明湧會ブログ

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今日は勉強会でした。

2010年10月23日 20時00分00秒 | 勉強会
今日は、勉強会でした。

今日は、後ろに『神』という掛け軸を掛けていただきました。



茶道の武者小路千家 11代宗匠 一指斎(1848~1898)が

12歳の時に、書かれた書でした。

12歳で書いたとは、思えないようなとても立派な、「神」という字に、

とても驚きました。


本日の代表の御講話です。



『今日は、「神」という明主様が御揮毫されたものではない書を掛けました。

どうして今日「神」という字を掛けなくては、いけなかったのか?

この字は、神様のことをわかっている人ほど、なかなか書けないものです。

神様の事が、恐れ多くて書けなくなるのです。

皆さん、「神様」をどれだけわかっていますか?

人の目ではなく、神様にピントを合わせて、生きていますか?

西郷南洲も言いました。

「人を相手にせず、天を相手にせよ」と。

“天”とは、“神”のことなんです。

人は、人の目に合わせて生きる方が、楽なんです。

人の前では、うまく出来ても、神様は、すべてお見通しです。

うまくいかないのは、神様に焦点を合わせていないからです。

お世話をきちんとできてない人は、いくら御用をしてもお導きできません。

神様の目は、節穴ではないから、お許しがいただけないのです。

お世話している人に、心を砕いていますか?

お世話している人の事をどれだけ思っていますか?

人に、好かれる言葉、優しい言葉、気持ち良くする言葉を言うのは、簡単ですが、

その人のためを想い、その人に厳しい言葉を言えるようにならないと、

本当にその人のことを想っていることにはならないのです。

本当に、その人のことを想っているからこそ、厳しく出来るのです。

うまくいかない人は、月次祭で、勉強会で、御講話を聴いても、

頭には入っているけれども、腹に入っていないから実行できず、うまくいかないのです。

本当に、神様のことをわかっていないからです。

人から見て、良い人でも、神様から見ても、良い人ですか?

神様のところに、自分だけが参拝したらいいのですか?

自分だけが幸せになったらいいのですか?

自分の家族だけが、幸せになったら、いいのですか?

まずは、自分のことや、家族のことを優先して、余った時間を神様のことに、

参拝や、御用や、お世話に時間を使うという考え方をしていませんか?

そういう考え方で、お世話している人に、心を砕いていると思いますか?


“浄霊に行かなあかんで行く。”

“厳しく指導されるから、言わなあかんから言う。”

そういう人が、お世話に来ても、心が打たれると思いますか?


お世話している人達が、神様に向かい、幸せになるように本気で努力していますか?

努力しない人には、神様は助けてくださらないですよ。

努力している人には、神様は、救いの手を差し伸べてくださいます。

これから、もっと厳しい時代が来ます。

そんな時に困らないように、自分が神様に焦点を合わせていかないと、

弱肉強食の世の中で、生き残っていけませんよ。

動物の世界は厳しく、ライオンの家族は、団結力は強いが、他の家族の為に、

弱ってしまったライオンは、取り残されて、死んでいく。

食料を獲るために、ライオンの家族は、団結して、食料となる動物の群れを襲う。

その時も、群れの中から、弱っているものを探して狙う。

弱いものの中から、一番弱って来た獲物を、狩る。

それは、邪神のやり方と同じである。

邪神は、神様に向かう人を、弱いものから狙って行きますよ。

皆が、前に進んでいる中で、立ち止まってしまったら、

もう、下がっているのと同じなのです。

これから先、どんどんと大変な世の中になってきます。

将来、今以上に就職難の時代が来た時に、今の子供達が大人になった時に

困らないように、子供達の躾もきちんとして、人見知りをする小さい頃から、

人と交わるように、子育てしていかないと、困るのは自分達ですよ。

知らないことは自分から、周りの人に聞いていく姿勢が大事です。

自分が出来ている、賢いと思っている人は、人に聞かないから、変わらない。

他人も、“あの人は間違えている”とわかっていても、嫌われたくないから、

“ああした方が良い、こうした方が良い”とは、誰も言わないのです。

だから、耳に痛いことを言ってくれる人は、本当にその人を想って言っているので、

感謝して聞いたほうがいいですよ。

明主様が仰せられたように、この世の中は、9分9厘まで邪神にやられますが、

最後の一厘、神様の力でひっくり返されます。

この世の中は、正邪の戦いです。

邪神にやられないように、何事も前向きに受け止めて行ってくださいね。』

今日の代表のお言葉。

2010年10月23日 18時00分00秒 | 代表のお言葉
今日、代表にとても立派な松茸を、拝見させていただきました。



代表の大事な友人からの“少し早いけど、お誕生日プレゼント”だそうです。

国産の、しかも、長野県のとても高価な物なので、その話を聞いた時、代表は、

「そんな高価なもの、もったいないからいらない。」と、ご遠慮されたそうです。

でも、その友人さんは、



「黒さんにプレゼントすることによって、僕に徳を積ませてくれ。」

と言って、お渡しされたそうです。


「なかなか言えない言葉ですよ。皆さんも見習ってくださいね。」

と代表は、おっしゃってみえました。


誠の想いがこもった貴重な贈り物に、代表はとても感動されて、

御神前にお供えされてみえました。

めったに見ることのないとても立派な、薫りも芳しい高級松茸を見せていただき、

私も、誠の贈り物をされる友人さんの気持ちを見習わないといけないと思いました。



祖霊供養 (明湧會の教修より)

2010年10月22日 18時00分00秒 | 教修より
『霊的孝養』

 霊界に帰った霊は、子孫の真心よりの供養により、光を受け、

救われるのでありますから、祖霊は子孫の供養を非常に喜ばれるのであります。

「孝行したいときに、親はなし」

といわれますが、それは間違っています。

生存中の孝養以上に死後の孝養も大切であります。

 祖霊と子孫の関係は、木における根と枝葉の関係と同じであります。

根が健全であることによって、その木が勢い良く生い茂るように、

ご先祖様が救われることによって、その家が栄えるのであります。


祖霊供養 (明湧會の教修より)

2010年10月21日 18時00分00秒 | 教修より
『霊界への復帰』

 人間死ねば、一切が終わると考えている人が沢山あります。

しかし、死は一切の終わりではありません。

死とは老衰や怪我、病気等のために肉体が使用不能となって、

霊体が肉体より離脱し、霊界に復帰し、霊界生活が始まることであります。

 霊界に入った霊の多くの場合、一旦、、中有界に入り、霊界生活の準備を整え、

その後それぞれの霊界へ帰ります。

入るべき霊界はこの世での善悪の質と量によって決定されます。

肉体はナキガラとなって、自然界に帰るのであります。

御神体 (明湧會の教修より)

2010年10月20日 18時00分00秒 | 教修より
『御神体』

 神様がお働き下さる場合、「御神体」を通してお働き下さいます。

本會におきましては、代表が御魂を入れられた「大光明」「光明」のお文字を

御神体と致しております。

みろくおおみかみ様は、御神体を通して人間界にご顕現下さり、

み力をお揮い下さるのであります。

祈りの場合も、御神体を通して祈ることにより神様に通じるのであります。

 御神体は、個人にいただく「お守り様」のように、

家にお迎えするお守り様であります。

みろくおおみかみ様をお迎え申し上げ、朝な夕な心をこめてお祈りするとともに、

事あるごとに祈り、また感謝申し上げることは、信仰生活において大切なことであり、

家中に光をいただき、家の栄えの基をつくっていくことにもなります。

御神体の御奉祭は非常に大切なことであります。

霊衣 (明湧會の教修より)

2010年10月19日 18時00分00秒 | 教修より
『霊衣』

 人間には霊衣というものがあって、人間の幸、不幸に大きな関係をもっております。

これは肉体の衣のように、霊体を包んでおりますので、この名があります。

霊衣は厚い薄いがあり、普通人は三センチくらいの厚さで霊体全体を

包んでおり、健康者、高徳者は厚く、聖者ともなれば非常に厚くなります。

神像、仏像等に描かれている後光は、この霊衣を表しております。

 反対に不健康者、不徳者は霊衣が薄く、俗に「カゲが薄い」というのは、

極端に薄くなった霊衣を人々が感じるのであります。

勿論霊衣の厚薄は、その人の幸、不幸と密接な関係があり、

霊層界における幽魂の位置と同様、信仰や想念、行為によって厚さが変化いたします。

この霊衣は心静かに凝視する時、ある程度感じることがあります。

明主様の御讃歌

2010年10月18日 18時00分00秒 | 御讃歌
尊くも   神より受けし生命なれば   おろそかにすな道を守りて


とうとくも かみよりうけしいのちなれば おろそかにすなみちをまもりて




人はみな   神のみたまのわかれなり   洗ひ浄めむ元つ姿に


ひとはみな かみのみたまのわかれなり あらいきよめんもとつすがたに




いと高き   尊きものは人なりと   思ふ人こそ人たる人なれ


いとたかき とうときものはひとなりと おもうひとこそひとたるひとなれ

昨日は松阪月次祭でした。

2010年10月18日 18時00分00秒 | 松阪月次祭
10月17日日曜日10時から松阪支部にて、松阪月次祭が執り行われました。



祭司による月次祭祝詞奏上





代表をはじめ、會員皆で、天津祝詞奏上


代表集団御浄霊、御教え拝読、代表御講話、瞑想と、神様の強い光をたくさんいただき、

曇りをたくさん取っていただき、浄めていただきました。

代表の御講話では、

「年間の医療費に税金がどのくらい使われているか、知っていますか?

今は、保険で負担してもらえるので、簡単に医者に行きますが、

結局は、自分達が税金を支払って負担しているのです。

医者に行かない人も、行く人の分まで、支払っているのです。

世の中不景気ですが、介護職は、ひくてあまたの状態です。

これから先、もっと不景気になった時、介護施設に預けるお金が無くなって、

家で看る人が増えてきたらどうなるでしょうか?

次は、介護職の人の仕事が無くなって来ます。

これから先、どうなるかわかりませんよ。


江戸時代の終わり、吉田松陰は、松下村塾で、幕末の志士たちを育てました。

坂本龍馬は、松下村塾の志士たちと、西郷隆盛と関わり、世の中を動かしました。

西郷隆盛は、松下村塾で教わったのではなく、最初から想いが同じだったのです。

西郷南洲は、『人を相手にせず、天を相手にせよ』と言いました。

この“天”と言うのは、“神様”という意味です。

人間は、この世に生まれてくる時に、神様に『修行してきます。』と約束してきます。

生まれて来てからは、すっかり忘れているのですが、

皆さんの身体は、神様からの預かり物なのです。

預かり物なのに、大切にしていますか?粗末に扱っていませんか?汚していませんか?

神様からの預かり物だという事を、覚えておいてください。

そうしたら、粗末にできないはずです。

人ではなく、神様に焦点を合わせてください。


『金持ちになりたかったら、金持ちの人と付き合うようにしてください』

と最近よく話しますが、では、どうすれば、お金持ちの人と

付き合う事が出来るのでしょうか?

例えば、勉強の出来る人と付き合うには、どうしたらよいのでしょうか?

勉強の出来る人と付き合うには、自分も努力して勉強して、

その人と話が合うようにならないと相手にされません。

お金持ちの人と付き合うようになるには、

その人に好かれるように、努力しなければいけないのです。

ある青年が、優しい道と、難しい道があれば、

難しい道を選ぶと言ってましたが、見習ってくださいね。


今、円高が続いています。

このまま続けば、将来今以上に就職難になります。

子供達が将来就職する時に、有利になる条件が、

1.勉強がすごくできる

2.しつけが出来ている

3.スポーツクラブに入っている(上下関係がしっかり身に付いている)です。

自分の子供をきちんと躾けるのは、親の責任です。

今の世の中、他人は注意してくれません。

将来、子供達が困らないように、虐待はいけませんが、多少の体罰をしてでも、

きちんと躾けるようにしてくださいね。

霊層界 (明湧會の教修より)

2010年10月17日 18時00分00秒 | 教修より
 霊界は段階の層になっていますので、霊層界ともいいます。

大別すると、上、中、下の三段階となります。

上、中、下の各段がそれぞれ三段階となって九段になっています。

その一段が更に二十段に分かれて、百八十段の層になっています。

その上に主神様のおられます一段があって、合計百八十段の層になっています。

 上下の差は、光と熱によります。

上段ほど光と熱が強く、幸福なる世界であり、下段ほど光と熱が乏しく、

最下段は暗黒無明、極寒の世界であります。

これが古来いわれております「地獄、極楽」であります。

 人間には、「幽魂」と称する魂の本籍のようなものが、霊層界にあり、

その人の幸、不幸に密接な関係をもっています。

幽魂が中位にあれば、その人の生活は苦楽相半ばするのであり、

上の方にあれば、幸福が多く、下に行く程苦しみが多くなります。

幽魂は一定不変ではなく、その人の心、言、行によって上下するのであります。


守護神(明湧會の教修より)

2010年10月16日 18時00分00秒 | 教修より
 守護神は大別すると三種類あります。

元来人間には先天的に神様から与えられている神様の分霊ともいうべき

良心が与えられています。

また、人間の所有欲、名誉欲等といった欲望をつかさどるところの

副守護神があります。

 また、意識するとしないにかかわらず、

すべての人に守護神が寄り添うように守っていてくださいます。

これを正守護神といい、この守護神は自分と関係のある霊が

選ばれるのであります。

 第六感とか、虫の知らせとかいうインスピレーション、

事故に遭うところを不思議と助けられたり、物事が予期以上に

順調に運ばれたりすることなどは、この守護神の働きであります。

このような場合、多くの人は偶然と思うけれども、決して偶然ではなく、

霊界において守護神がお働き下さっているのであります。

 守護神が非常に強く働く人と、そうでない人があります。

信仰を持ち、利他的な心、言、行の人は大きく力を発揮し、

神様を認めず、利己的な人には守護神は働き得ないものであります。

 守護神が強く働き、守られている人は、幸運者となります。

従って、常日頃より信仰を深め、善を思い、善を行う人となることが

何よりも大切であります。



山に登ると。(編集部より)

2010年10月15日 18時00分00秒 | 日記
山に登ると、とても得るものが多くて、山登りを代表に勧めていただいて、

本当に良かったな、と思います。

足腰に筋肉が付いて、登るたびに、登山が楽になりました。

汗をたくさんかくので、少しずつ身体が締まってきました。

登山の後半の頃は、体力的にきつく感じて来ます。

その時に、いろんなことを考えたりします。

休むか、休まないか?  

しんどくても前に進むか? しんどいから止まるのか?

自分の記録に挑戦するか?しないか?

最後まで、自分に厳しく登ると、自己記録が更新されるのも、楽しいです。

代表のおっしゃるとおり、本当に、根性が付きますね。

頂上は、大地の波動が集結している所ですから、山のパワーもいただけます。

また、登りつめた達成感と爽快感があり、景色も遠くまで見えて、とても気持ちがいいです。

見知らぬ方々も頂上では、すぐに話しかけて来てくださり、いろんな方々との出会いがあり、

他の山を教えてくださったり、景色の説明をしてくださったり、と会話も弾み、すごく楽しいのです。

道中、花が咲いていたり、きのこが生えてたり、トンボがたくさんいたり、

日の当たる木の下から上を見ると、日に照らされた葉っぱがとてもきれいに見えます。

山に登る途中、日頃考えていることの答えが出てきたりすることがあります。

大自然は神様だから、大自然の波動のいい中、登山という厳しい道を選んだご褒美に

教えていただけるのでしょうか?

下山したら疲れていなくて、心身ともに元気いっぱいになっています。

登るたびに、得ることがあるので、自分がどんどん変わる気がします。

皆さんも、登山に挑戦してみませんか?











浄霊の尊さ(明湧會の教修より)

2010年10月14日 18時00分00秒 | 行事
浄霊のみ力は、修行によったり、技術によるのではなく、入會し、

「お守り様」をいただくことによって、どなたにでも頂かれます。

み光のお取次ぎができない人はありません。

 浄霊のお取次ぎができない人はありません。

 浄霊をする場合、手に力を入れないように注意してください。

人間力を抜くほど神様のみ光がいただかれます。

 浄霊のお取次ぎの尊いことは、神様のことがはっきりとわかるようになる事です。

 浄霊の力は信仰の深さ、また人の幸福を願う誠心の強い人ほど、

強い力がいただかれます。

浄霊をいただくことにより、霊体そのものが浄まりますから、

身体が健康になるばかりでなく、明るい心の人となり、性格もよく変わってまいります。

 浄霊による奇跡は、人間以外にも顕現いたします。

このような尊い神力をいとも簡単に下さるのは、

みろくおおみかみ様が大愛の神様であられるとともに、

限りなく大きなみ力を備えられた偉大なる神様であられるからであります。

応身之業 (代表のお言葉より)

2010年10月13日 18時00分00秒 | 教修より
「応身の業の意味は、

“我と執着を取る。” “相手に合わせる。” “新しい自分になる。”

といつも言っていますが、

自分が神様に素直に伝えても、相手がどうしてもわからない時は、

自分のこうしたいと言う気持ちを抑えて、相手に合わせるのです。

相手に合わせて、相手を包み込み、最後は自分の方に、神様に正しい方に、引き込んでいくのです。

応身の業は、簡単そうでいて、なかなか難しいことなのです。」





お金持ちになるには(代表のお言葉より)

2010年10月12日 18時00分00秒 | 行事
「地元で大金持ちになった人がいる。

その人は、昔から、親にこう言われてたそう。


『例え、本当に貧しくても、人にお金がないとか、家は貧乏だとか、絶対に言うな。

世間に見下され、馬鹿にされて、自分が弱ってしまうから。

お金が無くても、貧乏でも、人前では、お金があるように言い振る舞いなさい。』


その人は、親の教えを素直に聞いて、いつもハッタリを言い、大きなことばかりを言っていった。

そしたら、今、本当に大金持ちになっている。」