private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

a day in the life 6

2017-01-21 15:59:27 | 連続小説

 新しく買った靴はやけに重く感じられた。途中まではいい雰囲気で、今後の展開も期待できたのに、あんな年寄りにまで色目をつかっているのを目にして、悲しくなるやら、情けないやら、そのうち怒りもこみあげてきて、平静をよそおうのに苦労した。帰りがてらにゴミ箱を見かけたときには叩きこんでやろうかとかぶりを振りかけ、まわりの目も気にしてそのまま手をおろした。そもそも高い金を払って買ったばかりのものを捨てられるような身分ではない。商品の代金に接客分が含まれているならなおのことだ。
 誰にでも同じサービスをしているのならばいちいち気にすることではなく、値段にその分が反映されていても納得することはできても、これはアナタだけに特別ですとか、サービスしますとか、次はこんな特典がありますなどと言われれば嬉しいと思う反面、他の客にも同じようなことを言っているのだと透けて見えてくる。そう考えはじめると自分以外の客は、もっと良いサービスを受けているのではないかと疑いはじめるともう止まらない。あの年寄りはえらくご機嫌な顔でニヤけていた。紳士然とした姿は様になっており、自分より高給取りであることは一目瞭然で、自分にはない多くのものを手にしている余裕が外見ににじみ出ていた。これはあの女だけに限らず、少し値段のはる買い物をする時に必ずあたまをよぎることだ。親密性を高めるために、オンリーワンの対応をすればするほど、懐疑的になってしまい、小さなほころびは決壊を導き、その効果は諸刃の剣となっていく。
 自分になどに時間をかけているより、利益率が高いほうに手間ひまをかけるのは当然の成り行きだ。自分を基準にしてものごとを標準化することは、あまりにも一方的な押し付けであっても、そうだとしか考えられなくなった人間にとっては、より寛大な心を持った人間を認めるには至らない。人を妬む負の気持ちはネガティブなパワーを生み出し、一度そこに足を踏み込めばもう後戻りはできずにすべてを疑い出し、すべてを憎み出す。その『気』に自分が蝕まれ、侵されてしまい、ノガミは多くの損失を被る羽目になっていると気付かないで生きている。
 ノガミは地下鉄に乗り込むために、地下道へ続く階段に向かっていた。予想以上にあの店で時間を取ってしまっており、時計をのぞきこむと次の予定の時間を三十分もオーバーしていた。カウンターカフェでコーヒーでも飲んでからと考えていたのに、これでは約束の場所へすぐに向うしかないようだ。久しぶりに取れた有給休暇なので、効率的に時間を遣わねばもったいないと焦る気持ちになり、それもこれもあの年寄りに時間を割いているからだと、またしても恨み節が顔をのぞかせる。
 階段を降りる足取りがついつい早くなるノガミの目に、ひとりの老人がゆっくりと階段をのぼりはじめる姿が目に入った。一歩登っては休憩し、一歩登っては休憩している。これではこの長い階段をあがるのに、どれほどの時間をついやすのだろうかと、なかば呆れて目が離せなくなった。ずいぶんとバリアフリー化も進んだこの街とはいえ、すべての階段にエレベーターや、エスカレーターを設置できるほど、財政に余裕があるわけでも、弱者に優しいわけでもない。行政側の自己満足で、かたちばかりの支援が老人たちの目線や導線を考慮して考えられているわけでもなく、行動を制限されれば出不精になる老人は増える一方だろう。つまりは高齢者への無料パスなど待遇は、努力しているというポーズでしかなく、使い勝手が悪ければ誰も使わない。ならば無料にしておいても営利の損益にはつながらないという図式が成り立つ。ノガミも自分もあんなふうにしか歩けなくなったら、みっともなくて外出などしないはずだと、一方的な行政批判とともに、なんの拘束性も持たない無責任な決意をしていた。
 どうやら老人はなにかを尋ねたいらしく、人が通りかかるたびに声をかけても、誰も彼も足早に老人を遠巻きにしてすり抜けていく。急いでいるとかという問題ではなく、なるべく関わりたくないといった感じだ。ノガミも同様に関わり合いたくはないので、反対側を駆け下り目線を向けない。そこにスマホを操作しながら階段をあがってくる若い女性はそんな老人に気づいておらず、不用意に老人の脇を通っていく。老人はこれが最後のチャンスと思ったのか、その女性の腕をつかみ「あのう… 」と声をかける。驚いたのは若い女性で、あわてて持っていたスマホを落としかけた。老人も申し訳なく思ったのか、すぐに手を離して詫びを入れたあとに、どうやら市役所への行きかたがわからないらしく、その女性に訊きはじめた。
 あの老人がどんな理由で、市役所へむかっているのか。あの女性がこの階段をあがっているのは、ここまでくるのにどんな経緯があり、この先にどんな予定があって、どのような段取りで目的地に向かうつもりだったのか。それぞれに生活の背景があっただろう。ただこのひとコマを切り取れば、困った老人を助けた若い女性という構図は、まだまだこの世も捨てたものじゃないと、こころ温まる光景に感銘を受け、それを目にした人々は、まるで自分がしたことのように親近者に話し伝えるだろう。
 親切心はなにも人間性だけでははかれないのだ。ひとには生きていくための営みがあり、ひとりで生活しているわけではない。理由があってここにいて、理由があってどこかに向かっている。その流れを停止できるほどの理由を、多くの人が持てなくなってしまったのは、生活のスピードが上がりすぎて、通りすがりのひとの話しを聞くというのは、高速道路でクルマを急停車させるぐらい現実的でない行為といえる。
 老人にとって幸運だったのは、その女性が優しく老人の手を取り、一緒になって階段をのぼりはじめてくれるような人間だったことだ。常識的に考えれば、女性の腕を握った段階でアウトのはずで、最悪の場合は叫び声をあげられて警察を呼ばれても文句は言えない時代だ。ノガミにしても、あの女性のおかげで老人に話しかけられもせず先に進めることができ、これは彼女の親切の恩恵を受けたことになる。もし老人から声をかけられたら無視して素通りすることは難しかった。それはけして親切心からではなく、老人の記憶に無下に断りをいれる自分の姿が残ることが嫌だという、自分本位の理由からでしかない。最善の方法として、待ち合わせを理由に手伝いをできないと告げ、なるべく遺恨を残さないようにするぐらいしか思いつかなかった。嫌な経験を重ねるたびに、自分が徐々に臆病になっていき、そういった場面からは身を引くようになっていくのはしかたがないことだと考えていた。
 以前、階段を前にベビーカーを引いた女性がうんざりした顔をしていたので、その時は余裕もあり、勇気を出して、お手伝いしましょうかと声をかけたら、おびえたような顔をして断られたことがあった。とまどったノガミは、なにもなかったように装い、恥ずかしさもあってその場を足早に立ち去っていた。後日の会社で、真意を知りたいのも半分含ませた笑い話として女子社員に話しをしてみたら、いまどき見ず知らずの人間に赤ん坊を委ねるなんてありえないと、違う意味で笑われ、ノガミもそこでようやく母親の気持ちがわかったという経緯もある。とはいえ親切心を踏みにじられた気持ちは消えないし、自分が善良な人間ではないと選択されたことにも複雑な思いがある。
 経験はひとに勇気を与えることもあるし、勇気を奪うことにもなる。あの老人はこれからも誰かに声をかけて親切を求めるだろう。あの若い女性が例外などとは思わずに、誰もがこのかよわい年寄りに救いの手を差し伸べてくれると。そうして、そうではない人間に巡り合ったとき、これまで手にした親切の蓄積をすべてご破算にするほど傷つくことになる。あの母親が誰の手も借りずにベビーカーを持ち上げて、階段をのぼることをどこかの段階で決意したのも、そうした経験の呪縛から逃れられずに、百人中にひとり悪意を持った人間がいると知ってしまえばもう、残りの99人にが善人だとしても、巡り合うことはないと決め込んでしまっている。
 親切というものは関係する者とのあいだだけの直接的なことではなく、誰かの行動で、誰かが幸せになり、他の誰かもその恩恵を受けることもある。その陰で、別の誰かは傷を負い、そのせいで、もっと多くのひとが辛い目にあったりもする。一度の失敗で学べる人間がえらいのか、否定されても何度も挑戦できる人間がえらいのか。ただ、ノガミは前者を選び、ひととの関わりを最小限にとどめたために、手にできなかった幸運も、被らなかった不幸もあり、その配分がどのようになっているのか知ることはできない。
 …誰もが見えない手によって動かされている。

 ノガミは階段から通路におり、地下鉄の改札を目指して歩き出す。地下街にはいると寒いくらいの冷房が効いており汗冷えしてくる。地下街の終点となる駅の切符売り場までたどり着くと、そこにはイライラとした風体の男が、右に左に意味もなく歩き回りなにやらブツブツとつぶやいている。これもまた危険な存在だと、なるべく距離を保とうと遠巻きに離れていく。
 男はやはり大きな声を出して駅員を呼びつけはじめた。驚いた様子の駅員は何事かと、その男に呼ばれるがまま寄っていく。ノガミは背を向けて発券機に向かいながらも、やりとりが気になり列に並ぶふりをしてまわりを見渡すといったい、かなり怪しげな行動をとりながら、二歩、三歩と横にずれてふたりに近づいていく。
 男はまだこの時点では怒りを押し殺していた。聞こえた内容からすると、バス乗り場がどこかわからず、戸惑っているあいだにバスに乗り遅れ、重要な約束に間に合わなくなったということらしい。ノガミもこのあと約束が待っていたが、かといって遅れたとしてもそれほど重大な問題に発展することではなく、渋滞していたとか、電車が遅れていたとか、それこそ困っている老人を助けていたといえば問題なくクリアされる範囲内であった。
 あの男は遅れることによってどれほどのダメージを受けるのだろうかと、気になり引き続き聞き耳を立てていたところ、どうやら、男の争点はそこではなく、乗り遅れたことよりも、バス乗り場がわからず右往左往しているうちに、時間だけが虚しく過ぎていったことが無性に腹立たしくなったらしい。それを駅員が自分の立場を守るために、その男に同意するどころか、丁重ではあるが少し歩けばバス乗り場へ誘導する案内があるなどと、怒りに火をそそぐような言い方をするものだから男もつい声を荒げてしまった。一度、堰が崩れれば着地点を用意しない限り、沸点はどんどん上昇していく。男はもう収まらない。誰もがあそこまで行ってバス停の場所を確認すると思うのか、改札を出てそこに表示されていれば、すぐにわかるじゃないか。なぜ、そうしない、これは駅の怠慢でしかなく、それを使用者に、あそこまで行って確認しろというのは押し付けでしかない。いますぐ、ここに案内を作りなさい。それをしない限り私は絶対に許さない。約束に遅刻した責任を取って貰う。裁判も辞さないからそう思えと、ノガミが聞き耳を立てる必要もないほど、大きな声をはりあげた。
 突然の声に驚いたのはまわりの乗降者だった。何がはじまったのかと、足を止め誰もが振り返った。期せずして注目を浴びてしまった男は、引くに引けない状況に陥った。責任者を呼んできなさい。キミでは話しにならない。困った顔の駅員も、もう自分には手に負えないと途方に暮れていた矢先に駅長を呼んで来いと言われれば、それを理由に駅長に託すことができると考えたのか、しばらくお待ちくださいと言ってその場を離れた。
 ひとりになった男はまわりの視線が痛くなっていた。腕を組みイライラと足を打ち始める。怒るべき相手がいるうちはいいが、ひとり残されてしまった状況では奇異な人間として色眼鏡で見られているようで、ヒソヒソ話が聞こえるようになると、もうその場にとどまることが耐えきれなったらしく、なっとらん!とか、まったく!と捨てゼリフを残してそそくさと立ち去って行った。たぶん男はなぜこんな大ごとにしてしまったのか自分でもわからないのだろう。騒ぎを起こすぐらいなら、次のバスの時間を確認したり、別の方法で現地へ向かった方がよほど良かったはずだ。これでますます時間に遅れるようなことになれば目も当てられないのだから。 …あの男だって見えない手によって動かされているのだ。
 立ち止まって見ていた人々もそれをきっかけに立ち去りはじめ、人気がなくなったところに、駅長を引き連れた駅員が戻ってきた。当の男が見当たらず、あたりを見回していると、駅長がどうなっていると安心しながらも駅員を叱咤する。クレームの客が見当たらないことを伝える駅員に、駅長はやれやれと帽子をとり、あたまを掻いてブツブツとぼやきだした。まったく近頃は、なにかっていうと文句言うことしかあたまにないんだからなあ、困ったもんだ。お客様は神様だって勘違いしてるんだから。おまえもそういう客のあしらいかたを覚えておくんだな。こんなことでいちいち呼び出されてたら、仕事にならないぞと、ほかの客の耳に入ったらまたひと悶着起こりそうな言葉をはいた。気の弱そうな顔立ちの駅員は、小さくなって何度もあたまをさげている。
 もともとこの駅員はトラブルを呼び込みやすいタイプの人間なのだと、ノガミは知ったように判断していた。なんだかわからないけれど、話していてイライラしてくる人間がいる。本人に悪気はない、ないだけにややこしい。こちらが冷静に話しているつもりでも、ついつい声が大きくなってきてしまう。自分がそういうつもりじゃないだけに、声を荒げる理由を相手に求めてしまう負の連鎖だ。どれだけ下手にでようと、どれだけあたまを下げられようと、そうすればするほど、なぜかあたまに血が上ってくる。駅長とふたりで駅員詰所に戻っていくあいだも、ふたりのすがたが遠のくほどに駅長の説教じみた言葉が大きくなっていき、ふたたび人々の目線を集めはじめている光景がそれを物語っている。お気の毒にとノガミは券売機に向かった。足止めばかり食わされて時間は過ぎるばかりだとノガミがぼやく。自分が気になったから見ていたせいなのに、それを棚に上げて他人のせいにする理由作りだけにはことかかない。
 券売機の前に立ち、手に持った紙袋がじゃまで財布が取り出しづらくモタモタとしていると、うしろにならんでいる若者に舌打ちされた。ひとを待たせていると思うとよけいに指先がうまく動かなくなり、さらに小銭がうまく取り出せなくなってくる。たしかに自分が後ろの若者の立場であれば、小銭を用意してから並べよぐらいのことは、口に出さずともこころのなかでつぶやいているだろう。さきほどのことに気を取られて、何も考えずにふらりと券売機の前に立ってしまったことが悔やまれ、知らない男にでさえ十分な準備ができていない人間だと思われることに恥じていた。事態の大小にかかわらず、こういったトラブルに関わること自体がノガミに取っては気に入らないのだ。
 こういうときは焦ってもしかたない。これが自分の間合いだと、あえてゆっくりとした動作を取ったほうがかえって動作もなめらかになる。うしろの男は足を小刻みにゆらしてイラついた気持ちをノガミにぶつけてくる。そんな圧力の中でノガミはなんとか切符を購入して、その男には目をあわさないようにあたまをさげて、ゆっくりと立ち去った。それに対して男がどんなリアクションをしているかは見ない。どんな表情をしていようがどちらにせよ気分がいいわけじゃなく、嫌な思いが重なるだけだ。すぐに切符の購入を終えた若者はノガミの脇を足早にすり抜けていった。見たわけではないのに剣のあるまなざしを向けられているとノガミは感じていた。
 少し間合いを取って改札を通るためにゆっくりと歩いていたら、その前に家族連れが割りこんできた。普段なら無礼な行動に悪態のひとつでもつくところだが、若者との距離をとりたい今はかえって感謝したいほどと、まったくいい気なものだ。すんなり通過していくと思われた家族連れは、ノガミの存在を気にすることなく、家族イベントを堂々とおっぱじめたからあいた口がふさがらない。
「さあ、アッくん切符、入れてくださいねえー。入れないと門が開きませんよー」
 母親が困った表情で芝居がかったセリフを言うと、3歳ぐらいの男の子が、切符を手に屈託のない笑顔で嬉しそうにしている。自分はつまり、家族のこの先を託された重要な任務を背負った主役となったのだ。そんな寸劇を目の前で見せられることになったノガミは、目端がひきつり、イラつきの虫唾がはしった。両親はノガミの姿を知っているのか知らないのか、自分たちの世界に入り込んでいる。この子の晴れの舞台をあなたも見てくださいと、あたまのひとつでも下げられれば、こちらとしてもそれぐらいの寛容は持ち合わせており、無事に子供の切符で開門できたときには笑顔で祝福の拍手でもしてやってもいい。それが、ふたりの態度を見る限り、あなたこの名場面をこんな間近で見られて幸運ですねとでも言いだしそうなぐらいの勢いだ。
「ほらほら、アッくん、どうしたのかな、切符入れるところわからないかな?」
 そう言う父親は、そんな顔を会社のヤツらに見せられないだろというぐらいの雪崩を起こしている。そうやって両親があおればあおるほど、子供は得意顔になり、じらすように、勿体ぶるようにこの状況を楽しんでいる。こいつはろくな人間にならない、オンナを泣かすタイプだと、ノガミの非難も飛躍していく。うしろを振り向いてもノガミ以外に改札を待つ者はおらず、共闘できる状況にならない。
 十分に主役の自分を堪能したあと、こどもは切符を入れた。自動改札のとびらが開くと両親は拍手で子供をたたえていた。ノガミも手に紙袋をぶら下げていなければ、一緒になって拍手してやりたい心境だった。そのあてこすりがこの両親に理解できるのか確認してみたかった。両親は勇者が切り開いた道をありがたそうに通っていく。モーゼが海を割って通路をつくり、人々を救ったように。
 今日という一日は、足止めをくう日であったのだ。そう自分に言い聞かせ納得させてみる。そうでなければやりきれない思いだけが噴出してくる。そういう日に、無理に前進しようともその先々で、新たなトラップが待ち受けているだけなのだ。ならばここは素直に従った方がいい。ノガミは改札を通ることで新たな試練が発生するのではないかと、その先の人々の流れを注意深く観察していた。もはや約束の時間には間に合わない。それはどうだって言い訳できるぐらいの相手だ。靴屋の件はさておき、お年寄りに道を尋ねられてとか、駅員と客が言い争っていて、人ごみができて大変だったとか、改札で家族連れがもたもたしているから一本乗り過ごしたとか、適当に着色してわびれば許してもらえるはずだ。
 切符を持ったまま、改札前で立ちつくす不審な男の姿に、通行人は避けるように、目端でチラ見するように、ひとり、またひとりと、自分たちの行動をすべてデータロガーに送り込まれているとも知らずに、磁気カードを当てて、通過していく。ピッ、ピッと音声がなるたびに行動データが蓄積されている。
 ノガミの目線の先ではなにも起こらなかった。ここで、ナイフを持った殺人者でも現れて、無差別に通行人を殺傷するようなことが起これば自分の判断にほくそ笑みもできたはずだ。それほど世の中はノガミにとって都合よくできていない。むしろ、不運をかかえこむようにプログラムされているぐらいだ。
 ノガミは一歩踏み出して、自動改札に券を入れた。自分は通過できると証明ができたらしく改札口のとびらが開く。そうするとなんだかこの先は、安心安全であると確約してもらえたようにも思えてきた。機械は限定された情報の中で、善し悪しを判別していく。人間の経験も判断も必ず役に立つとは限らないし、時にあやまった記憶を引き合いに出し、同じ過ちをすることもある。いつかは人生のすべての選択を検索して、ヒット数が多いものから順にならんだ情報から選び出し、これを選んだ人はこんな人生も選んでますと、バナーが呼びかけてくるようになるのかもしれない。いまでさえ自分の意思を半分以上機械にたよっていると気づかないままに。
 …自分だって誰かの手によって動かされているだけなのだ。
 これも単なる人生の一日。
 今日もまた人生の一日。
 明日もまた人生の一日。



A day in the life 5

2017-01-08 10:12:22 | 連続小説

 かずみはショーウィンドの中でマネキンの服を整え、首の角度を調節し、ほこりを掃う作業をしていた。近頃では人間に似せたマネキンはあまり見かけなくなり、人型をデフォルメしたタイプが主流で、この店で使っているマネキンも、デッサン用の人形を大きくした具合にのっぺりとした顔をしている。昔ながらの人間の顔をしたマネキンの方が、お客も商品を使用しているイメージがつかめやすくアピールしやすいはずだが、外国人の映画俳優の顔立ちと体型では、目にする日本人にはかえってコンプレックスとなり、自分が付けても絵にならないと商品を遠ざける要因になっているとも聞く。
 整えたマネキンの出来栄えを確認するために、一歩引いた場所に立ち、もうすこし足を開いた方が商品が良く見えるだろうかと、あごに手を添えて動きを止めたまま思案を巡らしていると、ショーウィンドの中にやけにリアルなマネキンがいると、まわりからは異様に見えるたらしく、何人かの通行人が歩みを止めて指をさしてくる。かずみは照れ隠しの意味も含め、あわててマネキンのズボンの裾をいじりはじめる。
 店内に客がいない時は、頃あいを見てショーウィンドに立ち、商品の入れ替えをしたり、配置替えをするように言われている。最初はどうしてそんなことを頻繁におこなうのか理由がわからなかったが、マネキンで商品を展示するように、この店では、この店員が接客しますというアピールをさせている。
 紳士用品を扱う店ならば男性客がその大半を占めるので、若くて小ぎれいな女性店員の接客を望んでいてもおかしくはない。多分にそういったわかりやすい事実だけが真の理由ではなくとも、へんに意識するよりは、悠々としたしていたほうが心も落ち着き、周囲を見渡す余裕も出てくる。他者からの目線というものは、人になんらかの変化を与える力を持っているのだと、テレビでも売れっ子のタレントがみるみるまにアカぬけていく様子からもよく言われることを、かずみは身を持って実感できた。
 かずみが通りの歩道を歩く人の流れを見ていると、風体の上がらない年配の男に、少年がぶつかったかのように見えた。ぶつかったと確認が持てなかったのは、それからふたりは振り向きあい、ふたりだけがわかり合う呼吸を持って、なにかしら確信しあっていたように見えたからだ。年配の男はますます両肩を落として紙袋を小脇に歩いて行く。少年はぶつかったせいではないだろうが歩き方が不自由だった。それを見てかずみは、ふたりの相容れない関係性よりも、小学生の時の嫌な思い出のほうに思考が移っていった。
 かずみの同級生には足の不自由な男の子がいた。その男の子は運動会の徒競争で、ほかの同級生で一緒に走ることを望んだ。当然のようにスタートから一気に離され、コースの三分の二をひとりで走ることになる。そうすると観覧している父兄や、生徒たちから期せずして手拍子が起こり、そのなかを感動のゴールをする。それがいつしか運動会の定番となり、その光景は数年間繰り返された。かずみもそれを見ると感動して、ハンディや不利な条件があっても一生懸命やることで、まわりの理解を得て、賞賛されるのだと人間の寛容さを子供心に感じたものだった。
 それが実は、そんな簡単なことではないと知ったのは中学生に入ってからだった。友達とおしゃべりをしているときに話しの流れの中でいつしかその話題となり、自分はこれほど感動したと得意げに話したところ、小学生の時に母親がPTAの会長をしていたひとりが実はそんな美談ではないと、かずみ以上の得意げな顔でウラ話を披露してきた。
 当時はかけっこで順位をつけるのは教育上よくないとかで、子どもの個性を消して横並びを良しとする風潮があり、それを支持するPTA側と、それはいくらなんでもやりすぎだと、従来のやりかたを維持したい学校側が今後の運営をめぐり協議をおこなっており、その子は学校側の有効な広告塔にされただけだったのだ。
 あの感動的なシーンは真剣勝負で走ることによって成り立つために、順位をつけないでゴールするという考えは支持されなくなっていった。そんな話にかずみがショックを受けていると、さらに追い打ちをかけるように、学校側が従来方式を支持していたのは、なにも自分たちの在籍中にやりかたを変えて、あとあと非難されることを嫌っただけでなく、学区の地域で影響力がある父親の息子が運動神経抜群で足が速く、徒競争で一位をとるのを楽しみにしているという、よくあるはなしもくっついてきた。弱者に舞台を与えることを大義名分として、自分の子どもの晴れ舞台を守ろうとしたのだ。たしかにその子は毎回ぶっちぎりで一位になり、女子からの歓声も一番大きく、運動会のもうひとつの花形だったのを思い出した。
 フェアプレイが信条であるスポーツの世界であっても、勝つべき人が勝ち、勝つべきチームが勝つにはそれなりの理由がある。その後に見込まれるお金の流れが大きい方に勝つ権利がおのずと与えられていく。小学生の徒競争でお金は動かなくとも、それとは別に権力を持つ者が、その影響力を行使することで得るものは多くある。その主役を演じる者が、一年に一度の自分の晴れの舞台を手放せと言うのは、小学生とその子をもつ親に取っては簡単ではないのだ。
 世の中はすべて、論理的に動いていて、必然の上で起こりうる事態だけが目の前に繰り広げられていくと知って、それからというもの穿ったものの見方をしなければ、なんだか自分が置き去りにされるような気分になり、それが勝手な自分の思いであっても、物事に感動してもストレートに他言できなくなった。ある意味、自分史の分岐点となった出来事で、久しぶりに思い起こしても苦い口触りがよみがえってきた。
 いい加減にショーウィンドの中でもすることがなくなったので、入口の前に立ちお客を迎えるポーズをとる。所在もなく、お客の来店を待っているだけの時間がかずみは好きではない。自分としては、からだがあいているなら、それこそ店内のかたづけをしたり、在庫の確認をしたり、掃除をしたりと、こまごまとした作業を言いつけられてもやぶさかではないのに、こういった高級店では常に悠然としていた方がいいのだと注意された。
 それも実はそれだけの理由ではなく、どんな雑多な作業でも必要な時におこなわなければ、無駄な動きだけでしかなく、利益に結び付かなければ意味がないのだと知らされ、あいかわらず自分は、甘い世界の中で、甘い考えでしかできない人間なのだと思い知った。
 レジの前で昨日の売り上げを確認しながら、この店の店長であるアリヤマキョウコが何度もかずみの方を横目で見てくる。子供の時に見たアニメの再放送に出ていた、自然の中で育った女の子の教育係をする、黒縁めがねのロッテンなんとかという名前の女性執事にそっくりな顔立ちをしている。
 ディティールはあとからいくらでも詰めることができる。いちいち立ち止まって時間をかけても誰も喜ばない。特に効率を重んじる経営者からよく見られるわけはなく、無駄なことに時間をかけるなとか、つねに経営者目線で作業は効率的におこなえと言い聞かされていた。
 なんにせよ自分は人材会社から一定の契約のもとに託された身であり、必要以上のことをしても、意にそぐわなければ煙たがられるし、なにもしなければ使えないと報告される。その基準が明確にあるわけではなく、最後は雇用主に気に入られるかどうかにかかってくることで、長く楽しく働けるかどうかが決まってしまう。かずみは今回もまた、その望みは薄いだろうと感じていた。
 それもこれも自分の性格ないのだと、最後にはそこに行きついてしまう。別にひとに嫌われるように生きているつもりはないはずなのに、いろいろと間が悪かったりして、いつしかその流れにはまっている。一度そこにはまってしまうと、なかなかリカバリーすることは難しく、なにをどうしたってそのまま良くない方へ傾いていき、負のスパイラルにはまっていく。そんな経験が多ければ、おのずと最悪のケースを想定してしまう。抗いはしていても、どうしてもいつか来た道、目にした風景を見るはめになっていた。
 最初はこの店の制服のことが受け入れがたかった。ヒザ上の短めのスカートと、ボタン付きのシャツの上に黒いベストを着ている。シャツのボタンは二つ目まで外すようにいわれ、ネックレスはしてもいいが、大きい目のペンダントはNGだ。
 ふだん着ている服もたいして変わらないので、それになんの問題も感じていなかった。ところがこの仕事を始めてわかったことは、高いところの物を取る時に背を伸ばせば、スカートは随分と上にあがり、太ももがあらわになるのはしかたないとしても、背伸びをすれば下着まで出そうになり気を使う必要があった。座った客の前でひざまずけば、これまたスカートはたくし上がり、太ももを折り重ねるようにして密着させスカートに空間ができるのを防がなければならない。また、立った客にひざまずく時には、その目線から胸元が三合目まで見渡せることとなり、それでも不自然に胸元を抑えては、お客さまを疑うことになるのでしてはいけないと言われ、せめてブラジャーが目につかないように小ぶりの物を着用すると、余計に生身をさらすことになる。
 これが店の責任者が男性でもあれば、セクハラまがいのブラック企業とでもいえるのだろうが、女性店長の店で、そもそも求人条件にも盛り込まれており、高額報酬の理由がそれゆえであると、よく考えもせずに飛びついた身であれば、文句を言える筋合いではなかった。
 いまの世の中は、モノが売れない時代になり、商品を購入するにも別の付加価値があれば他との差別化になるっているのも時代の流れだ。契約会社の担当者からは、見えそうで見えない制服を、女性を売り物にしていると悪い方で考えるのではなく、そうであるからこそ、ひとつひとつの動作に気をつかえて、身のこなしや立ち振る舞いの優雅さにつなげ、美的センスを養い、自分磨きにもつながるのだと、もっともらしく説明された。それに見えそうで、見えないところがポイントで、見えてしまえば興ざめになると、ありがたい忠告もいただき、それは自分の趣味かと思わずツッコみそうになった。
 女性を利用したビジネスといえば大げさすぎるのかもしれない。かずみの契約している人材会社はそういった会社の要望に応えるための人材を募り、その分野に特化することで重宝され、この業界では先駆けとなり売り上げを伸ばしているらしい。また、風俗はだめだけとこれぐらいならと興味を持つ主婦層や、あわよくばモデルや、タレントとしてスカウトされることをもくろむ高卒、大卒の応募も多いと聞いており、売り手と買い手の両方のニーズをうまく埋め合わせている。他人の眼が集まるということは、自分を変化させる大きな要因になると誰もがわかっているのだ。
 買い物に来る理由はなにも必要な商品を手にするだけではない。客の思いがどこにあり、店側の意図がどこにあろうと、一致さえすればどちらの利益にもつながるのだ。どのような店であれリピーターを増やすことが重要視しており、その中からどれだけ多くのロイヤルカスタマーを増やせるかが店員の能力とされる。ショーウィンドの中に立つのも、製品の整理や取り出し、かたづけをする動作も、客の目につけば、それはすべて無駄な作業にはならないのだ。担当になんと説明されようとも、女をつかった商売のやりかたから疑問をぬぐいされず、女性をそういう目で見たければ、そういったたぐいのお店に行った方が健全だとも思っていた。それが何度かお客とのやりとりを経験していく中で、かずみの気持ちに変化があらわれてきた。
 お客は商品を買いにくるときに、女性店員とのやりとりを楽しむのもその範疇で、満足できればまた次も来てみようと考えるのは当然のなりゆきだ。それを女性に積極的になれない若者や、中年層とか、年配になり若い女性と接することの少なくなった人たちの、不健全な嗜好だと色眼鏡で見てしまうのは、女性側の偏見なのかもしれない。 きっかけがなんであれ、かずみに接客して欲しいと思い、わざわざ来店してもらえたのなら嬉しくもあり、そこで前回来店した時のお礼を述べられれば、次はもっと頑張ろうとやりがいにもつながったのは間違いない。それと同時に、あまりにも素直にお客の言葉を信じてもいけないと自分を諌めることも忘れない。主役を演じていながら、他の誰かにいいように遣われたくはない。ルールや現象を受け入れるかどうかは、そこからなにを読み取り、導き出せるかという自分の能力に依存していると考えられるようになった。
「いらっしゃいませ」
 扉を開いて客が入店して来た。かずみはすぐ、その男に身覚えがあるのを思い出していた。先月に来店して購入してもらえたお客だった。気の弱そうな顔立ちで、女性店員に積極的に話しかけるようなタイプではなさそうだった。かずみのことが気に入ってまた来店したのであれば、かずみにとってはじめてのリピーターになり、今後の常連になってもらえる可能性もあるため、ここでの接客には力が入る。
 ディスプレイされている商品を見渡すお客を目で追いながら、それとなく足元を見て、手元にあるタブレットで一ヶ月前の購入顧客を検索する。外観から大体の年齢を予想して絞り込むと『ノガミ コウスケ』という人物であることがわかった。35歳で、独身という情報も見逃さない。けして高給取りではないはずで、この店に来るために無理をして高価なスーツを着ていると思えるのは、その着こなしを見ればおおよその推測はつく。メンバーズカードを提示してもらってから顧客情報を引き出すのは最後の手段とし、こちらがお客を覚えていて、声をかけるというシチュエーションが大切で、特別な客としてかずみが認識していることを印象付けなければならない。
「ノガミさま。ご来店ありがとうございます。本日はどのようなお品をお探しですか? ご希望のメーカー、デザインや、ご使用の場面などをお話しいただければ、数種類のお薦めを見つくろいます」
 緊張感からか、のどの奥に渇きを感じ、硬めの声になっていた。かずみは男の横にまわりこみ、少し腰をおとした態勢で話しかける。男は明らかに自分の名前を覚えていてくれたことに感動している。かずみはたたみかけるように、男に対し目線を上にあげぎみにして首をかしげる。一番従順に見えるしぐさを、姿見の前でなんども試した末に身につけた角度だ。それにボタンをふたつ開けた効果も加わる。男がどんなに女性を意識していないと見せかけようとも、気持ちがどうなっていて、その目線がどこに向いているのか女性にはすべてわかっている。
 かずみはそのまま両の足を折ってひざまづき、男に着座をうながす。ビロード貼りのソファに腰掛けた男の足元に、ソファとセットになっている足掛けを添える。男に対し従順な召使のようになって、かいがいしく奉仕を続ける。前回もそうやって応対をしていたので、それを気にいってもらえているなら、最低でも同じサービスはしなければならない。これに今回はどれだけのプラスアルファが加えられるかが重要なポイントになってくる。
 そうやって一生懸命になればなるほど、自分がどんな体勢や姿勢をしているのか捉えきれなくなっていく。屈んだ姿勢で両手をおなかの前で重ねれば、シャツからうかがえる胸のふくらみはおのずと強調され、折り重ねられた両足は裾がたくしあがり、ベージュ色をしたタイツは薄手のデニールのために、むき出しになった太ももを発色よく見せている。
 男がリクエストを口にし始めると、かずみはうなずきながらメモ帳に書き込んでいく。脇をしめてメモを書くとペンを走らせるたびに、シャツからこぼれる胸の谷間は上下する。男は満足げにそれらを視姦しており、その状況を長く続けていたいので、いろいろと余分な注文をつけくわえていた。このように店員に手間を取らせれば、客の方としても手ぶらで帰るわけにもいかなくなり、期せずしてその効果を証明することとなる。
 
ひととおりの話しを聞くと、失礼しますと声をかけ、かずみは反対側にあるマガジンホルダーに向けて、男越しに手を伸ばし雑誌を取ろうとする。そうすると男の太ももに自分の胸が触れそうになり、ギリギリのところでベストが触れたところでとどめた。わざとやっていると思われても困るが、立ちあがってやりなおすのも不自然だ。もう一度手を伸ばし、二の腕を男の太ももに押し付けるカタチになりながらも雑誌を取ることができた。もう一度、失礼しましたとあたまをさげ雑誌を渡した。気づかなかったというシチュエーションを男性は好んでくれる。男はなにもなかったかのように笑顔で、むしろ余裕をみせつつ本を受け取り、ペラペラとページをめくり出していた。
「しばらくおまちください」
 そうかずみは伝えて、その場を離れた。数々の失態を思い出すと、顔が紅潮してくるのがわかった。店長がなにげに近づいてきて、アタナいろいろとおろそかになってたわよ。と言ってきたが、それはイヤミというよりは、やればやれるじゃないといった感じに思えた。そういうつもりではないと反論するわけにもいかず、ごまかし笑いであたまをさげた。
 いつまでも失敗を引きずっているわけにはいかない。それらも男にとっては失態には映ってはいないはずだ。メモ紙を見ながら陳列の中から要望に合った商品をみつくろい、なおかつノガミに薦められる逸品をさらにそこから絞り込んでいき5品を厳選した。
 客先に運ぶための専用のキャリーに、それらを箱の上に置いた状態で並べて引いて行く。何箱も抱えて運ぶのは大変だし、その姿をさらすのは見栄えのいいものではない。こういった細かい演出が店の格をつくるという店長の意向で、かずみもその意見には賛同できた。なにより多くの箱を抱えて客の前に現れるのは、それだけでも大変な労力だ。
 かずみが戻って来ると、男は雑誌に目を落としている。かずみが商品を選んでいる最中は、こちらに目線を向けて行動の一部始終を追っていたのは知っていた。店にとっては、それをもくろんだ上の制服であり、落ち着きを取り戻したかずみも、今回は美しく振る舞う動作を完璧にこなせたと自負している。
「おまたせいたしました。こちらをご用意いたしましたので、ぜひお試しください」
 そうかずみが言うと、男は感心した顔つきをして商品を吟味しはじめる。かずみはまずは無難なひとつを取り上げて特徴を説明しはじめる。
「こちらは、いまノガミ様が着ていらっしゃるスーツによくお似合いのデザインだと思います。カラーもご指定の色に近いものをご用意しました」
 男の正面にまわったかずみは、男の足首に手を添えて足置きの上に両足を乗せ、ひとつづつ丁寧に脱がせていく。汚いものをあつかうようなしぐさや顔をしてはいけない。大切な宝物をあつかうように両手でやさしくつつみこみ、筋の下から硬化した皮脂にかけて、もみほぐすように手をすべらせ、軟質の肌を強くこすらないように注意して取りはずす。
 その解放感をそこなわないように、最初のひとつ目をさきほどとは逆の順序で装着していく。かずみの流れるような手の動きで、男は王様にでもなったような恍惚感を得ると同時に、なんともいえぬ快感が足元から巡ってきた。こればかりは家で、自分でやってもけして得ることができないプロの技だ。これはこの店に勤めはじめてから店長におそわったもので、それを自らなんども試行錯誤をして改良を加え、ようやくここまでできるようになった。かずみにしてもらいたいために来店してくる客が増えれば、この店との契約が解除され別の店で移ったとしても、かずみを求めて一緒に移って来てくれる可能性だってある。こういった努力はなにも今のためだけではなく、将来設計のためでもあり、自分の生活を守ることにもなる。この身が経営者の手の内にあるなら、忠誠心もその範疇にとどめなければ使い捨てにされるだけだ。
「こちらは個性的なデザインになっておりますが、ノガミ様の雰囲気にとっても合うと思います」
 かずみは次の商品を手にした。お客に依頼を受けた品物を選ぶのは、あくまでもお客の利益を第一に考えている。かずみ目当てであろうがなかろうが、お客が求めているものを提案できなくてはなんの意味もない。高い商品を似合うといって押しつければ店は儲かるかもしれないが、そこを勘づかれれば次はなくなる。本当に自信を持って薦められるものを見てもらい、時には新しい自分を発見してもらえるような商品も選んでもらえることが自分の存在価値になる。
 そうやって五つの商品をつぎつぎと試していき、ノガミがどれにしようか思案をはじめたとき、新しい客が入店してきた。いまの時間帯のシフトはかずみひとりなので、こちらも応対しなければならない。めったにはないのだが、時には三人を同時に相手したこともあった。いくら忙しくてもないがしろにした応対だけはしてはならない。あくまでゆったりと、くつろいだ雰囲気のなかで商品を選んでもらえることを優先する。
「ノガミさま。どうぞ、ゆっくりとお選びください。お気に召したものがございましたら、またお声掛けください」
 そう伝え一礼をして、新しい客へ向かった。その客は高齢で、かずみは初めて目にする顔だった。「いらっしゃいませ」とあたまをさげて、店長の方へ向かった。やはり昔からのなじみの客だということで、店長に顧客リストから探してもらい、そこにかかれている情報をあたまにインプットする。
『エゾエ』という名前の老人は、連れ合いに先立たれ、おとこ所帯でひとり暮しをしている。会社の役員に名を連ね、総会がある前に新調するためにこの店を訪れるとのことだ。
 かずみは変に馴れ馴れしくならないように、はじめましてと素直に初対面であることをしめし、長年贔屓にしてもらっていることに礼をのべ、これからも宜しくお願いしますと付け加えた。温厚そうな顔立ちの男は、うれしそうに相好を崩し、あなたのような素敵な店員さんがいるなら、もっと足しげく通わなければいけないと、口先も軽やかだ。
 かずみは社交辞令としてはとらえずに、心からお礼をのべ、先の客と同じようにソファを案内する。一年ぶりの来店となるので採寸を勧めると、これまたうれしそうに笑い同意してくれた。
 かずみはクーラーで肌が冷えぬようにと、足置きの上に上質なタオルケットを準備した。年のせいだろうか、若い頃に比べるとずいぶん縮んでしまったと、冗談交じりで言う男に、しかたありませんわ。年齢にあわせていけばいいのですよと、返した。年老いて皺も増え乾燥気味になっている皮質に、かずみの両手がなめらかにクリームを塗り込んでいく。まんべんなくいきわたるようになんども手を上下させて、硬くなった部分はさらに念入りに揉みこみ、ほぐしていく。そうしておいてタオルケットで包んで、このまましばらくおまちくださいと声をかけた。クリームがなじむまではノガミの応対をするためで、客の元を離れるにもタイミングと理由づくりが必要だ。
 ノガミの場所に戻ると、照れくさそうにこれをと差し出してきた。それを見てかずみはとびきりの笑顔で両手を添えて受け取った。
「こちらをお選びいただけたのですね。ありがとうございます」
 それはデザインが特徴的だがノガミに似合うと薦めたひと品だった。
「こちらは、夏場の軽装にもあわせやすく普段使いもできるので、ぜひ明日からでもお試しください。それではお会計をしてまいります」
 かずみの言葉は無理をして高価なスーツを着てこなくてもいいから、夏の普段着で来店してもらってもかまわないと暗に伝えたつもりで、それに合うように見立てた一品だった。商品を店長に渡して、そのまま会計を引き継ぎ、かずみはそのままエゾエの元へ向かった。
 覆ってあったタオルケットを取り去ると、いい具合にクリームが浸透しており、ほんのりと温かみも増してきていた。もういちどマッサージを兼ねて優しく揉み解していく。エゾエはその気持ちよさから口が半開きとなり、目を閉じたままだ。その間にかずみは手早く採寸をして、メモ紙に記入していく。いままで使用してきたものと比べると、たしかにこれではすこし大きいため、長時間使えば擦れたりして不快な思いをするだろう。
 かずみの手の内で転がされるような扱いに、エゾエは薄れそうになる意識を維持するのに大変だ。目を開き、あたまを掻いた。
「いやあ、こんなに気持ちがいいのは久しぶりだよ。あたなは、なかなか勉強しているようだね」
「おそれいります。エゾエさま。やはりサイズダウンしているようですね。フィットするものに変えられたほうがよろしいかと思います」
 かずみはさきほどと同じように、エゾエがどのような商品を求めているかリサーチし、さらに服装や、バッグなどの小物を見て好みや方向性を推察した。商品を選んでくると断わりをいれ場を離れると、こんどはレジに寄って、梱包されているノガミの商品を受け取り店先まで誘導する。
「本日はありがとうございました。ご使用具合を教えていただければ、あらためてフィッティングいたしますので、遠慮なくご来店ください。」
 かずみは店先でも丁寧にあたまをさげ、最後のスキンシップを欠かさない。両手を添えて商品をわたす。かずみは内心では、今日のノガミへの応対は、最初の失態も結果オーライととらえれば満足できるものだった。エゾエも同じようにここまでは好感触だ。気に入ってもらえるように頑張ろうと気持を入れ直していた。
 騙しのテクニックだとか、虚像の積み重ねだとか、ネガティブな意見は正論となっても、なにが正しくて、なにが間違っているといった証明にはならない。お客がこの時間を満喫して、他では得られない経験ができ、楽しんでもらえたという結果は残ったのだ。すべては工程のひとつでしかなく、ディティールはあとからいくらでも詰めていけるはずだ。自分が正しいと信じたことをおこなう。それが自分にとっての正義でなければならない。
 あたまを下げるかずみを通り越し、ノガミの眼はエゾエに向いていた。店員の忠誠心も雇用の範疇のならば、客の忠誠心も独占権の範疇のうちだ。冷たい視線を切って、今度はかずみを見直す。その眼は優しげでなんの疑いも抱かせない瞳であったが、その奥には憎悪と嫉妬の炎を含んでいるのをかずみは知らない。
 これも単なる人生の一日。
 今日もまた人生の一日。
 明日もまた人生の一日。