private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(ホテルマリアージュ 3)

2024-10-14 18:40:04 | 連続小説

 ワカスギはそう切り出した。唐突なのは承知のうえだ。それでもなぜか、いま言うべきだと決め込んだ。
「ほとんどの事象は、すでに決まっているのに、人は何も知らぬままに明日に希望を持って生きています、、」
 身近な人には言いにくいことも、明日会うはずもない行きずりだから言えることがある。
「オイオイ、ニイちゃん。何をおっぱじめるつもりなんだい。ココは哲学を語るような場所じゃないでしょう」
 何を言い出しはじめたのかと、タマキが言葉を突っ込んでくる。その表情はマキに同意を得ようとしているのがアリアリだ。
「人生観は語ってもいいんじゃない。酔ったうえでグダグダ言うのと変わんないんだから」
 タマキの言葉にはつれないマキが、ワカスギに目配せして先を促した。この若者が絡んでくれば選択肢に広がりができる。それを考慮して誘い込んでいる。
「アナタ。タマキさん。アナタはもう明日の朝どうなっているのか決まっているのに、それがあたかも自分で選択したかのような錯覚を得ている。そしてそれが思い描いた結果でなければ、運のなさを悲観したり、自分以外のせいにして精算しようとする」
 タマキはマキを見た。マキは愉快気に笑みを漏らしている。もうマキの未来は、タマキの希望通りでないと示唆している顔に見えた。薄ら笑いを浮かべるタマキ。
「わかったよ。確かにね、ニイちゃんの言うことも一理あるねえ。だが一般論としてはどうだろかな。悲観的観測ばかりじゃく、予想以上の幸運が待ってることだってあるんじゃないかい?」
 もう一度、マキを見る。考えごとでもしている表情で、目線は壁面を見渡している。まだだ、ゼロではない。この若造を言い負かすことで事態に変化があるはずだ。そんな望みを捨てきれないタマキであった。
「ムリだと思っていたことが、奇跡的に成功したとか、ダメ元でやってみたら上手くいった、なんてこともあるでしょうに。だから人は明日への希望を持って生きていけるから。そうじゃないかい?」
 マキがニヤリと笑った。よし行けるとタマキは続けざまに滑らかに語りだす。
「だいたい人類の進歩なんてものは、偶然の積み重ねで成り立っているんだからさあ。思い通りに行かない事も、後から正解だったなんてこともあるよね。望まなかった前戯も、最後にはあってよかった思えることだってさあ」
 なんの例えだと、目線で天を仰ぐマキは、否定の意味でナイナイとクビを振る。そしてタマキはつられるようにクビを傾げる。例えばという意図を含んでワカスギは人差し指を天に差す。タマキはついその先を見てしまう。シミの付いた天井があるだけだ。
「ぼくが言っているのは、悲観とか楽観ではなく、ただ事象だけが面々と続く未来があるだけということです。アナタが言う偶然の積み重ねも、誰の視点からの偶然であるか。それを仕組んだ者にとっては必然でしかないのに。それと同じように、アナタにとって素晴らしく奇跡のような出来事も、誰かにとってはただの日常にしか過ぎず、場合によっては悲観すべき出来事かもしれません。すべては個々人に捉え方に依存するだけです」
 声を漏らしそうになったマキは、すんでのところでタマキの一言でとどまれた
「えっ、なんで?」
 喜ばしいことが悲しむべきことになる意味がわからない。喜びは万人共通のはずだ。ましてや自分の前戯を喜ばない女性がいると思えない。
「そういう男のひとりよがりが、生産性を阻害してると理解できてない時点でダメね」
 独り善がりとは自分だけが良い気持ちになっていることか。それが生産性が落ちる原因と言われた気がするタマキは心外である。若者どころか、これではマキにまでもやり込められてしまう。
 こうなればと最初にワカスギの行動を見たときに、気になっていたことをカマをかけて言うしかない。これがハズレればジ・エンドだ。
「だったらさあ、ニイちゃんの明日ももう決まってる訳だねえ。その財布の中身がそれを物語ってるでしょ」
 片目を細め、いかにも知っている風に指摘をした。これでワカスギがどう出るかタマキは待つ。マキも無関心であった視線をワカスギに向けた。
 ワカスギに動揺はなかった。むしろ遅い指摘と言えた。なぜあのとき店主のホギも言ってこなかったのか、それほどワカスギの行動は余りに不自然だった。
 そして思ったほどタマキはニブいわけではなく、このふたりも気づいていたのだ。サイフに金が入っていないのではないかと。ワカスギは後ポケットから財布を取り出してテーブルに置いた。
「このサイフはぼくの物でありません」
 眉間にシワが寄る。思惑との違いにタマキが確認をしようと手を伸ばそうとする。しかし、その前にマキが取り去った「じゃあ、誰のなの?」。
 首をふるワカスギ。それを見て、マキは勝手にサイフを広げた。数枚の札が入っているのを確認して怪訝な顔をする。横目で見たタマキがヒューと口を鳴らす。
「誰かの物と入れ違ったのでしょう。たとえば、一緒に飲んだ得意先の上役の人の物とか、、」
「直ぐにどうにかしないところをみるとワケ有りね。その財布はいいとして、アナタ。自分の財布が心配じゃないの?」
 ワカスギは首をすくめる「どうせ大して入ってませんから。タクシーはポケットにあった千円札で払いましたし、そのヒトの言う通り、実は家に帰るお金も、ココのホテル代もなかったんです。前金と言われ、とにかく時間を作ろうと、、」。
「朝方に逃げ出すつもりだったのかい? なんだいニイチャンの未来が一番悲観的じゃないの」
 ワカスギは薄っすらと笑みをこぼす「、、悲観するかどうかは、ぼくの判断次第ですよ」先程も言いましたけどとはあえて言わない。それがタマキには二重に堪え言葉を詰まらせる。
「何時の時点でサイフがすり替わってしまったのか。その時点でもうぼくの未来は決定づけられたんです」
「取り違えたのではなく、すり替えられたと考えるの?」
「ぼくは自分が間違いをしない人間とは思っていません。取り違えた可能性もあるでしょう。もしくは先方が間違えたかもしれません。それと同時に、第三者によって仕組まれたことも否定できません」
「誰かにとっての必然、、」マキの言葉にワカスギは知らぬ顔をして言葉をかぶせる。
「 、、なのかもしれませんね」
 ふーんといった表情でマキは面白がっている。ナッツもチーズも必要なく、ワインが進んでいる。これではまたワインが足りなくなりそうだ。
「諦めてるの? なんだかそれじゃあ流され過ぎじゃない?」。マキは方向性を変えてきた。
「そうだねえ。今からだって、どうにでもなるじゃない。どんなことだって取り返すことはできるでしょうに」
 ココぞとばかりにマキの否定的な意見に乗っかってくる。タマキはふたりの駆け引きを気づいていない。
 誰かにとっての誰かには、当然ワカスギも含んでいるはずだ。
まだそこに行くには早い。ワカスギは一度目を閉じてから意を決したように話し出す
「非難を承知で言いますが、ニュースで報道される痛ましい事件。どうしてその場所で起きたのか。何故その人が選ばれたのか。たまたま巻き込まれたというのでは、余りにも悲劇ではないでしょうか? 例えば、楽しみして出かけた家族旅行の先で、暴走したクルマに追突された。親戚一同で集まって楽しい夕べを過ごしていたら災害に巻き込まれた。もちろんその人達のせいではなく、そこで起きることが決まっていて、たまたまそこに居たに過ぎないとしたら。運が悪かったで片付けってしまうのは、ひとがそう思わなければやりきれない、心の自己防衛をするためにバイアスをかけているにすぎません」
 ワカスギの言葉に、納得がいかないタマキが尋ねた。
「じゃあ、ニイちゃんのサイフがすげ替えられたのも、その場にニイちゃんがいただけって理屈かい? そりゃ運が悪い以外のなんだってんだか」
「すげ替えられたかどうかはわかりません。ここに別の人のサイフがあり、ぼくのサイフが無くなっているという事実しか、ぼくにはわからないんですから」
 意外な顔をしてマキが問いかけた「アナタ、サイフの中、見てないの?」。
 一度首を縦に振り「開いてもいません」。とワカスギは言った。
「フーン、そういうこと、、じゃあカードが一枚も入っていないのも知らないんだ」
 そこにタマキが食いつく「そんだけ金持ってて、カードなしは解せないねえ。現金主義にも程があるんじゃないの」。
 そこでマキはワインを飲み干した。空になったグラスにタマキがワインを注ぐ。口のなかでワインをころがすマキは、何やら思案してから言葉を発した。
「現金には手を付けず、カードを頂いて最大限利用する。で、その財布は知らぬ誰かに押し付ける。そうね、できれば気の弱そうな、お金に不自由している人が好ましいわね」
「で、ニイチャンの出番ってわけかい」。タマキが追随する。
「自分の手持ちより多くリターンがあれば、損したとは思わないし、カードなんかより現金の方が遣いやすいから」
「ああ、その日のうちに遣っちゃうねえ」
「お金を遣ってアシがつけば、その人の犯行にミスリードさせることもできる」
「知能犯の思うツボだねえ」
 とたんにふたりの会話が活発化してきた。それはマキがリードを取っている。そういう言葉のやりとりを待っていたのか、ワインの進みもスピードが増し、タマキが健気に給仕する。
「アナタがその場所にいなければ、こんな厄介には巻き込まれなかった。それは同情するけど、それはわたしたちも同様よね?」
 自分達も被害者の仲間入りを宣言しても、マキは楽し気であった。


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