どうしても気になる記事があった・・・
以下コピペです。
【あの日、あの1球/ABCスポーツアナ】
甲子園経験豊富な元監督さんからお聞きした話です。
野球部に、「どうしても野球がしたい」という
大変な熱意を持って入ってきたものの、
実力ではどう見てもベンチに入れそうもない生徒がいたそうです。
その生徒に、監督は「お前をプロにしてやる」と言いました。
「野球やない、コーヒーのプロやぞ」と。
監督は、連日のように監督を訪ねてくるお客様の、
コーヒーの好みを全て完璧に把握するという課題を与えたそうです。
するとその生徒は懸命に覚えて、やがて何も聞かなくても「この方はブラック」「この方は砂糖2杯」、という具合に、お客様ごとの好みに合ったコーヒーをさっと出せるようになりました。お客様たちは大喜びです。そして「すごいねえ」「おいしいなあ」と喜ばれたのは言うまでもありません。
その生徒が卒業し、就職してからしばらくして、
監督のもとにネクタイが届いたそうです。彼が初めての給料で買った、監督へのささやかなお礼の贈り物でした。人にはそれぞれ、必ず得意なことがある。何かを頑張ることで「何かのプロになれる」。自分だって一生懸命にやれば、人に喜んでもらえる、誰かの役に立てる。
小さな自信はやがて、人生に立ち向かう大きな勇気につながっていきました。
「野球を通じて人間を育てる」。
もはや聞き慣れてしまったありきたりな題目に聞こえるかもしれませんが、毎年のように入部してくる思春期の子どもたちにとっては、本気でそう考えてくださる監督や先生に出会えるかどうかで、時に人生をも左右することがあるようです。
甲子園だけじゃなく、野球だけでもない。
大人と子どもを越えた、人間同士の3年間の真剣勝負もまた、高校野球の輝く魅力なのではないでしょうか。
これに対し称賛の声が大きい。
が・・・あくまでも個人的な考えだが・・・・納得出来ない。
入部したこの少年の気持ちは本人しか分からない。分からないがその少年はその高校で・・・そのグラウンドで高校野球にチャレンジしたかったはず。
実力ではベンチ入り出来ない?それは入学したての実力でしょ?
もちろん熱意や情熱だけで野球が上手くなることはない。
でも・・・どれだけ恵まれた身体能力があったとしても野球に対する情熱と熱意がなければ上達できない。
これだけ強い気持ちを持って入部したんだからどこかでスコーーーンと上達しレギュラーの座を掴んだかもしれない。いや・・・たとえ3年間ベンチ入り出来なかったとしても彼が得られたモノはとてつもなく大きかったでしょう。
監督を訪ねてくる方々にコーヒーを入れる、砂糖の数を覚える、来校者のコーヒーの好みを覚える・・・・全く理解出来ない。
『その少年は高校野球がしたくてその高校に入学した』んです。
肩を壊した・・・大きなケガをした・・・そのために選手を断念しマネージャーに・・・ではない。
「ベンチ入り出来そうにない」とすぐに判断を下し、その選手の可能性を信じようともしない監督が果たして優秀なんだろうか?甲子園の経験豊富だから優秀な指導者なんだろうか?
私にはそうとは思えない。穿った見方をすれば、高校野球をやりたかった選手に野球教える時間が惜しかった、まさに『今現在』に実力がある選手のみを鍛え上げての甲子園・・・「勝利至上主義」の監督・・・そうとしか思えない。
こんな話を聞くと高校野球って誰のためのもの?少し寂しくなる。
こんな話をスポーツアナウンサーが美談仕立てで投稿するってどう言う心境なんだろうか?
もし自分が「お前はアナウンサーに向いてない。デスクを訪問されるお客さんのコーヒーの好みを覚えて!」・・・それで納得するんだろうか?
アナウンス技術を向上させようなんて努力はしないんだろうか?
人間には向き不向きがある?だからどうした!向いてない事を頑張ったっていいじゃないか!
何かのプロにならなきゃいけないのか?下手だろうと自分が好きな事に夢中に取り組んでもいいではないか!
その道のプロにならなきゃ稼げない?金だけが、給料だけが判断基準なのか?
綺麗事かもしれないが稼ぎが少なくても自分が好きな事を仕事として出来る・・・それを認めてくれる家族がいる・・・それだけ充分ではないのか。
記事の中のこの文章が滑稽すぎて虚しくすら感じてしまう。
『「野球を通じて人間を育てる」。もはや聞き慣れてしまったありきたりな題目に聞こえるかもしれませんが、毎年のように入部してくる思春期の子どもたちにとっては、本気でそう考えてくださる監督や先生に出会えるかどうかで、時に人生をも左右することがあるようです。』
私は・・・どんなに下手だろうが一所懸命に野球をやらせてくれる監督の方が数倍も素晴らしく思える。
偽善だ、と、腹が立ちました☆