private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(ホテルマリアージュ 2)

2024-09-29 18:20:45 | 連続小説

「五千円。前金だ」。宿帳を確認したホギは、ワカスギにそう伝えた。
 ワカスギはとにかく一度座りたかった。立ったまま札の枚数を数えると目まいがしそうだった。
 件のタクシードライバーは、飛ばすけど良いかと訊いてきたので、ワカスギはホテルは近いのか遠いのか尋ねた。タクシードライバーはニヤリと笑ってすぐそこだと答えた。
 すぐ近くなのに急ぐ理由がわからなかった。それなのに、どうぞと言ってしまった。そう言わなければいけない気がしたのだった。ここはタクシードライバーの好きにさせれば良いと。どうせ乗りかかった船ならぬタクシーだ。
 そしてワカスギはすぐに後悔した。信号の度に加速、減速が繰り返され、直線で幾台ものクルマを抜き去った。角を曲がる動作も激しく、スピンターンでもするかのような切込みをしてタイヤが鳴った。
 角を曲がった立ち上がりでは、道幅一杯に膨らみつつ加速をするので、クルマが前を向いた時にはかなりのスピードがでており、他車がいればすぐさま抜き去っていった。
 初乗り区間なのでホンの5分ほどの乗車にも関わらず、これ程のダメージを受けていた。タクシーから降りて平衡感覚が狂っていた。それもすべて自身が望んだ結果だから仕方はない。
 ホテルの佇まいに感心して、気になるカップルを目にした。ある程度の情報の整理ができ、宿の目処が立ったところで気持ち悪さがぶり返してきた。
「スイマセン、ちょっと座らせて下さい」
 ホギにそう断ってワカスギは手近にあるテーブルから椅子を引いた。
「酔ったか?」。ホギはそう聞いた。
 その問いは酒に酔ったと訊いているようにみえなかった。多分に、あのタクシーに運ばれた客が一応に見せる姿なのだ。
 ワカスギはどちらともつかない曖昧な首肯を見せるのが精一杯だった。どう見られてもよかった。無理やり飲まされた酒でイヤな酔いかたをして、さらに運転の粗いタクシーに乗ったと、そんな言い訳など意味もなく、すでにこうなると決まっていたことだ。
「いつものことでしょ」ワインの女がそう言った。ワカスギにではなくホギに言ったようだ。
 ホギは反応しなかったが、相席の男がちょうどいいハナシのネタだとばかりに食いつく。会話が途切れてしばらく経っていた。
「なんだいマキちゃん、やけに詳しいねえ。もしかしてココは定宿かい?」
「つまんないこと、訊くんもんじゃないわ。タマオはに関係ないでしょ」
 言葉は厳しくても、微笑みながら静かな口調でそう言った。だが目は笑っていない。
「関係ないって、冷たいなあ。それにボクの名前はタマオじゃなくって、タマキだってさあ」
 顔はニヤけて、優しい口調でマキを正す。こちらも目が笑っていない。
 お互いに自分の価値は高め、相手を下げようとする魂胆だ。主導権を握るための駆け引きをしている。
「細かいこと、こだわらないの。あんたタマつい、、 」
 ワカスギには仲よさげに話しをしているように見えるふたりを横目にして、イスに腰掛け一息ついた。後のポケットからサイフを抜き出そうと、腰を浮かす動きも億劫なのか、力を入れないと動作が伝わっていかない。何とかポケットから抜き出し、長財布を開こうとする。
 この世は奇妙なことがしばしば起こる。自分の認識範囲内であれば、それば現実的な出来事で、そうでなければ奇妙な怪奇現象に振り分けられるだけのことだ。
 人が自覚できていることなど、さしてあるわけではなく、多くの怪奇現象を偶然の出来事とひとまとめにしてしまう。最初からそうなると決まっていたのに、そう考えなければ気持ちが収まらないからだ。
 ワカスギは取り出したサイフを開くのを止めてポケットに戻しクビを振った。尻の収まり具合が良くない。そう思えばタクシーの中でも違和感があった。もっとも走り出したらそれどころではなかったが。
 さて、どうしたものかと思案する。ホギはワカスギの様子を伺いつつ、どう出るのか次の行動を待っている。よくあることだとばかりに平静を保って楽しんでいた。
 ワカスギは、今度は前ポケットに手を突っ込み、タクシーや、コンビニでのお釣りだのを握り出してテーブルにひろげる。600円ぐらいはあるようだ。
「スイマセン。ボクにもビールをいただけますか?」。振り向いてホギにそう伝える。
 ホギは少しだけ口角をあげた。思ったほどボウヤではないことに感心しながらも、それは表情に出さないように努めている。
「300円だ。 、、前金でな」。ホギはそれだけ言うと、フリーザーから缶ビールを取り出してカウンターに置いた。
 良心的な値段で良かったと安堵しながらも、受け取りに行くのは難儀だった。仕方なく背もたれに手を掛けて大仰に立ち上がる。
「よかったらこっちに来て飲みなよ」。マキがそう声をかけた。
 そう言ってもらいたくてビールを頼んだ節もあるワカスギは、ただタマキには気を遣う素振りで目線を送ってみた。ホギは笑いを堪えきれずムフッと声をあげた。
 その様子を見て、すかさずマキがワインのアテにしていたアーモンドを投げつける。ホギには当たらず、カンカンと音を立てカウンターの奥に転がっていく。ホギは口に手を当てた。
「なんだい、天秤にでもかけられちゃうのかな。ボク?」
 ワカスギとしても諍いはゴメンだった。ビールの男には粘着性の気質が見て取れた。300円をカウンターに置いたワカスギは、元に居た椅子に座り直してプルトップを開けた。ひと口飲むと少しアタマが晴れた
「あら、フラれちゃったようだねえ。マキちゃん」。マキの株価が下落したとみて、今度はタマキが強気に出る。
 ホギはそれをみて奥の戸を開き中に入って行った。トイレにでも行ったのか。まだワカスギのホテル代は未納のままだ。
「手札も知らないのに、、 勝負はこれからなんじゃない」
 勝負とはマキがどちらを堕とすのかを指しているのだろう。意に反して戦いの場に上げられていることに、些かの不安と好奇心が同居していた。
 ビールを飲みきっていたタマキは首をすくめた。次の酒に代えたいところで、ホギにオーダーするタイミングを逸してしまった。
 マキも手持無沙汰にワイングラスの底を指先で押さえて、テーブルの上でクルクルと回していた。残りで持たせるか、空けて部屋に戻るか考えあぐねている。
 皿の上のナッツやら、チーズのアソートは、まだいくつか残っているので、できればもう一杯飲みたいところだった。
「飲み足りないんでしょ?」マキはそう言って席を立つ「ビールでいいよね? タマオ」
 他の酒にしたっかたはずのタマキは、ビールも、名前のことも否定せずに、トロンとした目でうなずきながら、マキの動きを目線で追っていた。
 黒いロングのタイトスカートが歩く度に脚にまとわりついて、深く切り込んだスリットから、その度に透明感のある肌が現れる。
 桃の底部のように膨らんだ臀部は歩く度に右へ左へ揺れ動いた。本人はそれを意識して行っているわけでなく至って自然体だった。それなのに男たちの創造量は勝手に盛りあがっていく。
 マキの肢体が醸し出す歪みと復元。単なる肉体の伸縮が神々しく目に映り、タマキは満足そうな表情を浮かべ、ワカスギも目が離せなくなっている。
 マキはホギが不在のまま、カウンターの中に勝手に入って行くとフリーザーを開け、缶ビールと赤ワインのボトルを取り出した。
「アナタももっと飲む?」。小首をかしげて問いかけるマキに、ワカスギは無言で首を横に振った。

「あら、お金なら心配いらないわよ」。と、当然のように言う。
 カウンターで頬杖を付き、前かがみの体勢でワカスギに選択を迫ってくる。大きく割れた胸元に極細のプラチナが光り、丸みを帯びた胸部に張りついていた。
 ワカスギは生唾を飲み込むのをガマンして、先程ホギが入った戸へ目をやった。
「大丈夫よ。もう戻って来ないから」。どうやらそこはトイレではなく自部屋だった。
「でも、ぼく宿代払ってませんよ。前金だって、、」
「だから大丈夫だって、、 」。マキはワカスギのテーブルまでくると、ワインボトルを支えに体重をあずけた。
 反動で胸が眼の前で揺れた。さっきから気になっていたが、やはりノーブラのようだ。
「 、、わたしもこのホテルの関係者だから」今度はタマキがブーッと息を吐いた。ビールが空で良かった。
「オイオイ、なんだよ、そういうことかい。とんだ食わせモンかな? さんざんメシとか奢らされて、ホテルに誘って、やけにショボいホテルだと思ったら。 、、そう言うことかい」
 タマキはこれまでと同じ調子で静かに文句を並べた。その言動から怒りの深度は見えてこない。それだけに不気味さがある。そしてロビーの雰囲気が悪化しているのは間違いない。
 ホギが事前に察知して身を隠したのはこのためで、マキが連れて来た客と揉めることも織り込み済みなのかもしれない。
 このようなことをハニートラップと言っていいのか。タクシーの運転手といい、こういった客引きをしてまで宿泊を埋めさせる理由があるのか。ワカスギはそちらに興味を惹かれていった。
「安く見ないでくれる? すぐにそういうコトと直結させるって、思考が偏ってるって自白してるようなものよ」
 そう言ってマキはビールをタマキに放り投げた。綺麗な放物線を描いて、それはタマキの手に落ちた。
 受け取ったタマキは憮然としてプルトップを開ける。プシュいう破裂音とともに泡が溢れてくる。それはそうだろう。ワカスギは予想通りの展開に呆れて目を瞬かせる。すかさず口をつけるが口に両端から多くの泡が滴っていく。
「ガマンできないからそうなるんでしょ。半分は出ちゃったんじゃない?」
 タマキは、しかめっ面で、手を振って泡を飛ばしている。
 マキは、ふたりのあいだのテーブルの椅子腰をおろし、タマキのいるテーブルから、グラスとアソートを引き寄せた。大きなグラスの底辺に少量のワインを注ぎ、指先で底を押さえてデキャンタする。
「キビシイねえ、最後の一線ありきで御婦人との時間を消費するか、その時々を有益なものとして過ごすかってことだよね。でもさあ、それがなくなったら人類は滅びるね」
 ワカスギは、それで決心がついた。自分が今日ここに来た理由がわかった。全部決まっていたことだと納得する。
「あの、ぼく思うんですけど、、 」。ワカスギがそう言いはじめた。


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