけにはいかんだろう。ただでさえ、活気のない商店街だ」
――活気がないじゃないくて、やる気も、人も、開いてる店もないわよ。廃墟なのよ、ゴーストタウンなのよ。
「なるほど。そう言われれば、二番煎じと風評をたてられるのもシャクですしね」
――もともと、この企画自体、出がらしみたいなモンなんだけどね。
「時田くん、わたしはね、なにも、客寄せパンダのつもりで、キミを部長に抜擢したわけじゃないんだ。キミの柔軟な思考。卓越した創造性。場の注目を引きつける人としての魅力。そこに光るモノを感じるし、まだまだ伸びしろだってある。将来的にはこの社を背負っていく人材だと思っているのだよ」
 いくら、おべんちゃらだとわかっていても、これだけ、誉め言葉を並べられれば悪い気はしなかった。それに、もし自分の企画で大逆転できれば、それなりのポジションを確保でき、将来への架け橋になるかもしれない。なにより、アホ社長のアホ企画の足枷をはずせるのがなによりだった。
「もったいないお言葉です。わかりました社長。ここは今一度仕切りなおして、わたしの企画でいかせてください。社長のご無念はお察します。これほどの屈辱があってよいでしょうか。我が社を愚弄するにもほどがあります。なんとしても駅前の関係者や代理店の旭屋堂を見返してやりましょう。それにはわざわざ社長の企画を出すまでもございません。ぜひ、わたくしにおまかせください。社長のご希望に応えられるよう誠心誠意、務めさせていただきます。大丈夫でございます。神はちゃんと見ていてくれてます。どちらに正義があるのか」
 とにかくその線で話しを進めたい恵は、一気にまくしたてた。神が見てたら最初にバツを与えるのはわたしに間違いないと、心で苦笑いをしていた。
「そうかね、そこまで言ってくれると、わたしも心強いよ。キミの発案してくれたあの課外授業の企画も、時期尚早かと危惧していたが、予想外の反響を呼んだ」
――わたしは予想どうりだったわよ。だいたい、アンタが押した案件で成功した事例があるのかって。
「今回もまた、わたしの間違いだったようだ。せっかくキミの才能が開花しようとしているところをジャマして、余計なことをしてしまった」
「いいえ、あれはたまたま運がよかっただけで、時勢が味方しなければ、どうなっていたことか。今回のことも、今となっては、社長の案が旭屋堂と重なったことが幸いとなるかも知れません」
――どうせ、最初から決ってた勝負なら、どんな案を持っていっても同じでしょうけどね。
「なるほど。切り札として取っておけたと考えれば、結果オーライということか。なんにしろ、この件はキミに一任したから、思う存分やってみなさい」
 恵は心の中で、ガッツポーズをしていた。その言葉さえ取り付ければこちらのものだ。
「ハイ、それではもう一度、駅裏用に企画を練り直してみます。時間も差し迫っておりますので、これにて失礼して早速取り掛かからせていただきます」
「おっ、おう、そうだな。早いほうがいいだろう。頑張ってくれよ」
 恵は席を立ち、一礼して部屋を出て行いった。
「ホネは拾ってやるからなあ、せいぜい頑張れよ」
 聞えないように小声で言葉をかけ、恵の後ろ姿を見送りながら、人吉は携帯電話を取り出して、アドレスを選びタッチする。
「はい、わたしです。ええ、いま話が終わりまして。はい、すぐに飛びついてきましたよ。単純なモンです。あら、ダボハゼですな。えっ、いやいや、それはちょっと。まあ、アナタからの誘いがあれば、簡単に喰いついてくるかもしれませんが。はっはっは。ええ、それでは、よろしくお願いします。ええ、失礼します」
 通話を切った人吉は、机に尻を乗せる。
「これで、ようやく厄介払いができる。やれ女性の社会進出だ。管理職への登用だとお上から言われても、それでいつまでも居座られても会社が回っていかんからな。彼女もそれなりに貢献してくれたが、そろそろ新鮮味もなくなってきたころだ。適当なところで仕事に挫折して辞めてもらうのが会社にとっても本人のためでもあるからな」


商店街人力爆走選手権

2015-06-28 17:36:37 | 非定期連続小説

SCENE 6

「ちょっと、ついてこないでよ。ただでさえ昨日と同じ服で出勤してるんだから。昨日だって帰りもアンタと一緒に退社してるし、勘違いされるでしょ!」
「ムリっス。会社同じ方向ですし。ウチの部はフレックスじゃないから9時までの出社しないと、給料引かれるっス」
 微妙な早足ながら長いストライドを利用して歩を稼ぐ恵に対して、時おり小走りを交えながら戒人が後ろを追っていく。
 そのまま会社が入っているテナントビルの扉を突き進み、エレベーターに乗り込んだ。息が荒い戒人に対して、恵は静かに息を整える。
「アンタ、体力ないわねえ。これぐらいで息あがってどーすんのよ。少しは運動したら」
「オレ、頭脳労働系ですから、肉体系はムリっス」
「あっそう、それじゃあ、お父様の商店街をなんとかする企画のひとつでも考えて、社長に直訴でもしてみたら。じゃあね。もう二度と会うこともないでしょうけど」
 そう言って、事務フロアに到着したエレベーターの扉から出て行った。戒人のフロアはもうひとつ上の階だ。
 ようやく恵から解放されるとドッと疲れがぶり返してきた。戒人にしてみても、二度とご同伴は遠慮しておきたいところだ。
 結局、恵はあのまま朝まで店に居座って、早朝からスーパー銭湯探せだの、コンビニはないのかだの難題を押し付けられ、駅前まで30分かけて往復してコンビニに行き、しかも買わされたのが女性物の下着で、変に意識しないように、手早く会計を済まそうとするとかえって動揺してしまい、手が震え小銭を落とす始末で余計に時間がかかり、後ろに人が並び始めるともうあたまは真っ白になって、つり銭もそこそこにいつのまにか店を飛び出していた。あきらかに情緒不安定、行動不審の模範者にしか見えなかっただろう。
「しばらく、あのコンビニ行けねえなあ… 」
 一方、恵は恵で自分の事だけであたまが一杯で、戒人に迷惑かけたことなど覚えているどころか、そもそも迷惑をかけたなんて微塵も思ってはいない。
 フロアに入ると挨拶もそこそこに、部長室に入りカギを掛けた。ロッカーに代えの上着が常備してあるので、それに着替える。上だけでも違えば印象が変るので今日はこれで乗り切るつもりだ。
――朝から銭湯に入ったのって温泉旅行以来かしら。あの商店街も捨てたもんじゃないわね。
 戒人に下着を買いに行かせたものの、シャワーも浴びずに替えるのも抵抗があり、何とかしなさいよと、いつもの調子でムチャぶりしたところ、早朝から開いている銭湯があると教えられ、それならそれで早く言いなさいとどちらにしろ叱られていた。同じようなパターンを何度か続けていても、また同じ失敗を繰り返しており、イヤミか叱られなければ、パターンに陥ったこともわかっていない。いつまでたってもそこから抜け出せない戒人の鈍さにはあきれるばかりで、会社に採用したいきさつを責任者に問いただしてやりたいところだ。
 早朝の銭湯といえば、老人が多い土地柄だけに盛況かと思えば、なんのことはない閑散としていおり、恵と同じく、タコス屋で朝まで過ごした何人かが出て行くの見かけたぐらいで、なんだここも風前の灯火かと毒舌を吐くと、7時で閉まるからもうみんな帰ったあとだと教えられた。
 戒人の話しでは4時からやっていて、開く前から待っている人もいるそうだ。やはり老人。あなどれない。ならばいったい風呂屋のオヤジは何時から準備しているのかと問うと。
「ああ、あそこも3代目がオレのツレで、2時から準備してるって。のれん上げて、かたずけしてから昼まで寝て、夕方まで駅前のパチンコ屋で儲けてるっス。それでオレより羽振りがいいから、パチプロが本業で、銭湯は趣味みたいなもんつーか、閉めると方々から文句が出てうるさいから、閉めるに閉めれないってのが本音らしいっスけど」
 なんだかんだといって、隙間産業でしぶとく儲けている店もある、ようはやる気と働き手の問題じゃないだろうか。商店街の現状を見もしないで、企画を持って来たことに対する会長のイヤミも満更的外れではない。
――点が、線になればおもしろいけど。そもそも線だったのが点になっていったのが現実だからね。
 レカロの事務用チェアにドッカと座り、昨夜の失敗と収穫を思い起こしてみると、ならば昼間も見ておく必要があるのではないかと思えてきた。ただその前に、もうひとつ問題をなんとかしなければならないと髪をかきあげる。社長が昨夜の報告をいまや遅しと待っているはずだ。
「どう、報告しろってんのよ! ムチャぶりにもほどがあるわ」
 何てぼやいていると、さっそく内線が鳴る。電話を取らずに放っておくと、フロアの女子社員が電話の応対をすることになっている。しばらくしてドアがノックされ声がかかる。
「部長。社長がお呼びです。席を外しているから、戻り次第至急社長室に向かわせると伝えてあります」と、手慣れた文句を並べる。
 恵は「ありがとう」とだけ伝える。
 
体勢がととのっていないまま、敵地に乗り込むのは無謀というものだ。恵はさっそく席を離れた。フロアを通らずに、外部に出るもうひとつの扉を開けて、女子用のレストルームに向かった。
 鏡に映る自分の姿をチェックし、化粧を手直して、服装の乱れを整える。
 スキがあればいろいろと突っ込まれやすくなるし、なによりそうしておかなければ自分の強みを維持できない。ここで守るべき最低限のラインを保つことにより、自分のフィールドで戦えると思い込む必要がある。そうして恵は、いきおい社長室に乗り込んだ。


商店街人力爆走選手権

2015-06-14 11:14:27 | 非定期連続小説

SCENE 5

「そんでさあ、なんでこうなるんだ? なんとかしろよ、オマエの上司だろ」
 戒人と仁志貴が、声をひそめてやりあっているあいだに、恵はタコスを頬張り、指先についたソースを舌で絡めとっている。
「オレに聞くなって。あの部長、言い出したしたら引かないし。それにオレの上司じゃなくて、オレは総務で、アッチは… 」
「めんどくさいな、会社ってヤツは、なんにしろ、オマエんとこの会社のお偉いさんなんだから、オマエが尻拭いするのがフツーだろ。とりあえず、あの横付けしてある人力車どこかにしまってこいよ?」
「あーら、いいじゃない、物珍しくていい宣伝になってると思うけど。看板がわり的な? あっ、アイデア料はいらないから、ビール一本サービスしてもらえるかしら?」
 二人の話はしっかりと、恵に聞かれていた。
 来店してくるお客がいちいち人力車のことを聞いてくるので、仁志貴も説明を繰り返すのに、うんざりしはじめていた。ただ、お客の反応は好意的であるので、恵の言い分を否定するわけにはいかない。
「ズーズーしいブチョーだな。まったく」
 冷蔵庫から中ビンを取り出し、栓を抜いて恵のグラスに注いだ。
「こまかいこと言わない。それにしても、なかなかいけるじゃないこのタコス。ビールが進むし、ボリュームもある。たしかにシメで食べてもいいし、普通に夕食代わりでもいけるわね。このボウヤとは違って、口先だけじゃないみたいね?」
 イヤミを言われていると気付いてない戒人は、恵の意見にひとり大きくうなずいて、そうなんスよねえ、なんて言っているから、仁志貴は声を出さずにオマエのことだと口パクで伝えてみたがそれでピンとくる戒人ではない。
 そんな戒人に見切りをつけて、カラになった恵のグラスにすかさずビールをそそぎながら仁志貴が探りを入れる。
「ブチョーさんよ。アイデアはこれだけじゃないんだろ。なに企んでるんだ? そろそろ教えてくれてもいいんじゃないのか」
 ストレートに聞かれてそのまま答えを言うような恵ではない。遠慮せずにビールを飲み干して、さらにコップを差し出す。
「さあねえ。もしかしたらあるのかもねえ。それで私もこの商店街も救われるといいんだけど、それほど簡単じゃないんじゃない?」
「さっきカイトも言ってたけどよ。ヨソの店に、ウチと同じような時間帯に店開けろって言ったってムリだぜ。それにオレも大きいこと言ったけど、ウチだってトントンなんだ。たいした儲けがあるわけじゃない」
 恵はその言葉にさしておどろいた様子も見せず、細く笑みを浮かべ目を閉じる。
「そんなのここに居て、見てればわかるわよ。席数が10ぐらいで、回転が二周りあるかどうかってとこでしょ。タコスの原料費はタダ同然とはいえ、アルコールの消費量に依存してる経営状況よね」
「やなオンナだな、だったよ、ビールのサービスねだらないで自腹で飲んでくれって。まあ、そうとう強そうだから、閉店まで飲んでもらえば、もうけさせてもらえそうだけどよ」
 仁志貴はカウンターに腕をつけてアゴを付き、あきれた表情で言った。
「職業病でね。どれだけアルコール飲んでも、そういうチェックは怠らないのよ。時には気にせず飲みたい日もあるんだけど、今日はそういうわけにはいかないわねえ。ボウヤのお父様にこってり絞られたから見返したいし、視察と情報収集を兼ねてるんだからいくら飲んでも酔わないのよ」
「同情してやりたい気もあるが、本音としては、あんまりずけずけとモノ言い過ぎるオンナは… 」
「婚期逃すとか言いたいんでしょ。いまどきじゃ、店長のモラルハザードの欠如も客足に影響するんだからね。あー、なんだか、甘いモノが食べたくなったな。スウィーツとかないわけ?」
「部長、ムリっスよ。ここはそういう店じゃないんスから。駅前にそういう店ありますからそっちに行きましょう」
「なに追い払おうとしてるのよ。アンタってさ、ムリしか言わないわね。ムリじゃなくて、客が要求したらそれはビジネスにつながるってすぐ連想しなさいよ。お客様の課題を解決してこそ、企画会社の社員としての存在価値につながるんだから」
「そんなあ、オレはソームですからあ… 」
「役割以上の面倒には首を突っ込みたくない。なんとか世代の代表的な発言だわ。どうせ飲みに来るつもりだったんだからいいでしょ。これからの商店街の展望について前向きな意見を10コ出しなさい。まずはアイデアを広く募り、そこから絞り込んでいくの。だいたい駅前はもう店閉まってるんでしょ。今日は最後まで付き合いなさい。ただのビールほどおいしいものはなしね」
「おいおい、アイデア料は一本だけだろ。こんな大酒のみをタダにしたら、今日の売上がパーだろ」
「ああ、そっちじゃなくて、こっちのボウヤにね。ろくなアイデア出さなかったら、さっき払った人力車の乗車賃で賄ってもらうつもりだから」
 そう言って、困惑している戒人のグラスにビールを注ぐ。
「それにしても気がきかないわよね。辛いもの食べたら、フツウ甘いもの食べたくなるでしょ。ここで出せないんなら。そういうお店が近くにあればいいのにねえ」
 これみよがしな意見に、今度は仁志貴が顔をしかめる。
「あっ、部長。そうやって関連性のある店を増やしてって、商店街に活気を取り戻す計画ってのはどうですかね。いいアイデアですよねこれ。どうだニシキ、だてに広告代理店に勤めてるわけじゃないんだから、オマエとは発想の豊かさが違うんだよ。そうかあ、なるほどねえ、そういう手があったんだなあ」
 ひとり納得して悦に入っている戒人を見て、仁志貴は何も言わずに首を振る。恵は知らぬ顔でカラになったグラスを振って、遠慮なしにおかわりを要求していた。
 恵が払った乗車賃の2000円は、すでにオーバーしているはずだ。


商店街人力爆走選手権

2015-05-30 06:34:10 | 非定期連続小説

SCENE 4

「なによコレ。もっとなめらかに走れないの? なんか振動がすごいんですけどぉ。ハクロウ病にでもなったらどおーすんのよ」
「ムリっスッ、ハア。ゲフォ、ガフォ」
 夜の静まり返った商店街をガタガタと音を立てて戒人が走っている。
 お姫様を乗せた人力車を引きながら。
「それにしても遅いわね。商店街出るのにどんだけかかってんのよ」
「ハッ、ハッ。それもッ、ムリっス。ガフォ、これ以上スピード出したら、ゲフォ、もっと振動がひどくなるし、フーッ、そのまえにオレの体力がもたないっス」
 引き始めよりは楽になったものの、スピードを上げれば力車が暴れてコントロールしずらくなる。それに普段からの運動不足がたたって、すぐに息があがってきた。走ったのは高校の体育の授業以来のはずだ。
「ごちゃごちゃ言ってないで、早く駅まで送りなさい。あっ、でも、手前で降りるからね。こんなんで駅に横付けしたら、恥ずかしくっていけないわ。あーあっ、もうなによ、埃が服に付いちゃったじゃない。ちゃんと拭けてないわよ」
 戒人の着ている上着は埃まみれだし、ポケットの中のハンカチも真っ黒になっている。文句を言いたいのはこっちの方だが、走って息が切れて言葉を出すのもやっとだし、文句が言える立場を剥奪された残業代がわりの力車代を千円貰っている。それが適切な金額であるかどうかまであたまが回っているのか、いないのかは定かではない。
 なににしろ息切れ寸前の戒人だったが、それを救うような素っ頓狂な声がかかった。
「うぉーい、カイトじゃん。なにしとんだあ、そんなモン引っ張って。今日は祭りじゃないよな」
 とにかく今の状況を止められるなら何にでもすがりたい戒人にとっては、まさに渡りに船で、そこにはボサボサのアタマを掻きながら豹柄のスウェット上下を着た、オマエが祭りだと思わず突っ込みたくなるような男が道端に立っていた。
 この商店街にはマトモな人間はいないのか、それよりこの二人しか人がいないのか。
「よーほっ、ニヒキー、へんひらったかーっ」
「何て?」
 男と、恵が同時にツっこむ。
 ヒザに手を置いて息を整える戒人。背を伸ばしてアゴを上げ、大きく息をついてからもう一度言い直す。
「よーおっ、ニシキ。元気だったか」
 急に立ち止まった勢いで、力車の上で前のめりになった体勢のまま、恵は上目遣いで不審者を見るるようにして戒人に尋ねる。
「誰なのコイツ、この時間に寝起き全開って感じで」
「あっ、コイツ、オレのタメで、さっき話したタコス屋の店長っス」
「ナニナニ、オレのこと話題になってんの? イヤだなー、オレあんまり目立つのキライなんだけどな。なに、オマエんとこで取り上げてもらえるとか? なんだよ言ってくれればもうちょっとまともなカッコウしてきたのに」
――コイツあたまの中もオマツリか?
 左手であたまを掻くのはありがちな仕草としても、右手が下のスウェットの中心部をまさぐっている。
「コラ、コラ、キミ。女性の前で股間に手を突っ込まない! その手でタコス焼いてたら、即保健所に電話するからね」
「ダレ? このオバサン?」
「スイマセン、ケーサツですか? ここに股間に手を突っ込んだ不審者が… 」
「わっ、わっ。部長。待って、ちょっと待ってください」
「かけてないわよ。エアーよ、エア。こんなのにかまってたら、帰れなくなっちゃうでしょ。10時の電車乗らないと、終バスに間に合わなくなるんだから。それともコレで家まで送ってくれるの?」
「ムリっス。5分も走れば息が切れるっス」
「ジョーダンよ、いちいち本気にしないで。家まで乗ったら体がもないし、人前出たら恥ずかしいって言ってるでしょ」
 不機嫌顔をして膝から立てた手にアゴを乗せている恵。
「というわけでさ、急いでるんだ。あとで店にカオ出すからさ、久しぶりに飲ろうぜ」
「おう、そうだな。席空けとくからよ」
 短くやりとりする彼らの言葉が気になった。
「なに? まだやってんのソイツの店。静まり返ってるこの商店街のどこでやってんのよ」
「まだっていうか。これから開店で、それで明け方までやってるんっス」
「ふーん、そんなんで客入るの?」
「つーか、昼開けててもよ、客こねーし。駅前が閉まりだすだろ。そうすると、タコライスで小腹を満たしたいとか、タコスでもう一杯とか、それで終電逃して午前様とか、まあそれなりに客はくるけどよ」
 戒人の代わりに仁志貴が説明をする。たしかにそういうシチュエーションは想像できるが、それなら何故と新たな疑問もわいてくる。だったらさあ… と手にアゴを乗せたままの恵はまだ腑におちない。
「だったら、他の店もそうすればいいじゃない。成功事例があるならそれを商店街内部でヨコ展できないのが不振の原因なんじゃないの。あの会長もひとに文句言う前に、ちゃんと自己分析でもしたらどうなのよ」
「ムリっス。他の店やってんのは年寄りばかりで、深夜営業なんてできませんから」
 企業用語を理解できてない仁志貴を制して、今度は戒人がすぐに答えた。
 そこで、突然、恵が力車の上で立ち上がったもんだから、戒人は跳ね上がりかけた持ち手を慌てて押さえつけてバランスをとり、なんとか引っ繰り返らずにすんだ。
 何事かと振り向くと、またまた、恵が仁王立ちしていた。まったく状況を考慮しない奇行に戒人もあきれるばかりだった。
 どうやらこのヒトは、なにか思いつくとこのポーズとるんだと、いまさらながらに気付いた戒人だったが、仁志貴には初お目見えのためわけがわからない。
「どうしたんだ、このオ… 」
 さっきのやりとりから学べていない仁志貴は、再びNGワードを口にしかけるので、戒人が大きく首を振る。
「 …ネエサンは?」
 ウンウンと、首をタテに振る。
 戒人の気配りもあまり効果を発揮することなく、恵は目をつぶったままあいかわらず何やら考えて込んでいるようだった。


商店街人力爆走選手権

2015-05-16 19:58:25 | 非定期連続小説

SCENE 3

「なんなのココは、タクシーとか通らないわけ?」
「はあ、商店街ですから… 」
 わかっていたとはいえ何もできないままのプレゼンを終え、一度、社に持ち帰らせていただきますと、体裁だけ整えてはきたが、今のままではとても次があるとは思っていないし、状況を変える手立てもない。
「商店街? 廃墟でしょ」
「廃墟にもタクシー来ないと思いますけど… 」
「あたりまえでしょ! なに真面目に答えてるのよ。厭味でしょ、イ・ヤ・ミ!」
 そう言い放って恵は、大きなスライドで歩き始めた。
――ゆとり教育だが、よゆー教育だかしらないけど。なにを基本にそういってるのかって話でしょ。政治のプロパガンダでいいようにネーミング別に世代分けされて、一生レッテル貼られていくだけじゃない。戦後レジュームからの脱却が聞いてあきれるわ。
 恵のスピードについて行こうと、戒人もしかたなく早足で追いかけると、突然立ち止まる恵の背中にあたまをぶつけそうになる。
 寸でのところで接触と、それにともなうイヤミを回避できたと思ったら、そのままの体勢でバックしてくるものだから弾き飛ばされ尻餅をついた。
 臀部を痛打して、顔をしかめながら見上げれば、恵は首を右にひねったままの体勢で目が何かを捉えていた。
「なに? あれ」
 そう言われて戒人は立ち上がり、恵と同じ視点まで来て、その目先の視線に合わせた。
 暗がりの中、大きな車輪と、幌が目に入る。
「ああ、あれっスか。あれは人力車っス」
「あのね、見れば分かるわよそれぐらい。なんでそんなもんがここにあるのかって聞いてるの。アンタも広告代理店の社員なら、その先を読みなさいよ、その先を。ほんとつかえないわね」
「はあ、総務ッスから」
――コイツ、口答えのレスポンスだけは早いんだから、いちおうあたまは回っているみたいね。
「オレが子供の頃、商店街の祭りの出し物で使ってったんス。もっと昔は本当にお客さんのせて営業してたって。昭和初期? オレのおじいちゃんも車手だったって」
「シャシュ?」
「ああ、人力車の運転手です」
 人力車は店舗の隙間に、シートをかぶせられることもなく、おかげで埃をたっぷりかぶって数台が押し込められている。それがもう何年も動かされていないことを明確に示しているようだった。
 恵は人力車の正面に向き直り仁王立ちした。
 ものを考えることに集中し始めると、自分でも知らずにその体勢になってしまう。社内の会議や打ち合わせの最中ならまだしも、得意先でもたまにやらかすので、上司や先様にたしなめられ赤っ恥をかいたことが何度もある。
 戒人は恵の奇行に気を留めることもなく、遅くまで引きずり回されている現状を憂いでいた。
 ただでさえ予定外の時間外労働の負担をしいられているのに、よりにもよって口うるさく、仔細なことにこだわり、何かといえば自分の世界に入ってしまう女性キャリアの面倒まで見なきゃならないとなると、割増料金を貰ってもいいぐらいではないかと思え、理不尽な気持ちになってきた。
「すいません、あのー、今日のって特別手当付きますよね。いやー、これが基本給にコミコミだったら、ちょっと訴訟モンだとおもうんスけどねえ?」
 恵はまったく反応しない。そんな状況にも一向にお構いなしに、戒人は誰に訴えているのか、つぶやいているのだか、ぼやきを繰り返す。
「そもそもあれっスよね。ウチの会社。基本給少なすぎません? オレの同期とかって、すでに年収1000万とかいってるし、ボーナスとかも三桁とか。オレなんかこないだようやくハーフミリオンっスよ。これじゃあ予定しているライフプラんがっ」
 空を向いてしゃべり続けていた戒人の前に、いつのまにか腕組みした恵が鋭い眼光で睨みつけ、あご下を押さえつけてきた。
「なにヌルイこと言ってんの。近頃の若いヤツラは結果もださないで、要求だけは一人前だから始末におえないわ。残業代に見合う働きしてると思うんなら、自分で総務の上長にかけ合いなさいよ。もしくは… 」
「 …もしくは?」


商店街人力爆走選手権

2015-05-03 18:06:44 | 非定期連続小説

SCENE 2


 会長は難しい顔を崩さないまま、親指をひとなめしては企画書をめくっていく。読み終えた方の山は角がふやけて波を打っている。それを持ち帰るのもうんざりするし、それ以上にこのあとに発せられる言葉を想像すると気が重い。
 本来ならプロジェクターを使って、スライドを映し出しプレゼントークで引き込んでいくところだ。
 それなのに、この能天気な息子にひと言、そんな場所ないっスと言い切られ、たしかに通された場所はコテコテの日本間で、プロジェクターをセットするには無理があった。
 急いでPCから複合機へ出力しようと、せっかくだからカラーの方がいいかと思い20ページ送信したら出力するのに20分もかかってしまい、そのあいだコピーが使えなったまわりのヒンシュクをかうことにもなる。
――なれないことするもんじゃないわ。あんなにかかるとはね。だからって、あからざまに不満を前面に出さなくてもいいじゃない。
 心の中でぼやきながらも、おもてむきは張り付いたような笑顔をくずさない恵は、会長の反応を待つしかなく、なすすべもない。
 常に攻めの営業を主体としてきた恵は、こういった場面ではクライアントの表情を読みながら、自信のあるポイントでは力を込めたコメントを挟み、首をひねられればすかさずフォローを入れ、何か聞きたそうであればそこを掘り下げて、有利に交渉を運べるように誘導するのだが、こうも黙りこくったまま、いっさい感情を表に出さず読みふけられると、言葉をはさむタイミングがみつからない。
 なにもかもが悪い方向へ進んでいる時は、変に動いても事態を悪化させる要因となりえると、これまでの経験で学んではいる。ここは辛抱して静をつらぬく方が賢明と判断した。
 会長が最後のページを読み終えたところで、すかさず恵が口を開こうとすると、わざわざ20分かけて出力して、いまや片角のふやけた企画書は無情にも恵の手元に押し返され、そのまま会長は腕組みをしてしまった。あきらかに拒否のポーズである。
 作り笑顔が引きつりかけたのを見透かされないようにそっと手を口にやる。
「こんなんで、本当に人が呼べるのか?」
――そんなの、アホ社長に聞いて頂戴よ。なんで私が弁解しなきゃならないの。
「これは、弊社の社長自ら考案したプランでございまして」
 会長の目が恵を値踏みするように深く睨みつける。
 セリフとしては社長を立てつつも、
自分のプランでないと匂わす姑息な気の持ちようでは会長を納得させられるはずもない。
「なんだかヘンテコなく食いモンと、不細工な着ぐるみで」
「これはB級グルメと、ゆるキャラと申します。いま全国的に人気でして、どこの自治体でも取り入れているんですよ」
――メニューはB級にもみたないし、ゆるキャラどころか、ズッコケまちがいないズルキャラじゃないの。
 オヤジそんなことも知らないのかよ、と言う戒人の発言は、いくら親子の立場とはいえ、プレゼンの場にあるまじき言葉で、恵の説明の腰を折っただけだ。
 役立つ働きをするとは期待もしていないが、せめて足を引っ張らないで欲しいところだ。
 そんなもん知らんと、にべもない会長はさらに追い討ちをかける。
「なんにしろ、この金額では話にならんな。駅前商店街ならまだしも、ウチに出せると思うのかね?」
 恵の目が宙を泳いだ。
 会長の言葉は暗に、駅前に持っていってボツになった企画を、そのまま押し付けてきたのではと言わんばかりで、まさにその通りのオチに冷や汗が出た。
「そのようなことはございません。ぜひこの商店街の発展のお役に立てればと、弊社といたしましても精一杯、ご尽力させていただく所存でございます」
――なによ、このオヤジ。結構、しっかり見てるじゃないの。尻尾つかまれないうちに抜け出さないと、私の華麗な経歴にキズがつくじゃない。だいたいムリなのよ、ムチャなのよ、ムボウなのよおぉ。
「言葉はたいそう立派だが、ワシに言わせれば身が伴なっとらんのだよ。ここの商店街のことを何にも知らず、店の者や、買い物客とのふれあいもないまま、ただ机の上で考えただけで何かが変るほど、この世の中は甘くないんじゃないのかね。ここは… 」
 ひたすら恐縮している恵を見て、続けて言うつもりだった言葉を飲み込み、別の話しに切り替えていた。
「ワシとしてもね、息子が世話になっている会社の話だから、無下にもできんと思って話しを聞いてはみたが、もう少し現実的な案を持ってきてくれなければ、これ以上は時間の無駄になる。とにかく今日のところはお引取り願おうか。戒人。このお嬢さんを送っていきなさい」
 大きく机を叩いて、会長は離席してしまった。恵は資料などをカバンに詰め込みながら、会長を呼び止める。戒人は空腹のお腹をさすりながら、その様子をただ眺めていた。


商店街人力爆走選手権

2015-04-19 10:14:12 | 非定期連続小説

SCENE 1

「ひどいわね。思った以上だわ」
 八割方シャッターが下りている商店街を眼前に望み、時田 恵(トキタ・ケイ)はあきれた様子で言った。
「典型的なシャッター商店街スよね」
 恵のその隣で腕組をしてわかったような口を聞く、瀬部 戒人(セブ・カイト)に、怒りに近い不快な気持ちが湧いてくる。
――アンタが言うな。
 恵は気を取り直して、もう一度まわりを見渡す。
 シャッター商店街というのが誉め言葉に聞えるぐらいの有様で、良く見ればシャッターの数より木戸が打ち付けてある店の方が多いぐらいだ。
 黒のビジネススーツで両手を腰に当て、ふんぞり返らんばかりに仁王立ちする恵。
 ただでさえ気がめいってるのに、お調子者の戒人を引き連れて、案の定緊張感のかけらもない言動にイラついてしかたがない。
 とはいえ、ひとりで目的の場所に向かうわけにはいかない。
 幸か不幸か、恵にとってはかなり不幸といえるだろうが、この商店街の会長がこのノーテンキな男の父親で、今日のプレゼンの段取りをとってもらった貢献者ならば無下にはできない。
「だからって、調子のるんじゃないわよ」
 恵が目を閉じて戒人に言い放つ。
 突然、わけもわからず文句をいわれてたじろぐかと思えば、自分のことを言われているとは思っていないらしく、両腕をアタマの後ろに組んでボーッと突っ立っている姿を見て、ますます苛立ちが増加してく。
 ゴースト商店街に手を差し伸べ、見事V時回復への足がかりをつける画期的なプランを提案する。といえば聞えは良いかもしれないが、実際は総合ステーションに建て直しされた、この市の顔とも言える駅へとつながる駅前の商店街へ食い込みを目論み、経費に乗せられない金を遣った根回しをしながらも、これまで太いパイプでつながっていた、大手の代理店にそっくり持っていかれるはめになり、少しでも利益を回収するための悪あがきでしかない。その貧乏クジを引いたのが恵であった。
――利益の回収どころか、泥沼に足突っ込んでいくようなもんでしょうに。
 そもそも、最初から勝算の薄い戦いだったのはわかっていた。とはいえ、黙って指を咥えていても会社がジリ貧になっていくのは明白だ。
 恵にとって納得がいかなかったのは、自分が提案を却下され、社長肝いりの企画で勝負しなければなからかったことで、自分のプランとともに玉砕するならまだしも、どうみても二番煎じとしか思えない社長案で戦えといわれても気持ちがノルはずもなかった。
「まったく、私のキャリアをなんだと思ってるのよ。これはあれよね、パワハラだし、モラハラともいえるし、セクハラも入ってるわよね。マタハラ… それはないか」
 とにかく気に入らないことこの上なく、なにかと文句をつけたがるのは近頃の風潮だが、恵の場合それだけで収まらない。
「だいたい良い案だと思うんなら自分でやりゃいいのよ。なにが『別の商店街で成功させてヤツラのハナをあかしてやろう』よ。こんな廃墟間近の商店街でなにやってもうまくいくわけないでしょ。し・か・も、しかもよ、このいかにも出来なさそうな社員の父親がたまたま、会長やってるからってむりやりアポとって、安直過ぎるでしょうに」
 会社を出てから五度目の愚痴を言い放った。
「部長さん。それもう五回目っスよ。それも本人の前で。もう耳にタコっス」
「数えてんじゃないわよ! 何がタコっスよ! タコスが食べたかったらメキシコにでも行けばいいでしょ!」
「はあ、メキシコですか。タコスならこの商店街にもあるっスけど、行ってみますか?」
「行かないわよ。なんでこんな商店街でわざわざタコス食べなきゃいけないのよ。厭味で言ってるのよ、イ・ヤ・ミ!」
「はあ、イヤミっスか」
 恵はアタマを押さえた。これ以上続けても頭痛の種が増えるだけだ。
 商店会長の家、つまり戒人の実家に案内してと、アゴを突き出すが、察しの悪いこの男は訳もわからず突っ立ったままだ。
「いいから、早く会長の家に連れてきなさい!」