「アヤさあ、ホントにオンナなの?」ショウタの顔に悔しさが滲んでいる。
「なんでヨ?」
アヤは橋の欄干に腕をのせて川の流れを漠然と眺めていた。ショウタは欄干を背に、ボールを体に挟んだ状態で座り込んでいる。モールの通りから離れた場所にふたりはいた。
ショウタが騒ぎを起こしてモールに迷惑をかけてれば、その尻ぬぐいはマサヨのところにやって来る。忙しいさなかにそんな面倒が増えれば仕事が遅れてしまうと動揺していた。
ただでさえ、モールで子どもを遊ばせないでと会長からは口うるさく言われており、マサヨのような子持ちでは、かと言って家に閉じ込めておくわけにもいかず、言うことを素直に聞く年頃でもなく思い通りにならない。
ショウタはただ、アヤにサッカーを教えてもらおうとボールを奪おうとしているだけで、通行人が勝手に集まって盛り上がっていることを自分の所為にされては、たまったものではない。「そんな、、 」
「ゴメンなさいっ!」ショウタが言い訳をしようとするとアヤがそれを遮った。
「アタシがいけないんです。ショウタを巻き込んでしまって、ゴメンなさい、、」ボールを両足に挟んだ状態で、手を後ろに組みアヤはあたまを下げた。
取り巻きにしていた人垣は、なんだか居心地が悪くなり、まわりの様子を伺いながらその場を離れて行った。いつまでもアタマを下げているアヤに、マサヨもどうしてかいいかわからず、店先でいつまでもそんなことをさせておくわけにもいかず取り成した。
「わかったから、アタマをあげてちょうだい」
「ショウタは何も悪くないです。どうか決めつけて怒らないでやってください」
「アナタ、どなたなの?」見知らぬ女性が低姿勢でショウタをかばっている。マサヨは振り上げたコブシの落としどころを失い、怒りも失せていく。
「サッカークラブの関係者で、ショウタに今日のおさらいを指導してたら、熱がこもってしまい。やりすぎました。別で続きをやりたいので、ショウタをもう少しお借りしていいですか?」
そういうことならと、マサヨはココではやらなきゃかまわないと釘を刺して、ショウタを預けることを承諾した。その時間で仕事をかたづけようと、いそいそとまた店内に戻ってく。
そんなやりとりのあとふたりはふらりとモールを歩き、ここに行きついた。なんとなく会話も途切れたところショウタの悔しさがぶり返してきた。
「だってさ、サッカーうまいし。オッパイ、ペッチャンこだし、、」
すかさずアヤの右足がショウタの足下をつつく。
「あのさあ、ショウタ、、 もう少し言いようがあるでしょ。ピンチを救ったんだし、それ二重の意味で失礼よネ」
「だってさああ、、」そう言いながらも二重の意味がわかっていない。
「アタシがオトコだったら負けた言い訳が立つって思ってるんでしょ。じゃあさあ、そうやってみんなに言ってまわったら? 実はオトコだったから、負けたってしかたないってさ」
蝶々がヒラヒラとショウタの鼻先を嘲るように飛び回ると、欄干の上にとまり羽根を閉じた。
「ごめんなさい、、」ショウタはぐうの音も出ず首をもたげる。
「ショウタ、サッカーうまくなりたい? それとも誰かのマネをしたいだけなの?」
とまっていた蝶々がまたヒラヒラと舞いはじめた。澄んだ川には小魚が2~3匹で、流れに逆らって尾びれを振っている。
何も言ってこないショウタをみて、アヤが続ける。
「アタシはショウタがうらやましい。戦ってくれる相手がいるからね。倒すべき相手もいる。なんだってできる。負けたってやり返せる次がある」
「 、、アヤはいなかったの?」
ハナシの流れからそうなのかと訊いてみた。アヤは少し間をおいた。訊いてはいけなかったのかもしれない。進むことのなかった小魚は身をひるがえし川岸に進み、流れが弱まったところで回遊しはじめた。
「どうだろ? いたのかもしれないし、見つけられなかったのかもしれない」
高校生になってからは部活に入らずに、ひとりで練習を続けていた。何かと戦うことにもう疲れていた。自分の技を高めることだけに集中していた。
比べる対象は何もなく、うまくなったのかどうかもわからない。こなせる技は増えていった。それが何の役に立つのか、どの場面で使えるのか、何もわからない。
ただ誰とも争わない状況に気持ちが楽になると同時に、もう一度誰かと戦ってみたいという気持ちを、いろんな理由をつけて押し殺していた。
それが今日、ショウタと戦うことで、ひとつひとつ検証出来ていった。真剣に戦うことに理由はいらなかった。あの日の自分と相対させながら、なによりも本気になっていく自分を止められなかった。
それと同時にわかったことは、どれだけ練習を重ねてきても、小学校4年の自分を越えられていないことだった。もちろん技術はあの時とは雲泥の差ではあった。
あの時のカラダの動きは脊髄反射で反応していた。誰よりもうまくなりたいと渇望した。誰にも負けたくないと貪欲だった。いまの自分は技術はあってもその根本的な部分が劣化していたことに気づいた。
時は戻ってこない。どんなに望んでも。もう一度はないのだ。その時にやるべきこと、やりたいことをしておかなければ後悔だけが後に残る。
「あのさショウタは、アタシと勝負してて、悔しいばっかりだった? 悔しくて何とかしたくって、やり返したくて、、」
ショウタはジロりと上目遣いになった。悔しかったに決まっている。
「 、、悔しい気持ちがあるうちはいいよ。まだショウタは戦える。でもね悔しがってやるより、楽しんでやったほうがいいんじゃない」
ショウタはアヤの言う事をポカンと聞いていた。悔しさをバネに強くなるのがマンガや、アニメで見たヒーローだ。楽しんで戦ったらヒーローではない。
アヤは今はそうでもしかたないとショウタの顔を優しく見た。自分もわかっていなかった。サッカーをすることで敵を作り、敵に打ち勝って認めさせることが目的になっていた。
「自分よりうまい相手がいたらワクワクしない? どうやって倒してやろうかって楽しくてしかたないけどな」
アヤはショウタと戦ってるとき、いつも笑ってた。それは楽しんでいるというより、バカにされているとしか思えなかった。
「ボクだって、うまくなりたいんだけど、、」
ショウタはアヤに何を言われても、どうすればいいか判断がつかないままだ。それがわかっていれば、これまでもやっていたし、このままではわからずに日々を過ごしてしまうのも目に見えている。
自分は本当に上達できるのか、母親に苦労をかけてまでやるほどの価値があるのか、そうまでしてやった結果が報われるのか。
時折りこんな刺激を受けて少しはモチベーションが上がったりするが、それを継続させるまでの熱量にはならない。そうであったことを後悔するのは、やはりアヤぐらいの年齢になってからなのか。
あって当たり前の環境を用意されている者は、そのありがたみを知ることはなく、手に入れられない環境にある者は、なにをどうあがいてもその恩恵を受けることはない。
その分あがくことへの熱量が高まり、自分の力量以上を発揮できることもある。自分をここまで高めることはできたのは逆説的に言えば、目の前にある障害のおかげだったとアヤは感じていた。
「あのね、ショウタ。なんでもできるコがウマくなれるわけじゃないヨ。できることが少なくて、たくさん詰め込めなけりゃ、できたことだけを磨いて自分の武器にすればいい。そうすればその武器は誰にも負けない力を持ち、ショウタが戦うための強い味方になるんだから」
なんだかゲームの攻略でも指導されているようだった。ショウタは自分ができることが少ないから、仕方がないと言われている気になっていた。サワムラやアヤのようなテクニックをマネするなどおこがましいと。
すぐそこにある成果は、捕まえられないからこそ捕まえようとして、捕まえるために自分を高め、それでも届かないことで継続し続けることができる。
手の届く場所に最初からあり、いつでも自分のモノにできるならば、誰が努力を惜しんでそれを手に入れようとするだろうか。
「誰かのせいでこうなったとは思わないように、自分で決めなよ。ショウタは自分で決められるポジションがあるんだからさ」
ショウタは小さく肯いた。肯いてみたものの本当はアヤの言葉が正解なのかわからなかった。アヤがそう言ったからそうなんだと肯定した。
ポジションはフォワードがやりたかった。コーチにはフォワードは希望者が多いから、別のポジションも考えておけと言われた。余り見込みがないのだろう。何れにせよアヤの言っている意味とは違う。
まわりには自分よりうまいコがいっぱいいた。ショウタもそうなりたいのになれない。練習だってしてるのにうまくなる感じがしない。コーチもいろいろ教えてくれるけど、やってみせると少しこまったカオをして、何回もくり返せと言うだけだった。
アヤは足下にあった小石を蹴って川に落下させた。水面にしぶきと波紋が拡がり、ある場所まで来ると流れに取り込まれて消えてしまう。川は何もなかったように、すぐにいつもの表情へ戻っていった。
アヤの目にも当然ショウタの不味いところは見えていた。自分ならこうするのにとか、こうすればいいのにとか幾つも注意点が浮かんだ。
自分はそれを大人から指摘されるのがイヤだった。反発して余計にやらないこともあった。かつて自分に線引きをした大人に嫌悪感を抱いていたはずなのに、自分がその立場になれば同じであることに心が痛んだ。悲しくて涙が出る。
「どうしたの、アヤ? 泣いてるの?」
「ボクさあ、ガンバるからさあ、泣かないでよ。うまくなるように努力するからさあ」
なんとかしてアヤを励まそうと、ショウタはそんな見当違いのことを言い出した。アヤは洟を啜って涙をこらえた。
「そういうことはお母さんにいいなよ。そんなことよりさあ、ショウタ。どうするの?」
「なにが?」ショウタはおとなの女性の涙を見てドキドキしていた。
「サッカー教えてってハナシ」あきれてアヤがそう言った。
「でも、ボク、ボール取れなかったよ」
「アタシは、イイよ、、 ショウタが望むんなら」
「ホント!? 、、でもボク、アヤにお金払えないよ」
「なにショウタ。アンタ、お金払ってナニ教えてもらうつもりなの?」
アヤのこれまでおかれた環境と、持ちえる能力を何のために使えるかを考えたとき。それがもしショウタの役に立つならそれでいい。ショウタが持ち得た力が、それを持たない人の支えになるなら、同じようにしてくれればいい。それが自分への対価になるはずだとアヤは思った。
「そういうことは、アタシからボール取れるようになってから言いなヨ」
ショウタの腹に収まっていたボールをアヤは足先で掻き出す。コロコロと橋の向こう側へボールは転がっていく。
「あっ、ズルいぞ」これはズルいといえた。ショウタは立ち上がってボールを奪いに行く。
アヤも続いた「アタシね見た目より大きいんだヨ」。変なところで意地を張るアヤだった。
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