private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(出会いの広場で 3)

2024-08-04 21:58:15 | 連続小説

 あのーと、突然呼びかけられて、ダイキは驚いてそちらに目をやる。
 大人しそうな女性が申し訳なさそうに立っていた。
「スイマセン、ここのピアノの演奏は8時までなんです」
 さらに申し訳なさそうに、消え入るような声で何かを指差してそう言った。ダイキがその指の先を見ると、木枠に立てられたボードに、ピアノの演奏に関する但し書きが貼られていた。
 ”演奏は午後8時まで”確かにそう書かれている。酔いざましに飲み屋から歩いているので、かれこれ10時は過ぎているだろう。
 ボードがある反対側から椅子に腰かけたので、ダイキは気づいていなかった。謝罪の意味でアタマを下げ、長居は無用と腰をあげようとすると、アキがあわてて言った。
「いえ、悪いのはわたしなんです、、」
 ダイキは意味がわからない。少し首をひねる。
「 、、わたしが忘れてたんです。本当は8時になったらピアノのカバーを下ろして、カギをかけてシートをしなくちゃいけないのに。それを忘れてて、、」
 通りがかりのダイキに、それを釈明しても仕方ないはずだ。ダイキは咎めるつもりもない。
 近頃ではそういったミスをなじったり、逆ギレすることもあるので下手に出ているのか。それに酒が入っているとわかるダイキを警戒するのも仕方がないところか。
「いえ、悪いのはこちらです。注意書き見落として。それに、それを見なくたって、こんな時間に非常識ですよね」
 なるべく丁寧に、相手に対して敬意を込めてこたえた。
「あっ、いえ、ピアノの音が聴こえてきて、思い出せてよかったです。以前も忘れてた事があって、それも夜中に音が流れてきて、慌てて止めに行ったら、酔っぱらいサンで、、 出してあるから弾いてもいいと思うだろって、怒鳴られて、それで随分と長い間、お叱りをうけて、、 」
 アキはそう言って下を向いた。やはりダイキが想像した通り、そんな過去の苦い記憶が彼女にはあったのだ。お叱りなどと柔らかい表現をしているが、多分相当に絡まれたのだろうと想像がつく。
 同じように酒が入っているダイキに警戒をするのも仕方なく、さらに前例をあげて、同じようなことをして欲しくないと、予防線を張っているようにも見えた。
 小柄な女性と自分のような男では、恐怖を感じてもしかたない。ダイキとしては、そんなヤツと同類にされるのも心外なので、なるべく冷静に、温和に話をする。
「あなたはここのモールの管理者の方ですか? 大変ですね、こんな遅くまで」
 夜中に気づいたということは、店舗に住み込みで働いているか、管理会社で夜間管理を担っているかどちらかとの読みだ。店舗で住み込みしているならば、立ち入った話になるので管理会社を先にした。
 ただ、彼女の容貌からは、夜勤の警備を仕事にしているようにはとても見えず、気を使って話すにしても無理があったかもしれない。
「いえ、あの、ココって、新しい感じのモールなんですけど、昔の商店街の名残が残ってて、月一回ぐらい各お店で夜当番があるんです。だからつい、、」
 だからつい忘れがちなのだと言いたいのだろう。アキは下を向いて所在なさげになった。ふたりのあいだに言葉が途切れ、しばらく静寂が流れた。
 その時、どこからかオトコの荒くれた声が聞こえた。アキの顔にサッと不安がよぎった。心臓がつかまれたように痛んだ。この良き日に悪いことは起きて欲しくない。
 ダイキも耳をすませた。アキの顔から血の気が引くのが目に見えてわかった。何かあれば自分が手助けするつもりだった。
 次にイヌが鳴くような声が2回、3回と聞こえ、そしてまたモールは静まりかえった。ダイキは大丈夫とばかりにアキに何度がうなずいて見せた。
 今度は広場につながる通りに足音が聞こえてきた。そのリズムだと走っているようだ。ダイキは立ち上がりその方向を見た。女性らしきランナーが駆けていく。アタマから被ったフードの中から、こちらをチラッと見たようにみえた。
「あのひと、イヌに突っかかって吠えられてもしたんでしょ」
 ダイキはそう言ってアキを安心させようとした。
「えっ、ああ、はい、そうみたいですね。よかった」ホッと、安堵するアキ。
 これでは彼女に夜警など無謀すぎるとあらためてそう思った。ダイキもこのまま帰るには忍びなくなっていた。言葉をつながなくてはと、それにしても、、
 そう言い出しながら、何を言うべきか考えている。アキは上目遣いに顔をあげる。
「、、大変ですね、、」
 どうにか出てきた言葉がそれだった。最初にも大変だと言っており。大変なのを認めさせようと、必死になっていると思われるようで何とも気まずい。
「そうなんです、、」そうアキは合いの手を入れてきた。
 ダイキの苦し紛れに、アキの不満がつながったようだ。さきほどの恐怖から解き放たれて、たまっていた言葉が排出された。
「いくら当番とはいえ、どの店にも同じように夜警をさせるのは無理があると思うんです、、」
 確かにダイキも最初に気になった部分であった。酔っぱらいに絡まれてトラウマになってしまうメンタルで、それ以上の状況に対応できるとは思えなかった。
 どんなお店に勤めているのか、線の細いこの容姿では、犯罪を未然に防ぐどころか、二次被害につながりそうで心配になる。今の状況を見ても明らかだ。
「 、、それにウチみたいな新規出店の新参者は、回数も多いんです」
 愚痴られても何の解決案もなく困ってしまうダイキだが、今はアキの話を聞くことが大切だ。
そうだったんですねと労う。きっとモールの組合で、そういった力関係が働いているのだろう。
「さすがに危険だと感じたら警察を呼びますけど、だからと言って安易に通報もできないし。どこからって線引きが難しいんですよね」
 その結果、酔っ払いにご指導ご鞭撻をいただいたのだ。
 ぐるりと通りを見渡すダイキ。いくつもの店舗が死んだように並んでいるだけで、生活感は伝わってこない。昔の商店街なら通りに面する場所に店を構えていても、奥が住居になって人が住んでいたので治安も保たれていたのだろう。
 今時なら、防犯カメラとか、警備会社に委託するのが無難なはずだ。
「確かにそうですよね。下手なこと言えば、その人みたいに逆ギレされるかもしれないし」
 あくまでも自分はそちら側ではないとダイキは含みを込める。アキは目を閉じてうなずいた。自分の中にあったわだかまりがスッキリして開放的になっていた。
 今日は思い切った行動がすべて良い方向に進んだ。そういう日は何をしても成功する。そんな一日になった。ならば最後にもう一つだけ願いをかなえたい。
 一方のダイキはそうではない。今後の人生を左右する重大局面にいた。さしあたっては妻にどのように言い訳するかを考えねばならない。それなのに何か夏休みの宿題を後回しにするように、現実を遠ざけていた。
 アキはピアノの椅子に腰かけてしまった。ダイキは本当は早くピアノから離れたかった。警備の話しをしたのもピアノの話題に振られたくはなかったからだ。
「素敵なメロディでしたね。何だか昔、聴いたような? 聴いたような、、」
 アキがポツリと言った。
「、、、」
 ダイキの目論見は残念ながら叶わなかった。ストレートにその部分を付いてこられ、ダイキはふたつの意味で苦笑いだ。
 さすがにダイキも時間帯を考慮して、小さな音で弾いていた。思い出しながらであったし、スローテンポになったことも合い間って、余計にバラード調になってしまった。
 本来のテンポではないからか、それともリズムが悪いからそう聴こえたのか、いずれにしてもオリジナルには程遠い曲調になってしまっていたので、それをどこかで聴いたと言われると恥ずかしいばかりだ。
 せめて何と言う曲なのかは聞かないで欲しいダイキだ。
「何て言う曲なんですか?」
「、、、」
 目を伏せて天を仰ぐダイキ。ことごとく向かいたくない方向へ進んで行く。やはり今日は厄日なのか。
「あっ、ごめんなさい、余計なこと聞いて。前のひと、デタラメに弾いてて、今日は音が聴こえてきた時、慌てたけど、聴いたことのあるメロディで、何だか少し安心したんです。きっと前みたいにはならないって」
 またも予防線を張られた。前回の印象がそれほどキツく、よほど辛い体験だったのだと同情しながらも、その経験を活かして、新しい自分を模索している姿も見て取れた。
 誰しも自分だけが弱い人間だと負い目を持っている。なにをしても運がないとか、自分の時に限ってそうなるだとか。そういう負の思いに囚われていては前に踏み出せない。まさに今のダイキだ。
 そんな時は自分より不運なひとを見つけることで、自分はまだマシであると心のバランスを取ろうとする。そんな対比で自分を上げたところで、なんの意味もないとわかっているはずなのに。
 落ち込んでも、またはい上がれる。人生はそんなものと、これまでの経験が示しているのに、今はどうしてもそう考えられない。
 だがそれはふとしたきっかけで好転することもある。はい上がる時に前より強くなっていればそれでいいのだ。いまのアキのように。
 それは自分が弾いた曲に込められたメッセージに近いのではないか。高校の時は意味もよく知らず、語感の耳障りだけでカッコよく感じられていた曲だった。
 大人になってからその訳詞を知り、ストーリー性のある世界観と、勇気づけられる言葉に改めて魅せられたことがあった。

 自分もいつまでも引きずっているわけにはいかない。ダイキはアキの姿をみて、また、こういう場に遭遇して、これは自分に与えられたチャンスなのかもしれないと思いはじめた。
「そうだったんですね。静かに弾いてよかった。でもホントはロックの曲で、もっとスピード感のある曲調なんだけど、高校の時以来で、思い出しながら弾いたから、こんな感じになってしまっただけで、、」
「あっ、やっぱり、そうですよね、、 アメリカンロックバンドのヒット曲ですよね。わたしも若い時によく聴きました。大好きな曲なんです。だから、そのバラードアレンジなのかなって思って、、」
 彼女はいつも、”あっ”と言う感嘆詞から話し出す。それが癖なのか、常に何かに驚き、それを緩和する目的で使っているのか。
「そんな、、 アレンジだなんておこがましい。そんなテクニックなんてないですよ」
 アキがピアノから離れなかったのは、できればもう一度、ダイキにこの曲を弾いて欲しかったからだ。思い出の曲であり、あのタイミングで耳にした曲。今日という最良の日に花を添えるにふさわしい曲だ。
 とは言え、あからさまにリクエストもできない。どうにかしてそういう方向に持って行きたく話を振っているのだが、なかなか思うようにはいかない。
 ダイキも、もう一度この曲を弾いてみたかった。最初の演奏で大体の感触が戻っていた。次に弾けばもう少しマシな演奏ができそうだった。そして明日への希望が見えるような気がした。
 しかし、止めに来た人にもう一回弾いていいいかとは訊けなかった。先ほどの警備の話しにかこつけて探りを入れることにした。
「見た感じこのモールは、店舗に人が住んでいるわけではなさそうですが?」
「えっ、ええ、そうです。どの店も皆さん出勤して来るんで。もちろんわたしもそうなんですけど、この日ばかりは仕方ないです」
 ダイキがなにを気にしているのか、アキにはうすうす気づきはじめていた。
「じゃあ大丈夫だ」そう言うダイキの言葉に、アキは何が大丈夫なのか理解できた。
「大きな音を出さなきゃ、ピアノを弾いても」と続けられ、アキは期待を込めてうなずく。
 遠回りはムダではなかった。ガツガツと結果だけを求めるよりも、関係のない会話から本意に導かれることもある。アキには今日の復習になったようだ。
 ダイキはメロディラインを奏でた。これぐらいなら大丈夫かと目を送る。彼女もそれに応えてうなずいた。
 高校時代に何度も繰り返し、練習して必死に覚えたことは、時が経っても薄れることはなかった。それがこんんなカタチで披露できることになるとは思いもしなかった。
 軽やかなイントロからはじまる。誰もが一度は耳にした馴染のリフだ。彼女も首を振ってリズムを取る。
――独りぼっちの少女と、都会に憧れる少年が、住んでいる場所から旅立って行く、、
 テンポのいいイントロを経て、ダイキが口ずさむと、彼女もそれに合わせて歌い出す。
 サビに入るとダイキは少しだけ弾力を強くした。ただ、鍵盤を押し込むのではなく、直ぐに離して余韻を残さないようにリズムを取った。
 アコースティックピアノのいいところでキーのタッチで好きな音量にできる。それにはじめて弾いて気付いたことが、意図せぬタッチが良い具合の音を出して表現が広がっていくこともあった。
――見知らぬ人が待っている通りに。闇間に希望を隠して暮らしている、、
 ダイキと彼女は身体を大きく前後させてハモっていく。
――街明かりに照らされても、自分の感情を出せずにいる、、
 その想いを吐き出すような間奏に入る。本来ここはギターのソロパートだが、ダイキもユニゾンで弾けるように練習していた。
 ギターが自分のテクニックを見せつけるように、いつもアドリブで弾き出すので、原曲の章節を把握できるように、他のメンバーで決めたことだった。
 彼女もそれに合わせてハミングをする。ダイキは笑みがこぼれた。そして間奏と同じメロディーラインである最後のパート。
――信じることをやめないで、、
 ささやくようにして合唱した。顔を見合せたふたりは笑顔を見せあった。
 エンディングはミュージックビデオでもお馴染みのポーズで決めた。両手を挙げて人差し指を立て天を指す。
 そしてアキは小さく拍手をした。ダイキもそれにあわせた。なにも打ち合わせしなくても、ふたりがそれぞれ持っていた過去の記憶が、ここで折り重なって再現された。
「今度は、営業時間に思いっきり弾きに来てください」アキはそう言った。
 ダイキは微笑んだままうなずいて見せた。しかしお互いに、その時間は訪れないであろうと知っていた。今はこの時間がつくりだしたキセキに感謝するだけでよかった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿