今日は、勉強会でした。
今日は、後ろに『神』という掛け軸を掛けていただきました。
茶道の武者小路千家 11代宗匠 一指斎(1848~1898)が
12歳の時に、書かれた書でした。
12歳で書いたとは、思えないようなとても立派な、「神」という字に、
とても驚きました。
本日の代表の御講話です。
『今日は、「神」という明主様が御揮毫されたものではない書を掛けました。
どうして今日「神」という字を掛けなくては、いけなかったのか?
この字は、神様のことをわかっている人ほど、なかなか書けないものです。
神様の事が、恐れ多くて書けなくなるのです。
皆さん、「神様」をどれだけわかっていますか?
人の目ではなく、神様にピントを合わせて、生きていますか?
西郷南洲も言いました。
「人を相手にせず、天を相手にせよ」と。
“天”とは、“神”のことなんです。
人は、人の目に合わせて生きる方が、楽なんです。
人の前では、うまく出来ても、神様は、すべてお見通しです。
うまくいかないのは、神様に焦点を合わせていないからです。
お世話をきちんとできてない人は、いくら御用をしてもお導きできません。
神様の目は、節穴ではないから、お許しがいただけないのです。
お世話している人に、心を砕いていますか?
お世話している人の事をどれだけ思っていますか?
人に、好かれる言葉、優しい言葉、気持ち良くする言葉を言うのは、簡単ですが、
その人のためを想い、その人に厳しい言葉を言えるようにならないと、
本当にその人のことを想っていることにはならないのです。
本当に、その人のことを想っているからこそ、厳しく出来るのです。
うまくいかない人は、月次祭で、勉強会で、御講話を聴いても、
頭には入っているけれども、腹に入っていないから実行できず、うまくいかないのです。
本当に、神様のことをわかっていないからです。
人から見て、良い人でも、神様から見ても、良い人ですか?
神様のところに、自分だけが参拝したらいいのですか?
自分だけが幸せになったらいいのですか?
自分の家族だけが、幸せになったら、いいのですか?
まずは、自分のことや、家族のことを優先して、余った時間を神様のことに、
参拝や、御用や、お世話に時間を使うという考え方をしていませんか?
そういう考え方で、お世話している人に、心を砕いていると思いますか?
“浄霊に行かなあかんで行く。”
“厳しく指導されるから、言わなあかんから言う。”
そういう人が、お世話に来ても、心が打たれると思いますか?
お世話している人達が、神様に向かい、幸せになるように本気で努力していますか?
努力しない人には、神様は助けてくださらないですよ。
努力している人には、神様は、救いの手を差し伸べてくださいます。
これから、もっと厳しい時代が来ます。
そんな時に困らないように、自分が神様に焦点を合わせていかないと、
弱肉強食の世の中で、生き残っていけませんよ。
動物の世界は厳しく、ライオンの家族は、団結力は強いが、他の家族の為に、
弱ってしまったライオンは、取り残されて、死んでいく。
食料を獲るために、ライオンの家族は、団結して、食料となる動物の群れを襲う。
その時も、群れの中から、弱っているものを探して狙う。
弱いものの中から、一番弱って来た獲物を、狩る。
それは、邪神のやり方と同じである。
邪神は、神様に向かう人を、弱いものから狙って行きますよ。
皆が、前に進んでいる中で、立ち止まってしまったら、
もう、下がっているのと同じなのです。
これから先、どんどんと大変な世の中になってきます。
将来、今以上に就職難の時代が来た時に、今の子供達が大人になった時に
困らないように、子供達の躾もきちんとして、人見知りをする小さい頃から、
人と交わるように、子育てしていかないと、困るのは自分達ですよ。
知らないことは自分から、周りの人に聞いていく姿勢が大事です。
自分が出来ている、賢いと思っている人は、人に聞かないから、変わらない。
他人も、“あの人は間違えている”とわかっていても、嫌われたくないから、
“ああした方が良い、こうした方が良い”とは、誰も言わないのです。
だから、耳に痛いことを言ってくれる人は、本当にその人を想って言っているので、
感謝して聞いたほうがいいですよ。
明主様が仰せられたように、この世の中は、9分9厘まで邪神にやられますが、
最後の一厘、神様の力でひっくり返されます。
この世の中は、正邪の戦いです。
邪神にやられないように、何事も前向きに受け止めて行ってくださいね。』
今日は、後ろに『神』という掛け軸を掛けていただきました。
茶道の武者小路千家 11代宗匠 一指斎(1848~1898)が
12歳の時に、書かれた書でした。
12歳で書いたとは、思えないようなとても立派な、「神」という字に、
とても驚きました。
本日の代表の御講話です。
『今日は、「神」という明主様が御揮毫されたものではない書を掛けました。
どうして今日「神」という字を掛けなくては、いけなかったのか?
この字は、神様のことをわかっている人ほど、なかなか書けないものです。
神様の事が、恐れ多くて書けなくなるのです。
皆さん、「神様」をどれだけわかっていますか?
人の目ではなく、神様にピントを合わせて、生きていますか?
西郷南洲も言いました。
「人を相手にせず、天を相手にせよ」と。
“天”とは、“神”のことなんです。
人は、人の目に合わせて生きる方が、楽なんです。
人の前では、うまく出来ても、神様は、すべてお見通しです。
うまくいかないのは、神様に焦点を合わせていないからです。
お世話をきちんとできてない人は、いくら御用をしてもお導きできません。
神様の目は、節穴ではないから、お許しがいただけないのです。
お世話している人に、心を砕いていますか?
お世話している人の事をどれだけ思っていますか?
人に、好かれる言葉、優しい言葉、気持ち良くする言葉を言うのは、簡単ですが、
その人のためを想い、その人に厳しい言葉を言えるようにならないと、
本当にその人のことを想っていることにはならないのです。
本当に、その人のことを想っているからこそ、厳しく出来るのです。
うまくいかない人は、月次祭で、勉強会で、御講話を聴いても、
頭には入っているけれども、腹に入っていないから実行できず、うまくいかないのです。
本当に、神様のことをわかっていないからです。
人から見て、良い人でも、神様から見ても、良い人ですか?
神様のところに、自分だけが参拝したらいいのですか?
自分だけが幸せになったらいいのですか?
自分の家族だけが、幸せになったら、いいのですか?
まずは、自分のことや、家族のことを優先して、余った時間を神様のことに、
参拝や、御用や、お世話に時間を使うという考え方をしていませんか?
そういう考え方で、お世話している人に、心を砕いていると思いますか?
“浄霊に行かなあかんで行く。”
“厳しく指導されるから、言わなあかんから言う。”
そういう人が、お世話に来ても、心が打たれると思いますか?
お世話している人達が、神様に向かい、幸せになるように本気で努力していますか?
努力しない人には、神様は助けてくださらないですよ。
努力している人には、神様は、救いの手を差し伸べてくださいます。
これから、もっと厳しい時代が来ます。
そんな時に困らないように、自分が神様に焦点を合わせていかないと、
弱肉強食の世の中で、生き残っていけませんよ。
動物の世界は厳しく、ライオンの家族は、団結力は強いが、他の家族の為に、
弱ってしまったライオンは、取り残されて、死んでいく。
食料を獲るために、ライオンの家族は、団結して、食料となる動物の群れを襲う。
その時も、群れの中から、弱っているものを探して狙う。
弱いものの中から、一番弱って来た獲物を、狩る。
それは、邪神のやり方と同じである。
邪神は、神様に向かう人を、弱いものから狙って行きますよ。
皆が、前に進んでいる中で、立ち止まってしまったら、
もう、下がっているのと同じなのです。
これから先、どんどんと大変な世の中になってきます。
将来、今以上に就職難の時代が来た時に、今の子供達が大人になった時に
困らないように、子供達の躾もきちんとして、人見知りをする小さい頃から、
人と交わるように、子育てしていかないと、困るのは自分達ですよ。
知らないことは自分から、周りの人に聞いていく姿勢が大事です。
自分が出来ている、賢いと思っている人は、人に聞かないから、変わらない。
他人も、“あの人は間違えている”とわかっていても、嫌われたくないから、
“ああした方が良い、こうした方が良い”とは、誰も言わないのです。
だから、耳に痛いことを言ってくれる人は、本当にその人を想って言っているので、
感謝して聞いたほうがいいですよ。
明主様が仰せられたように、この世の中は、9分9厘まで邪神にやられますが、
最後の一厘、神様の力でひっくり返されます。
この世の中は、正邪の戦いです。
邪神にやられないように、何事も前向きに受け止めて行ってくださいね。』