「ハゥッ ワンダフォ ライッ イッ ワイ ヨー リンダ ワー♪」
なんか、ふたりでハモっちゃってるし、ふたりともいい笑顔してて、朝比奈の笑顔は今日二回目で、母親がこんな笑顔をしてるのを見るのは初めてだ、、、 たぶん、、、 こんな顔するんだって、息子のおれがなにも貢献していないなによりの証拠だ。
母親の笑顔を見て思うのもなんだけど、おれが自分で自分が、まだ人間らしいなどという一面を感じるときって、他人が、人間が、楽しそうに笑っている姿を目にするときで、おれもまだ捨てたもんじゃないって、なけなしの良心を取り戻したりできる。
そう感じるときって自分にとっても大切で、おれは朝比奈と一緒にいるようになって、そういう機会が増えたのは間違いない。一緒にいることで感じられるなら、それが一番目にくる意義なんじゃないかなんて、えらそうに思ってしまう、、、 与えられているだけなのに、、、
そしておれは、同じくらいにひとが悲しむ姿を見るのは嫌いだ。おれ自身のハートが貧弱なせいもあり、そのひとたちの重みを受け止めるウツワもないからで、それなのにどうしても目がいってしまうのは人の不幸だ。
それをみて自分はまだましだとか、そういう比較的な立場でしか、自分の幸せ具合を量れない、、、 子猫を見て、自分と比べているぐらいだし、、、 そんな自分が嫌でもゼロにはできない。だから少しでもひとが笑顔になっている場面で帳尻を合わせようとしている。なんだ、けっきょく罪滅ぼし的に、自分を正当化しているだけだ。
朝比奈を見ていると、、、 一緒にいると、そんなのがひしひしと伝わってくるのに、おれにそれをおしつけるわけでもなく、諭すわけでもなく。ただ、いるだけで、おれにわからせて、考えさせている、、、 そう感じ取っただけで、その先はまだ見えていない。
競争力を失ってしまったおれの走力を、肉体的補完したのがクルマだとしたら、カラダの延長線であり増強機能でもあるわけで、さらにはツヨシが言ってたように、未来を見せてくれる乗り物ならば、自分自身でかなえられないことをまやかしの力で手に入れられる物体であった。
自分の足で走っているときにわきあがる多幸感は、一種の脳内麻薬だとか部活の顧問の先生に訊いたことがあるな。苦しみから逃れるために脳が自分をごまかそうと、はきだすホルモンが作用するらしい。
昨日チンクで走ったときその感じがすこしだけよみがえった。これってもしかして、あの感じをもう一度取り戻すことができるのかって期待した。チンクを降りた時に、なんだか少し、ものさびい気分になった。
そんなのが自分のカラダに入ってきて、アレルギー反応をおこしていたのかスッキリしなかった、、、 精神も肉体も変化している。環境に対応しながら、周囲にかき混ぜられながら。そいういうのが素直に入り込むときとそうでないときがあり、たいした技量がないのに、変なプライドだけは高かったりして、、、
子供のころ大好きなオモチャを取り上げられるような気分。ほとんど飽きてるはずなのに、それを認められない、親に悟られたくない、悟られればオモチャを捨てられてしまいそうで、そんな状況は自分の本当の感情がわからなくなり、オモチャを死守することだけを目的としていた、、、 不安定なまま、ありのまま、、、
https://youtu.be/tH9o2rd7dr0
音楽はこころの壁をひろげてくれるようで、実体のない存在だからこそ、その力や影響力はひとによってそれぞれだし、無限の可能性を秘めている、、、 たぶん、秘めているはず、、、 だからモノを使って自分を大きく見せるより、気持ちが同調した方がおもしろい、、、 競争するより調和を目指す、、、 ケンカもできないようなおれにはピッタリだ。
それにギターを弾いたとき、つぎのフレーズへの切り替えが、脳の指示を待たずして手が勝手に動いた感じって、走ってた時に感じられた快感ホルモンの放出に似ている気がした、、、 ほんの少しだけなんだけど、、、 てことは、弾き続けていけば、それをもっと多くを感じるようになってくるのか。
それを求めて楽器を弾いてるわけじゃないから、その感覚に酔っていくのは正道ではない。感応が自分を越えようとするときって、すごく気持ちがよかったりしてその流れに乗っかっていって、どこまでも突き進んでいきたくなる。いつかそれを抑える新しい波が発生するのかわからず、感情をコントロールできていないジレンマに陥ったりする。
スポーツと一緒にするもんじゃないかもしれないけど、練習や競争が日常化してきたあたりから鈍ってきたような気がする。自分を超えた感覚は日常のなかでマヒしていき、いつしかそこになんの感慨もなくなっていく。
それを超えるとまた高ぶる感情に遭遇するのかもしれない。それがいまだけ感じられるものなのか、うまく弾けるようになってからも、同じように感じれるのか、それとももっと強くなるのか。はたまた鈍ってしまうのか。一流アスリートと凡人の差、そして一流ミュージシャンと手慰みの主婦との差、、、
「コロス ト ユウ」
“殺すと言う”? あれ、反感かった? ああ、カーペンターズね。おれの皮肉は届いてないようで、ふたりはからだを左右にふりながらあいかわらずデュエットを続けていた、、、 メロディ聴けばわかるだろ、、、 きれいにハモってるし。
母親もこの曲は得意なのか伴奏だけでなく、その間にいろんなメロディを追加している。そのたびに朝比奈の顔が明るく微笑む。口にしなくたってお互いがそうすることが普通であるように。
そしてこの感じもいつか忘れていく。そんな違和感に途惑いながらも、なんだか新鮮であり、懐かしくもあり、初めて体験することって一生の中で唯一無二の出来事で、本当ならもっと大切にしなければならない体験なんだって、そんなのはあとから懐かしんでりゃいいのに、つまりはいつまでも感応し続けるってのは、この場合でも不可能ってことだ。
いつだって身体がスピードになれていき、脳内での処理速度のなかに流されていく。それが正しい状態なのか。それを知って、新しい考えを認識し、これがひとの成長ってものなんだろうか。
「ジャ ラアク ミー ゼ ロン トッ ビ♪」
リリリリーンッ。リリリリーンッ。
最後のフレーズの途中で無情にも電話が鳴った。ふたりの歌をかき消すように、、、 とか、よく表現にあるけど、まさにそんな感じ、、、 おれが出るべきなのかって戸惑っているうちに、母親が「はい、はい」といつもの調子で行ってしまった。
少し前まで10代の女の子と演奏をしていたとは思えない変わり身のはやさで、沁みついた主婦歴は簡単には捨てきれないみたい、、、 夢のコンボも現実には勝てない、、、 それなのに朝比奈はその結末を知っているような目つきだった。あのとき、夏休み前の教室で見たときとおなじ目つきだった。
朝比奈はキーボードにビロードの布を敷きフタを閉じ、レースの飾りをアップライトピアノにかぶせ部屋を出た。もうこれで終わりなんだ。おれも電灯を切って部屋を出た。この光景はもう二度とやってこない、、、 そうそうあっても困るけど、、、 また見てみたいと思うものって、たいてい二度と起こらないから。最後に母親にお気に入りのオモチャをとりあげられた気分、、、
電話の対応をしている母親の横を通り過ぎるとき服を引っ張られ、手つきでおれ宛の電話だとアピールしてきた。おれに電話なんてマサトぐらいしか思い浮かばなく、首をひねっていると、そのとき朝比奈がこちらを振り向いた。笑顔だけど、さっきのとは違う策略のあるときの笑顔だ、、、 だけど可愛い。単純なおれはそんなのでも、こころなごんでしまう、、、
「なくしたものの大きさがわかるのは、そうね、それが本当に自分に必要かどうかを考えられる時間ができた時。そんな時間がいつか来るんじゃない」
朝比奈はそう言った。その後はなんだかふたりで盛り上がりはじめて、おれはカヤの外で気持ちを伝えることもないまま、目端にも映らない存在になっていた。母親の顔は普段目にすることのない、それどころかこれまで見ていた中で一番生き生きしているようで、これじゃあおれと父親は単なるストレスのもとでしかなかったんじゃないか。
母親が朝比奈に何かを質問する。それにこたえつつ、その話題を広げると母親が興味津々でうなずいて、それでまた新たな関心が生まれ、それを説明してっていうのがエンドレスにつづいていく。むろんその逆の流れもあり、ふたりは自分の世代に足りないところをたがいに補う補完的関係を築いていた。
足りないモノがあるのはおれにだってあるんだけど、おなじ女性同士の会話のかみ合い方は、いいほうに転がればとめどない、、、 かみ合わないこともあるけどね、、、 相性が良いいんだろうな。おれは最初からおなじ人種の匂いを感じてたし。
「“おれは最初から、おなじルーツの血の流れを感じてた“のほうが正しいかもね」
母親がそう言った。朝比奈とふたりでおれのほうを見て意味ありげに微笑んでいる。”ルーツ”って、それじゃ血縁関係になってしまうじゃないか。でもいいさ、その言葉のほうが的を得ているんだ。いや、いいに決ってる。ふたりがそう思ってるんだから、、、 受験勉強に乗り遅れているどころか、授業にもついていけないようなヤツのたとえなんかよりよっぽど気がきいている、、、
「エーっ、そうなんですか」
なにが? ああ、おれじゃなくて母親の言葉に反応しているのか、、、 敬語だし。すぐ気づけよ、、、 母親も満更ではなさそうな顔をしている。朝比奈はうれしそうに身振りをまじえて母親に矢継ぎ早に質問をする。なにか幽霊がうらめしやーってしている感じで、両手を前にして指を広げ、一本一本を小刻みに上下させる。
こんな幽霊が出てきたらおれはうれしいし、うしろから抱きついてしまうかもしれない、、、 なんで後ろから、、、 そりゃ、うしろから胸の感触がつたわってくる態勢が好きだからだけど、おれに後ろを取られる幽霊はいないだろうな。
アホな妄想をしていると、ふたりは席を立ち、奥の間のほうへ行ってしまった。おれも最後のひと切れとなったパンケーキを指でつかんで口に放り込みふたりを追った。テーブルに残された三枚のケーキ皿とホイップクリームのボウル。ティカップの構図が印象的に目に残る。こういうのってあとから何度か思い出すパターンだ。
廊下を進むと母親のタンス部屋にふたりはいた。ソーっと扉をあけると、奥のほうでふたりではしゃいでいる。ビロードの布と、レースの飾り物を手にしている。もしかして、自分が着なくなった古着でも朝比奈に分け与えようというのか、、、 それだけはやめて欲しい、、、 おれと逢うときに目にするのはおれなんだからって、ことあとも何度も逢えると思っている能天気なおれ。
制止せねばとあわてて扉を開ける。なのにふたりはこちらを見向きもせず、楽し気な会話を続けている。母親のタンス部屋の奥にあるもの。近ごろは入ることもなく、久々に足を踏み入れた。たしかに子どものときのうろ覚えで、あの場所になにか置いてあって、レースの敷物がかけられていたような。そのころは気にも留めず、戸棚か引き出しだと思っていた。
さすがに今見ればそれがなにかわかる。黒塗りで鏡面のように輝いている。縦型のピアノ、、、 アップライトピアノって言うらしい、、、 ふたりの会話からそれが聞いて取れた。そこじゃなくて、なんでウチにピアノがあるの、、、 母親の部屋に。
おれがひとりわけもわからずうろたえているのに、ふたりは子どもみたいに、、、 朝比奈は子どもでいいのか、、、 ずいぶんマセた子どもだけど、、、 あっ、睨まれた、、、 母親はピアノのキーボードが収まっているフタを固定して、指先で軽く鍵盤を押さえるとポロンポロンと小気味いい音色が出る。
「久しぶりだからね。調律がズレてるかと心配したけどなんとかなりそうね」
「だいじょうぶです。それもアジですから」
調子っぱずれになってもアジのある音楽ができあがるってことか。んっ、ふたりでやるの? いまからなんかやるの? ここでやるの? てことはセッションだよね。えっ、どうゆう状況なのこれ。置いてきぼりにされたおれは、もうこの時点で完全に周回遅れになっている。
母親が、椅子に座って指を馴らしだした。さまざまなメロディが織り交ざって流れていく。やるじゃないか、小学校の先生ぐらいの腕前はあるんじゃないか。弾かれている曲もおれでも知ってるようなクラシックの名曲のサビをかいつまんでいる。
なんと母親にこんなウラの姿があるとは。そりゃおれが知らなかっただけだけど、、、 父親は知っているのか、、、 子どものとき聴かされた記憶もない。これまで口に出さなかったところを見ると、それだけ本気モードの趣味だったってことか。
「少し気になるキーもあるけど、まあ許容範囲内ね。それよりわたしのウデの衰えのほうが心配だわ。ああ、こんなことになるんなら、事前に準備しておけばよかった。朝比奈さんがジャズボーカリスト目指してるって聞いて、勝手に盛り上がっちゃってごめんなさい」
許容範囲内なのか。おれにはなんの問題もなく聴こえるけど。
「ぜんぜん。大丈夫ですよ。このままバイト先のメンバーに入っても遜色ないぐらいです。こういう突然のセッションとか大好き。変に予定されてると身構えちゃって」
それはホメすぎだろ。その気になったらどうすんだ。
「あらま、朝比奈さんのお墨付きね。あの子も高校卒業だし、わたしも第二の人生を謳歌しようかしら」
ほら、言わんこっちゃない。母親はクラシック調からジャジーなナンバーに変えてきた。朝比奈がやってるバンドにはピアノマンがいるから入れないからな。
「わたしとおかあさんのピアノのコンボでデビューっていうのもステキじゃない」
「そうなれば夢は全米制覇ね」
全米とか、制覇とか、プロレスじゃないんだから。チャンピオンベルトでも持って帰るつもりか。夢ひろがりすぎだろっ、なんておれがいくら突っ込んでも聞く耳持たず、調子が出てきたのか母親は指の動きがどんどん素早くなってきた。温まってきたオイルが全身にまわりだしたんだ。それは誰にだって同じようにやってくるんだな。
https://youtu.be/dWKdN2GNLLo
ひととおり曲を流したところで音速が緩やかになって静寂がおとずれた。指をぶらつかせた母親がこれでいいかしらと前奏を弾き始めた。このメロディアスな前奏は、たしかジョンの“ユアソング”ってヤツだ。朝比奈は母親の肩にしずかに手をのせる。
そして満をじして朝比奈はスッと息を吸い込んだ。うわっ、家でこれが見れるとは、、、 さぶボロ、、、
『イッ リルビッ ハァニィ♪』
母親が伴奏を弾く、朝比奈はそれにあわせて唄いながら、メロディラインを弾いている。ピアノの音に厚みが出て、そこに朝比奈の声が折り重なる。ときに伴奏のメロディのあいだを朝比奈の声が漂い、ときに朝比奈のうたに伴奏がのかってくる。
メロディラインはその中でズレることなく進行していくのに、朝比奈の歌いっぷりったら、先走ったり、グッと溜めたり、自由自在に回遊していく。おれは夏休み前に見た朝比奈の下校の様子を思い出していた。どんな場面でも自分の力を発揮できるって才能なのか、努力なのか。なんにしろ自分にはできないことをやってのける同年代に、ただ感嘆するばかりだ、、、 昨日からそんなんばっか。
「そういう踏ん切りをつけられないまま大きくなっていく子って多いからねえ。卒業と入学を繰り返しいるうちは、環境の変化が否が応にも身につまされるじゃない。それがなくなったとき、もう自分からはなにも踏み出さなくなってしまうのよねえ」
母親がそう応えた。自分から踏み出さなくても、まわりの変化にのり遅れないようにしなきゃいけないと、それの繰り返しだった。自分がそれほど劣っていなければ、必要以上の努力をせずにここまできた。
自分で走ってるとき、力まかせにダッシュしたってカラまわりするだけで、そこで損失するエネルギーをいかに少なくするか考慮しつつ、シューズが地面に食いつきながらも、徐々に摩擦を押さえて抵抗を少なくしていくポイントを見つけだし、シューズに体重をかけ、適切なを保ち、より遠くまで次の一歩を稼ぐ動作を繰り返し模索していた。
足だけが前に出て上体が反って上滑りしてしまっては、力強い加速が得られないのは明白で、昨日クルマを運転したときも、同じ失敗をしてつくづく学習能力のないことに気づく。前進するための適切なエンジンの回転数を見つけ出すとか、もっとも効率的なタイヤへの伝わりかをそのときは感じられなかった。
今日ギターを弾いて、それはそんな運動能力とはまた別のとらえかたがあった。うまく弾かなきゃってことより、心の奥から湧き出す次への行動が連鎖していくだけで、技術うんぬんより感情だけが先に立っていく。それが変に心地よかったりして、、、 聴いてる側は迷惑だったか、、、
ひとつの経験則からの成果を、ほかに転用できないところが能力の差になってあらわれるのか、、、 偉人は歴史に学び、凡人は経験でしか学べない、、、 歴史の勉強しとけばよかったかな。とか言って、それ以外もしてないおれ。
「その時期を認識できてないと、いつまでも空回りの努力が続く。自己成長と、努力の曲線が一致しなくなると、身も心も不安定になって、大人になってからそのバランスが狂うからそこから這い上がれなくなる」
朝比奈はそう最終通告な感じで言った。おれの行く末を示唆しているのか。母親だってそう思ってたならなんとかしようとしなかったのか、、、 ああ、だから言ってるのか、、、 朝比奈とふたりで結託するのはどうかと、、、 おれは針のむしろで、ますます肩身が狭い。
「なあに、母親のわたしから人生の行く末を明示して欲しかったの。いつもなら、絶対そんなこと言わないでしょうに」
そりゃ面と向かってそんなこと言い出せるわけがない。人間だってクルマと同じで、身体を動かしていれば筋肉の可動もスムーズになり、いわゆる温まった状態になっていけば速く走れるように、走りつづけているクルマはしだいに血が巡り、、、 油かな、、、 アタリがついてきて、動きがよくなることもあれば、各部所の温度が上がりすぎて挙動が悪くなることもあるように、おれのアタマも滑らかになり余計な言葉も漏れていく。
タイヤなんてその最たるものだし、つまりシューズね。それにプラスして路面の状況だってフラットであるとか、波打ってたり、曲がってたり、傾斜してたり、砂が多いとか、弾力があるないで、蹴り出してからスピードに乗るまでの勢いにも違いがでるもんだ。
「母親なら、一生懸命やってる自分の息子を卑下するようなことは言わないわ。たとえ的を得てようが、そうでなかろうが、そんなことは関係ないでしょ」
変わりゆく状況を身で感じて、把握した上で次なる手段であり、判断であったり、それを一瞬のうちに決めなきゃいけないから、あたまのなかいっぱいで、でもそんなものみんな自分のやってることを自己肯定しているだけだ。
同じだった、あの時と同じ。繰り返してやるほどにからだに染み込んでくる。それがいつのまにか、あたまで考えたり判断したりするより、からだが、手が、足が勝手に判断してくるようになってくる。おれはなにをやるにしてもその感覚になる時がすきで、そこを追い求めていたんだ。
そうして一体化していく。からだと意識と動きが、それを認めてるのが知られるのは怖くて、だから気のないそぶりをして自分をごまかしていた。
「よかったわね。めずらしいじゃない。イッちゃんが自分のことそれだけ表に出すの。そりゃ、この年頃の男の子が母親に素直に自分の心配事を話すってしづらいから、部活のことこれだけ話してくれたのも初めてになるわねえ。クルマの運転したってさすがに意外だったけど、どうやら朝比奈さんが段取ってくれたようね」
うっ、たしかに。調子に乗っていろいろと開示してしまった。クルマの運転に関係性を持たせると文学的かなって調子にのったあげく、墓穴を掘ってしまうなんて、つまりはうまいことふたりにはめられたんだ。
おれは子どものときどうしても人気ロボット漫画のオモチャが欲しくて。お年玉ためて買おうと思ってたんだけど、それを母親がプレゼントで買ってくれて、朝起きたら枕元に置いてあり、大興奮で包装紙をはぎとるおれ。母親は化粧台の前で素知らぬ顔して、あら、よかったわねなんて、、、 そんな夢をみた。
それで、目を覚ましてガッカリするわけだけど、ガッカリしながらもどうしておれはあれほど欲しがっていたのか、もうその時はわからなくなっていた。なんだかひとの欲求なんてものはすべてそんなもんで、夢なんだったけど、手に入ればどんなもんでも、どうしてそれほど欲しかったのかもわからないモノでしかないって。
それからだったのか、なにかを欲してながらも、それを手にいれるのが怖くなっていた。自分がなにを求めて、なんのために努力して、それを手にしたときどんな気分になってしまうのか知るのが怖かったんだ。だったら、いつまでも手に入らないほうがいいんじゃないかとか。
いつまでも手に入れられない。それはやりとげたって思えない状況が続けばいい、まだその先を見て、その先があって、それでもまだその向こうがある。そんな状況に浸かっていたかった。いつまでも。
「そうね、高望みして自分をごまかすのも、ひとつの手ね。そこから本当になることだってあるし。なんにしてもね、いつかは知ることになる」
朝比奈はそう言った。母親も完結したようにうなずいていた。
「そう思ったんなら、はじめなさい。すばらしき時間のはじまりねえ。ふたりとも、その若さを有効に使いなさい」
おれは手をつけていなかったパウンドケーキを口に入れ、紅茶で流し込んでいた。まったく情緒もへったくれも、食に対する感謝のかけらもない食べ方だ。それでもうまかった。安心して食べられる母親の味だ。
一から十まで教えてもらい、女友達の力まで借りて長男の行く末を案じてもらい、なんだかはずかしいやら、もうしわけないやらでヤケ食いになっていた。でもそう思っているのはおれのほうだけで、もうふたりは次の世界に進んでいた。
「おいしかったです。ごちそうさまでした。こんなにいっぱい食べたから、今日は夕食はなしでも大丈夫なくらい」
「そう、これからもね、よかったら食事しに来て。ひとり分ぐらい増えてもどうってことないし、いつもお昼はわたしひとりで食べてるから、ちょうどいいのよ」
「あっ、でも、もう夏休み、終わっちゃうんですよ」
そう、もうすぐ夏休みも終わる。そして朝比奈は、アメリカというおれが映像と文章の中でしか見たことない、実在するかどうかも危うい場所に行ってしまい、たぶん、もう二度とこんな時間を過ごすことはないだろう。
欲する前から手にしていて、それからなくすってのはどれほどの苦痛を感じるんだろうか。
「おまたせっ」
ふたりでなにか準備してると思ったら、朝比奈がお盆に紅茶をのせて運んできた。これまた見たこともないティーポットとカップアンドソーサがテーブルにひろげられた。つづいて母親がパウンドケーキとホイップクリームを並べた。
母親は普段もこういうことをしたかったんだ。もしくはいつか、かなえる時を夢見ていた、、、 今日かなった、、、 おれがおとこで、ブタがエサ喰うぐらいの感じで、カラダを大きくするためだけなような食いかただから、ここまでの道のりは長く険しかっただろう。
「ようやくわかった? おかあさんにもね、いろいろとやりたいことや、本心とかは別のところにあるのよ。今日は朝比奈さんのおかげでそれがひとつできてよかったわ」
ひとつか、、、 あとどんだけかなえたいことがあるんだ、、、
「わたしも、いつも、ひとりで料理してるから。それに教えてもらったこともなく、こういうの憧れていたんです」
朝比奈の口調はいつもと違っていた、、、 微妙に敬語。
「そう、でも、夢や憧れは毎日じゃダメなのよねえ。たまたまタイミングがあったり、偶発的にその流れがおこるからやってみたくなるし、うれしくなっちゃうだけで、日常になればもうそれは夢でも憧れでもなくなるから、表裏一体、紙一重。難しいところね。はははっ」
と、最後は的を得ているのか、わかりづらい熟語を言って母親はひとりで受けてた。「そういうのわかります」わかるんかい。おなじ方向性か。というか同一人物にさえ見えてきたら、ふたりは意味不明深げな目つきをおれに向けた。
朝比奈は3つのカップにつぎつぎと紅茶を注ぐ。肩ひじ張ることなく優雅な手つきはそのままだ。そしてそれぞれのもとへソーサごと配膳してから、もういちどいただきますと手を合わせて、泡だて器でホイップクリームをとり、パウンドケーキのよこに添えた。
おれは子どものときに、ホイップクリームが出るとあの泡だて器をなめつくそうと必死に舌をからませ、くちもとをクリームだらけにするぐらいしか能がなかった。こう思うと、ことごとく母親を幻滅させることしかできなかった。
「甘すぎなくて、軽いクリームだから美味しいし、いっぱい食べれますね」
「でしょ。うれしいわ、そういう言われかたしたのはじめてよ。朝比奈さんに食べてもらえてこのコも幸せよねえ。うちのおとこどもは甘くないって文句言うだけだから。クリームは甘いもんだって固定観念から離れらなくて、そこから新しく見える違う世界を想像できないんだから」
なに、ホイップクリームから新しい世界とか、、、
「世のおとこどもは女性が見えない水面下でどれだけ努力しているかわかってないし、わかろうとしないですからね。自分の立場がうえであることを知らしめて、それを認知させないと自分の存在価値が見いだせなくなりますから」
母親はカップを両手で支えて声をださずに笑った。おれのほうを見て、この子じゃ役立たずでしょと言わんばかりだ。おれはふたりのあいだで息つく暇もない。オトコは欲情と同情をてんびんにかける。オンナは共感と見映えと、おいしいものがあればいい。
「この子はね、ひとりで集中してトコトンやり抜いていくのが唯一の取り柄で、それがなにであろうと。わたしもね、陸上のなにが面白いのかわからなくて、気を付けてねって送り出すしかできなかった。母親としてできることってそれぐらいのものなのよ」
なにが面白いかって、おれも実際のところよくわからなく、ただ記録がのびたとかはなしするとまわりが喜んでくれて、それは両親もおなじで、だからそれがうれしかったのはまちがいない。
どうやら、それは相互関係だったらしく、おれが嬉々としてはなすから母親もうれしくなり、それを見ておれもよりやる気が出たという。どっちがどっちでもなく、おたがいにいい感情の流れにのっていたみたいだ。
それにしても、もう少し持ち上げてくれてもいいんじゃないかと言いたいところだけど、 そんなトコ自分に持ち合わせていないのはわかっているし、変に持ち上げられりゃ親バカになるから難しいし、、、
なんだかおれは好き放題、自分のやりたいことやっちゃてるみたいで、いつだって誰かに、、、 母親に、、、 見透かされてるわけで、おれなんてオンナの、、、 朝比奈の、、、 手のひらで駆け回ってるだけだ、、、 どんなに速く走ってものがれられそうにないくらい、、、
「ホシノは、あっ、すいません。いつもそう呼んでいて… 」
母親は笑顔でくびを振った。了承を得た朝比奈は続けた。おれだっていまさら別の呼ばれかたしても気持ち悪い。
「そういうとこありますよね。そこには興味があります。わたしがする課題解決とは違う別のアプローチのしかただったり、はじめて体験する行為に対する捉え方が、見ていてもどかしくもあり、堅実でもある」
“そこには”とか“もどかしい”とか気になる点はあるけど、おおむねほめ言葉だったととらえておこう、、、 そこは前向き、、、 昨日クルマを運転したとき、自分の身体で走るのと、クルマを介して走るのは、ぜんぜん違うんだけど、あたまで考えることはそれほど変わりないんじゃないかって一致してきた。
そのうちに、どれも同じに溶け込んでいくような感覚になる。それなのにクルマで走ったとき、いまひとつピンとこなかったのはなぜなんだろう。もうひとつ踏み込んでみようという気にならなかったけど、なにかやりかたがまずかったのか。
おれが陸上時代にやっていた方法は、走りながらひとつひとつ課題を出していき、そいつをクリアしていく方法で、トライしては修正していくことでタイムを削っていった。最初はそこそこタイムを縮められるが、あるところまでくるとその幅も少なくなる。
そこでどれだけ我慢して続けられるかで、また突然タイムが削れたりする。それがこれまでに培ったおれの経験則だった。それなのに、昨日できてたことが今日できなくなることもある。その理由もわからない。いつだって一進一退。
「堅実ってやさしい聴きざわりねえ。いいのよ。ハッキリと要領が悪いとか言ってあげて。もどかしくとも、その時間で動く感情はそれぞれ貴重なんだから」
と母親が言う。そういう経験値があるかないかで気持ちも大きく変わってくるはずだ。先が見えなければ誰だって同じことを続けるのは困難になる。そこで止めてしまうのか、ひとつでも可能性を信じて続けるのか、おれは何度もその場に立たされては盛り返してきたはずだ。
バカの一つ覚えだとも言えるし、石の上にも3年という言い方もある。なんにしろ結果がすべてなら、おれがやってきたことだってそれほど間違っていないはずだけど、それ以外の要因が積み重ねていたものを無にしてしまう。
「努力も方向性を見間違えば単なる自己満足になってしまう。その世界の住人になってしまうの簡単で楽なの。比べることも、差を見出すことも、優越感を得るだけの快感ホルモンの増幅と放出による疑似体験でしかない。それを感じるとき、わたしはひどくガッカリした気分になるんです」
母親も、朝比奈もなんだか自分のことをわかってくれていると思ってた。そのなかでの完全否定でもなくゆるやかな否定。おれがその不安を打ち消すためにできる選択肢は多くはないわけで。
その工程をなぞっていくのは懐かしくもあり、そして楽しくもあった。ひとつ課題をクリアすると自然と顔がニヤついてくる。すべての結果には必ず起因があり、そこにたどり着くと無性にうれしくなってしまう。自分の足で速く走るために、ただ足を素早く動かすだけではおのずと限界があるんだから。
足を素早く動かすためにできること、力任せにならないこと、効率的に自重を活かすこと。それらをもう一度見直していると、それもみんな自己陶酔でしかなく、自分の成長になんの影響も与えていなかったか、もしくは微々たる進歩だったと。
「私有地の向こうは自由地区だって、そんな願望にすがりつきたくなる」
そう母親は言った。もうどちらがどっちのセリフを言っているのかわからない、、、 すべては連動している、、、 そう、すべては連動しているわけで、骨盤をうまく動かすために肩甲骨と一体化させなきゃいけないし、それにあわせて背筋の力と動かしつづけるスタミナが必要なのと同じだ。
そんなことを教えられたり、本で読んだりして自分のものにしようと練習を繰り返して、それらは当然すべてが噛みあってこそ力が発揮でき、あたまで理解してカラダを動かしているつもりでも、すべてがつながるようになるには、何度もの挑戦と失敗を繰り返していく。
それで自分の身になったのか自分ではよくわからない。もっとできたのかもしれない。それは出せたタイムだけが如実に物語っていて、いまのおれの現状がすべてなんだと思い知らされる。
「ひとはそういうのは無駄ではないと声をかけ、なぐさめて、明日への糧にする。それもいつか終わる時がくる。いつまでも愚直なのが評価されるわけじゃない。結果を出さなきゃ好きなことも続けられない」
そう朝比奈が言った。すぐにでも結果を求められる世界に飛び込もうとしている朝比奈は、逃げ場をつくらずに前に向かっている。クルマを走らせるにもアクセルを踏めばスピードは上がってくれる。だれだってできることだけど、速く走らせるにはやるべき行動はいくつもあるんだ。