private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来 8

2023-08-20 09:17:03 | 連続小説

「今回はそうだとしても、本当に助けが必要なひとに出会うかもしれないわね。どうやってそれを見極めるの?」
 なんとなく自分の気持ちに折り合いがついたところで、カズさんは意地悪な質問をしてくる。そんなことはスミレにわかるわけはない。わかるのはその人、本人だけだ。とは言え、もしスミレが見なかったことにして、その場を離れたとしたら、ずっと後悔し続けるだろう。
 あの人はどうなってしまったのかと。誰にも声を掛けられることなく、あの場でずっと留まっているんじゃないだろうか。自分が声を掛けなかったばかりに重篤な状態になってしまったのではないか。そのあとに誰かが声を掛けて助かったかもしれない。でもどうして自分がそれをしなかったのか。そんな良心の呵責に耐え切れなくなるのは目に見えている。
 だから、声を掛けたのだ。その結果があまり意図した状態ではないにしても、例えその後のあの人の人生がどうなろうと、無事であることを確認でき、この場を離れることができれば自分になんの過失もないと安堵できる。あの人の健康より、自分の身を護れたことで安心感を得ただけなのだ。
 そして自分自身に言える。わたしは誰も見過ごすことをしない誠実な人間であると。それが今日の安眠を保証するための行動である。
「そりゃそうね、自分の行動が正と認められれば安心できるし、次にもつながっていく。でもね、毎回同じようにうまく行くとは限らない。ううん、いかないほうが多いと思った方がいい。かな?」
 そう言って、カズさんは男の方をグッと見た。
「なんだよ。オレは別にそこまで、否定したつもりはないぞ。そりゃ、物好きな女の子がお節介しやがってとは思ったがな。こんなオレなんかを心配してくれて申し訳ないと思ったから。大丈夫だって、安心させようとしただけだ」
 それは、その言葉を聞いてはじめてわかることで、そうでなければいろいろなネガティブな発想がアタマをめぐり、自分を責め立てる要因になるだけだ。物好きとか、お節介とか心に刺さる言葉もあった。いちいち反論してもしかたはない。それはその男が感じたから出た言葉で、実際かどうかとは別として、スミレが感じるほどその男は深い考えで言っているわけではないはずだ。
 変に寄り添って自分の気持ちをわかったふうに言われるのも時と場合で、すべてが自分がいいような言葉をいただけることなど皆無といって言い。それも含めてカズさんは警鐘を鳴らしてくれているのだろうか。相手が心に思ったことが漫画の吹き出しのように可視化できれば、人間はもっと平和に暮らせるのかもしれない。
「そうすると知られたくもないことや、知らなかった方が幸せなことまでも知ることになる。それはそれで諍いの元になるだけでしょ。所詮は、自分の思うところに委ねられるんじゃないのかな。たとえ、相手の心づもりが目に見えたとしても、本心かどうかなんてわかるはずもなく、結局、自分がどう感じたかによって変わってしまうんだから。だったら、自分の都合のいいように解釈するのが一番でしょ」
 それで有頂天になっていれば、端から見れば楽観主義の幸せ者でしかない。
「なんだよ、信頼度ゼロか。まあ、そりゃそうだな、これまで見たことも知ったこともないヤツの言うことを信じるなんて、よっぽどおめでたいヤツって言われるだけだ」
 そんなことを言われたら身もふたもない。いまの世の中を生きていれば、見たことも知ったことのもない人たちの情報が溢れていて、それをさも真実として見聞きして、他のひとにも伝えたりしている。信じたいことが信じられず、真実味があやふやなことを本当のこととして信じてしまっていることもある。
「おいおい、お嬢ちゃん、そんな誰も彼もの言うことを簡単に信ずるなんて、とんだお人よしばかりがまわりにいるのか? 新聞や、ニュースで見てりゃなにが正しいか、どうかなんてわかるだろ」
 どうやらこの男にはインターネットという概念はないらしい。そういう世界にいた人だ。
「そもそも、新聞、ニュースが正しいと思い込んでるのもどうかってことよ。アナタみたいなのばっかだから、この国の人民統制はさぞ楽だったんじゃないかな?」
 カズさんはスミレだけではなく、見知らぬ男にも手厳しい。男は不満げな顔つきをするが言い返すつもりもないようだ。たぶん、男はカズさんだってその内のひとりで、人民統制に対してなにも抗えなかったと言いたかったはずだ。それを察しているのか、カズさんは言葉を吐き捨てた。
「なんでも、モノが言える時代は、言えない時より、言葉が軽くなるだけ。言葉でなくても戦える方法はあり、その方が自分の本心であったりする」
 スミレには禅問答のように聞こえた。男には伝わったのか、言葉をかみしめているようにも見える。
「あの、よかったら食事をご馳走させてもらえないかな。助けてもらったお礼ということでいいでしょ。ぜひ紹介したいお店があるんです」
「それはいいわ、わたしたちもいま何か食べようと話していたところ。渡りに船ね」
 スミレの意向も訊かずに、カズはさっさと快諾してしまった。それこそどこの誰ともわからないひとにのこのことついて行くのは危機管理がなっておらず、スミレの時代ではありえない展開だ。いや、どの時代でも同じか。
「キジタと言います。怪しいものではありませんよ」
 キジタさんは、そう真顔で言った。怪しいものですと言って自己紹介するヒトはいないだろうし、怪しいものではないと言われて、はいそうですかと信じるのもどうかしている。
 それから少し、いやな間があいた。キジタさんは何かを待っているような、それでいてそうでもないようなぎこちなさがあり、カズさんはキジタさんが動き出すのを待っているようで、スミレはそのふたりの次の言葉を待っていた。
「あのう、私はキ・ジ・タと言います… 雉田翔太です」
 もう一回そう言った。大切なことだから2回言うのか、キジタとは鳥のキジに田んぼの田だろうか、ぐらいしかアタマになかった。キジの漢字は思い浮かばない。会社員同士なら自分の名を名乗れば、それぞれが名を名乗っていくのがマナーである。小学生だったスミレと、高齢だったカズさんにはそんなビジネス常識は持ち合わせていない。
「では、奥さんと、お嬢ちゃんとお呼びしましょうか?」
「誰が、お嬢ちゃんだって? アナタのお嬢ちゃんになったつもりはないわ。あたしは、カズって言うの。百田カズ」
 スミレとカズさんを見て親子だと思うのは普通の反応だ。なにを持って普通とするかは別として、ファーストインプレッションでそう判断しやすい状況にある。カズさんが否定するのは年齢的な見当違いからだけであり、それがジェンダーレスとか多様性と言った部分ではない。
 そういった部分まで考慮しながら物語を展開しようと思えば、そもそも立ち行かなくなってしまうだろう。妙齢の女性と若い女の子が一緒にいて、それを見た人が親子だと認識してくれることで成り立つことは少なくないはずだ。
 曰く、見た目は女性だけど、、、 曰く、見た目は年を取って見えるけど、、、 わたしは見た目は人間だけど、、、 と、すべての考えられる事象を考慮すれば物語として成り立たない。それが主題の話しであればいいのだろうが、それはそれで認識を強要しているのとなにも変わりない。
 そもそもスミレもカズさんも最初からの見た目から大分変ってきている。自分の認識とはかけ離れていた。カズさんはどこからスタートしているかもスミレにはわからない。スミレより年下だったかもしれない。
 年下にいろいろと意見されるのもどうかと思うが、それもひとつの思い込みで普通でないことを憂いているだけだ。スミレだってカズさんとか、キジタさんと話しをして多くの情報を身に着け、スタートからは大きく成長している。


昨日、今日、未来7

2023-08-06 14:32:00 | 連続小説

「わたし、家に帰るっ」
 おっと、そう来た。ここで、スミレがすべてを投げ出してしまい、カズさんの元から離れれば、いまの自分の置かれた立場と共に、どこにも寄り添う場所がなくなってしまう。だとすれば自分の家は、両親はどうなっているのだろうか。そんな不安が急遽わき上がってきた。
 自分の過度に成長した姿を認めてくれるのか。認めてくれたとして両親はあのときのままでいるのだろうか。カズさんのように若返ってスミレと同じ年齢になっているかもしれないし、スミレと同様に一足飛びに年齢を重ねてしまっているのだろうか。
 そうスミレが言い放った時、カズさんは胸をおさえて、かがみこんでいた。うーんと低い声をもらしていた。
「どうしたの。大丈夫? 胸が痛いの?」
 目の前にはこれまで地元では見たこともない広さの空き地と、何本かの木々があり、緑の大きな葉が風に吹かれていた。木陰までヨロヨロとカズさんを誘導していく。手ごろな倒木が椅子がわりになり、ふたりはそこに腰かけた。若返ったとはいえ、元々は年寄りだ。持病のひとつふたつあってもおかしくはない。
「カズさん、おクスリとかもってないの?」
 ふうと、ひといきついたカズは手提げの中から水筒を取り出した。それはフタがコップの役目をする古いタイプの物で、そこにお茶を注いで口に含めた。フタの内側には小ぶりなコップがもうひとつセットされていて、それをスミレに渡し、そこにもお茶を注いだ。スミレもそれをいただき、喉を鳴らして嚥下する。
 カズさんは遠い目をして風で揺れる木々を見ている。一服着いたスミレも少し落ち着いた。これは受け入れなければいけない世界なのだ。抗ってはいけない。再び、時の流れがもとに戻り出すのか、この時空のなかで生きていくのか、それはもはや自分では決められない領分なのだから。
「わしも、スミレと同じだ」
 カズさんが口を開いた。その口ぶりは若干怯えているように耳に届く。
「わたしがなんでも知っているように思うだろうが、そうではない。わたしもスミレと同じようにどこかでこの時の流れに巻き込まれただけだ。自分が知っていることをスミレが追体験している。だから余裕があったり、なんでも知っているように見える。だからな… 」
 その先を言いかけてやめた。えっ、またその流れなのか? 言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのか迷っている。それはスミレがこれから経験するであろうことで、知ったうえで体験することがいいのか計りかけていた。それにカズが体験したからと言って、必ずスミレにも同じことが起こるとは限らない。
「カズさん、わたしがこれからどうなるのか知っているの? それを言うべきか悩んでいるの?」
 たとえそれを妨げられたとしても、自分の意思であるかのように認識するであろうか。誰かに支配された状況で、自分の未来を選択したなどと誰にも思われたくないし、なによりもそうである自分が許せない。
 この世界でうまく生きていくには、因果関係から推測できる先読みをして上手に立ち回ることだ。その推測さえも今では誰かの手の中に有る。相手との関係を保つか、絶つかに関わるすべてが自分の手にはない。
「なあ、スミレ。わたしはちょっとは若くなったが、スミレから見れば年寄りだ。そうすると、どうだ。スミレはわたしのことを自分より物知りだと思うだろ。それを前提にわたしの話を聞くだろ。たしかにわたしはスミレより多くのことを知っとる。それはどんな世界だろうが変わらん。それは一般常識の範囲内での話であって、なんの物珍しさもないんだよ」
 カズさんは首をふる。一般常識、当たり前の出来事、正常な時の流れ、そんな言葉はなんの意味も持たない世界にいる限り、スミレと、カズはある意味対等で、多くの失敗を経験していないだけ、スミレの方が大胆に動けるだろう。
「ふたりは運命共同体だ。わかるか、スミレその意味が」
 キョードー隊って、美少女戦隊とか、秘密戦隊とかのことだろうか。なんとなく同じ運命をたどっていく隊員に選ばれたのだと理解できた。その運命は、たどるのではなく交差しているのだ。
「カズさんはこうなることがわかってて、わたしに話しかけたの?」
 カズさんは難しそうな顔をして黙り込んでしまった。どこまで話すべきなのか思い余っている。
「なあ、スミレ。オナカすいたろ。なにか食べよう」
 なんで、ここで食事の話しになる。確かにそろそろ、お昼にはなる時間だがいろんな意味で、スミレはオナカはいっぱいで、なにか食べたい状態ではない。お金もない。
「ハラがいっぱいなら、飲み物だけでもいいだろ。お金の心配はしなくていい」
 そう言ってカズさんは、またスタスタと歩きはじめる。もはやスタスタというよりサッサッといった感じだ。スミレも仕方なくついていく。この状況でカズさんに見捨てられたら、どうなるのか想像もつかない。今の現状でスミレと世界をつなぎあわせてくれているのはカズさんだけなのだから。
 自転車に乗った女性が軽快にふたりを追いこしていく。湿度が上がってきたようでムシムシする。風があればまだいいがそれもなければ手で扇ぐしかない。さきほどの自転車の女性が気持ちよさそうに見え、目で追いかけるとなにか塊のようなものをよける動きをして、さらにスピードをアップして行ってしまった。
 電柱の下の物体は、果たしてグッタリとした人だった。自転車の女性は気づいたのか、そうでないのか。いや、気づいたからよけたのだろうが、それが人だとわかっていたのかを問いている。
「まさかあの人には、ひとに見えていないなんてことないよね?」
 そうであれば、自分には見えていることに不平等さを感じる。なるべくなら日常のなかで出くわしたくはないシーンだ。それもまわりに誰もいないならば自分が主体にならざるを得ない。
「どうしようカズさん。あのひと気分わるそうだけど… 熱中ショウかな?」
「熱中ショー? なんだそれ。なんにも熱中しとらん。それどころか放心しとる。暑気バテでか、日本脳炎じゃないのか?」
 そっちの熱中じゃないんだけどと、スミレはこれまでの自分の変換ミスを棚に上げて小バカにするも、さらに聞いたことのない病名を挙げられて困惑に変わる。日本農園だなんて農園などどこにも見当たらないのに、農園で働く人が良くかかる症状なのだろうか。
 とにかくこのまま見過ごして行くのも心が痛む。だいたい、どこかに急いで行く用事ももうなくなっていた。
 誰かの家のフェンスに寄りかかるようにして座り込んでいる男は、アタマを下げていて表情をうかがい知ることができない。断続的に呼吸を続け、息苦しそうに見える。スミレは勇気を持って声をかける。
「あのお、だいじょうぶですか?」
 その声に反応しておとこはスッとアタマをあげた。目がうつろで視点が定まっていない。それなのになにか照れくさそうに口元をあげ、温和な表情を取り繕っている。
「大丈夫。大丈夫だよ」
 ぜんぜん大丈夫に見えない。見えないのにああそうですかと、この場を立ち去るわけにもいかない。それはきっとこの人のためではなく自尊心のためだ。
「だめだよ、スミレ。大丈夫かと訊けば、反射的に大丈夫だと答えてしまうもんだ。大丈夫じゃなくてもな。そう言わないといけないように仕向けてるようなもんだ」
 そう言われれば、スミレにも思い当たることがあった。母親からはよく、明日の準備大丈夫なの? 宿題やった? 忘れ物、ない? 本当に大丈夫? 全部大丈夫だからと答えてからやりはじめた。
 そうだとすればこのひとも、大丈夫だと言っておいてから、どうにかしようと考えているのかもしれない。どうすればいいのか。自分だったらどう声を掛けてもらえればこころを開けるのだろうか。
「こんな、お嬢ちゃんに哀れられているようじゃ、おれもとうとうヤキがまわったな」
 その男は片目をつり上げてそう言った。
「そう思うんなら、さっさと、立ち上がってみてはどうかい。こんなとこでぐったりしてちゃ、いちいち通行人の目に留まり、聞きたくもない憐みの言葉をかけられるだけだろ」
 虚を突かれた男は、今度はカズさんを見上げる。思い当たる節があるのか、不服な顔をしながらも腰を上げはじめた。そうか、相手になにかを行動させようとすれば、相手の痛いところをつけばいいのだ。スミレだって指摘されたくないことをいちいち母親に言われるから重い腰をあげる。
「スミレ、それは本当に体調がすぐれない人には通用せんだろ。コイツは体調が悪いわけでなく、ただ、酔っぱらって、ヤサグレて、誰かの気を引こうとしてただけなんだからな」
 ガーン、いつのまにか主題が変わっていた。これはただ、カズさんがひとのあしらいがうまいだけだった。
「ひでえ、言われようだ。オレは好きでここで転がっているだけで、人の目なんか引こうとしていない。ヤツらが勝手に自分の良心の呵責に耐え切れず、お節介をしてくるだけだろ。そして何人かはオレの存在に気づかないふりをして通り過ぎていく。路上でどうしようがオレの勝手だ」
 なんだか、親切心で声をかけて逆に怒られている状況にスミレはなんともやりきれない。それはこの男の言うことが正論に聞こえるからだ。このひとが路上でなにしてようと自分の知ったことじゃない。
 それこそ大声で歌ったり、踊っていたりして、それが見ごたえ、聴きごたえがあれば立ち止まって観続けるし、ひどいものであれば見えない聞こえないふりをして足早に遠ざかるだろう。あの自転車で通り過ぎていった女性にはその対象でしかなかったのだ。
 ぐったりとしているという主観は自分が持っただけで、このひとがぐったりして助けて欲しいと言ったわけではない。自分が勝手に困っているだろう人を助けなければならないという、自分の価値観と、虚栄心を満たそうとしただけだ。