明湧會ブログ

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平成25年9月 松阪月次祭

2013年10月31日 08時00分00秒 | 松阪月次祭
平成25年9月22日、日曜日、松阪市の支部にて、松阪市支部月次祭が執り行われました。

代表の御講話を簡潔に紹介します。

『今月の「み教え」は、“五智を説く”

五智には、神智・妙智・叡智・才智・奸智と5段階あり、

叡智、すなわち智慧証覚を身に付けていない人が非常に多い。

現代人は、邪神・邪念にやられて、体や心が曇っているから、智慧証覚が働かず、

社会や日々の生活の中で困った事が起こった時、正しい判断が出来ない。

浄霊で曇りを取り、天帝(前頭部)と副守護神(おへそ)を浄める事が、とても大切。


今月の体験発表はAさん。

Aさんは、今は落ち着いて真面目ですが、入會した10年前は、髪も茶髪で見た目は不良(笑)

当時、弟のBさんも、「姉さんには明湧會の事を話しても分からないだろう」

と思っていたようですが、その気持ちもわかります。

でも、御用する時と同じ、人は見かけで判断してはいけない。

Aさんは、目上の人に指導されるのとは違い、弟から指導を受けるので、

腹が立つし、面白くない状況ですが、自分の悪い所を反省し、頑張っていて、偉いです。

以前は、甘いお菓子を食べ、よく外食をし、体が凄く悪い上、

浄霊、参拝をおろそかにしていたので、流産しました。

その時“参拝の大切さ、ご浄霊の大切さが分かった”そうです。

体験談では、その後、子供が授かった事が、“奇跡”と書いてありますが、

健康な人は、大げさだと思うかもしれませんが、体が悪く、なかなか授かる事が

出来なかったAさんにとって、無事に出産出来たことは、大きな奇跡です。

授かった後も体が悪く、周りの人から浄霊をたくさん受けて、助けてもらったのです。

何時間もかけて病院に駆けつけて、浄霊し、お世話する事で、お世話する人も、

お世話される人も、曇りが取れて、智慧証覚が磨かれるのです。


出産の後に大変なのは、子育て。

Aさんも育児についての本を何冊も読んだそうですが、

読めば読むほど、違う事が書いてあるから分からなくなるそうです。

確かに子育ては難しい。

會員Cさんの息子2人は、幼少期はとても大変でしたが、今では好青年になっています。

尾鷲の知り合いに、子供の頃は滅茶苦茶だった弟が、

今ではボランティアなどの会長を任されるような人望の厚い立派な社会人になり、

子供の頃、とても成績が良かった兄は、今では、どうしようもない人間だそうです。

子供が、どのように成長して行くかは、分からないものですが、

親の躾によって、人間が良くも悪くもなるのですから、親の躾が大切です。


今、私は人生を振り返って、良かったと思えますが、

20代・30代の時は、たとえ幸せであっても、その先、良いかどうかは分かりません。

30代の時に成功している人でも、その後、ガクッと人生が急落するかもしれません。

日々、神様に感謝し、曇りを取る努力し、信仰を深め、振り返った時に、

良かったと思えるような人生を送ってください。」




Aさんの体験発表

2013年10月21日 08時00分00秒 | 体験談
10月秋季大祭おめでとうございます。

私がお守り様を頂いたきっかけは、勿論Kさん(私の妹)です。

今から23年前、代表に鑑定して頂いた姓名鑑定では、

私の名前は“後家運に大凶”“夫婦の相性も大凶”と、最悪のものでした。

しかし、親の反対を押し切り結婚して、子供も二人授かり、

まあまあ幸せな家庭生活を送っていた私、いえ、私達は、姓名鑑定など全然気にも止めず、

当然勧められたお守り様の事など、見向きもしませんでした。

しかし、待っていたかのように、金の切れ目が縁の切れ目と世間で言われますが、

夫のリストラから始まり、本当にテレビドラマの様な悪い事が次々と起こって来たのです。

私は、30歳前半でバツイチ生活に、なるべくしてなったことに訳も分からず、

想い悩む毎日を送っていたのでした。

そして、Kさんが心配して、A市(本部から車で2時間半くらい)の私の家に

訪ねて来てくださいました。

「運勢が良くなるように、お守り様を頂いたら?」

と勧められ、藁にもすがる想いで、お守り様を頂く決心を致しました。

お守り様を頂いて最初のおかげは、A市社協のホームヘルパー面接に、合格したことです。

それまでは、生命保険の勧誘、皿洗いのバイト等をして過ごしていたのですが、

ヘルパーに転職後は、もちろん収入は安定しました。

A市の社協でしたので、一般雇用よりもかなり給料が多かったので、

すごく驚きましたし、有り難かったです。

その頃、3年程シングルマザーで頑張っておりましたが、

腰痛、貧血、膀胱炎等、体調を崩し、毎日が苦しく、子育てにも疲れ果てていたので、

B市の実家に帰って、再スタートを切ることにしました。当時34歳でした。

実家に引っ越しの際、引越社も友人の紹介で、安い値段で、

しかも大きなトラックで来てもらえて、体も楽に済みました。

これも神様のおかげだったと思います。

B市(本部から車で1時間弱)に帰ってから、新たな仕事を探すことになりました。

病気の再発が心配でしたが、“生活の為だから働くしかないか・・・。”

という不安の中、社協ヘルパーに応募しました。

しかし、当時のヘルパー採用の規定では35歳以上という年齢制限があり、

34歳では若くて、コネを使ってもダメでした。

「35歳になった時に再応募しては?」と言っていただきましたが、

“フルタイム、各種保険あり”の正社員としての仕事に就きたかったので、諦めました。

後で分かったのですが、社協の正社員の雇用は順番待ちの状態で、

もし、パートで雇われたとしても、なかなか正社員にはなれない状況でした。

就職するまでの間、両親の農業を手伝いながら、失業保険をもらって、

なんとか生活しながら、神様にお願いしておりました。


老人ホーム「C園」は夜勤があるので、子供が小さいから、

そこでの仕事は無理だと思っていましたが、他にいい仕事も見つからず、

父親の友人と叔父さんに勧められ、「C園」に勤める事にしました。

両親が“夜勤の時は子供の面倒を見てくれる”とのことで、決心しました。

そして奇跡が起きました!

就職後、すぐに定年退職者ができて、即、正社員になれたのです。

“社協ヘルパーに採用されなくて良かった!「C園」で良かった!

神様!御守護頂きありがとうございます!”と、神様に感謝しました。

仕事柄、腰痛の心配はありますが、トイレに自由に行けますし、

ご浄霊も頂けるようになったので、膀胱炎は徐々に良くなりました。

そして、平和な日々を送るうちに感謝の心が薄れ、自分と、自分の家族の為だけに、

お金を使って贅沢をするようになっていました。

そんな時、小さな事故を起こしてしまいました。

幸い怪我も無く、出費も大したことなく済ませて頂きました。

同時期、子供の受験も神様にお願いして、無事私立の高校に合格させて頂いていました。

にもかかわらず、どちらの件についても、神様にお礼をせずに済ませました。

「御霊を上げる努力をしなさい。」と、代表に御指導頂きましたが、

私は、“今、自分達に、お金がいるのに・・・。”

と御指導を素直に聞き入れませんでした。

そんな時、子供が大きな事故に遭いました。

幸い子供に怪我は無かったのですが、補償に多大な金額が要りました。

御霊が低いうちは、お金を貯めても出て行ってしまうのですね。

それも自分にとって嫌なことで・・・。

少しのお礼のお金をケチったために、

大変な苦労と出費を背負い込む事になってしまいました。

その時は、「なんで、この子がこんな不幸な事になるなんて、

神様は、どうして、私達にこんな意地悪をするのだろう?」と思いました。

しかし、逆に、

“今迄の神様に対しての姿勢を改める様に”と、代表より御指導頂きました。

その時は腹も立ち、「そんな事・・・。」と思いましたが、少しずつですが、

改めて行くよう日々考え努力しました。

最近では、父が亡くなった後、母1人ではトマトのハウス栽培が出来なくなった為、

ビニールハウスを撤去しなければならなくなったのですが、

その費用に、100万円近いお金がかかると言われ、困っておりましたところ、

「ビニールハウスの骨組みが欲しい。」「暖房機が欲しい。」等、

あちこちから声がかかり、安い費用で済みました。

少額ですが、お礼をさせて頂いだきましたら、

“父の年金の未払い分があった”と、振込がありました。

神様ありがとうございます。

色々な事がありましたが、ようやく今年の1月に、

戸籍上の名前を変えることができました。

「1月中に改名しないと良くない」

と、代表に御言葉を頂いたので、家庭裁判所に行き、改名の手続きをしました。

家裁での手続きでも、スムーズに事が進み、一般的に聞く話よりも、

とても早く完了しました。

神様の御守護を頂き、とても有り難かったです。

B市に帰って良かったのは、本殿が近くなり、ほぼ毎日参拝出来るようになったことです。

腰は、年2回受ける健診のレントゲンでも、服の上からでも分かる程、

骨が砕けて陥没しているのですが、今はおかげさまで、ほとんど痛みが無いのです。

仕事で悪化しては、御浄霊で治して頂き、また、仕事に復帰しております。

病気、怪我の浄化はありますが、年休も使わず済んでいます。

公休日前、手を火傷しましたが、有り難いことに見守り当番で、

支障なく仕事が出来た事もありました。

火傷は御浄霊のおかげで、早く綺麗に治して頂きました。

この2年間ほどは、年休取得奨励者になる程、休んでいません。

毎年検診で引っかかっていた貧血も、いつの間にか無くなりました。

現在の目標は、高血圧、中性脂肪高値を、治していくことです。

代表のおっしゃるように、食生活を改めて、少しずつ実行しています。

本日もドキドキして血圧がかなり上がっていると思いますので、

もう体験発表は、したくないと思っております。

これからも、代表、奥様、諸先生方、會員の皆様、ご指導宜しくお願いします。


Nさんの体験発表

2013年10月18日 08時00分00秒 | 体験談
8月、月次祭おめでとうございます。体験発表させていただきます。

私が明湧會に入会したのは、今から10年前です。 

平成15年1月1日の新年祭の時に、お守り様を拝受しました。

きっかけは、父の病気です。

当時から数えて、2年半前に、母を肺がんで亡くし、父と男2人で暮らしていました。

そして、その父にも食道がんが見つかり、入院して手術をする事になりました。


お守り様を拝受する約1ヶ月前に、知人の紹介で、私の世話人と出会いました。

ご存知の方も多いと思いますが、分かりやすく言えば“お見合い”です。

それから、2回くらい会った時だったと思います・・・ 

父の病気の話をすると、世話人から、

「浄霊を受けると、お父さんの病気が良くなる。お守り様をいただきませんか?」

と言われました。

浄霊は受けた事が無かったのですが、もし浄霊で父のがんが良くなるのであればと思い、

お守り様を頂くことにしました。


それから、家に来て浄霊して頂いたり、遠隔浄霊をして頂いたりしました。

私も時々、隣の部屋からこっそり、父にお取次ぎをさせて頂きました。

父は、お守り様を拝受してから、2週間くらい後に手術をしましたが、

お蔭様で、手術は成功し、現在もそれなりに暮らしています。

その後、父の体調が良くなると、世話人とは、少し距離を置くようになり、

月次祭もたまにしか参拝せず、勉強会にも参加していない不真面目な会員と成っていました。

そんな私に転機が訪れたのは、世話人が尾鷲に行くことになった時です。

私は、私の世話人が、尾鷲に行く事になったことを会報で知りました。

驚いた私は、その事をメールしました。

それがきっかけとなり、連絡を取り合うようになりました。

本部参拝に誘われ、休日に本部に参拝し、月次祭にも参拝をするようになりました。

何年か参拝を続ける中で、私にとって最大の奇跡がやって来ました。

「結婚」です。

周りの人からは、“もう結婚しないのだろう”と思われていたし、

私自身“結婚しなくても良いかな”と思っていました。

そんな中、ある会員さんの一言で、

もう一度、結婚を考え直すきっかけを与えて頂きました。

その後、紆余曲折が有りながらも、最終的に結婚出来たのは、

私にとって“奇跡”と言って良いと思います。

代表、奥様、その節は、いろいろご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。


時には、行きにくい雰囲気の時もありましたが、代表から「来るな!」

と言われるまでは、“参拝をさせていただこう”と思い、参拝を続けました。

そのお蔭でしょうか、子宝にも恵まれ、幸せな家庭に成ってきたと思います。

神様、代表、いつもご守護いただき、ありがとうございます。


自分が健康であり、自分の家庭が幸せで無ければ、

“浄霊で病気が良くなる、運命が良くなる”とは言えません。

そんな思いで、代表の“おすすめ”にはなるべく参加しようと思い

実行してきたつもりです。

まだまだ努力の足らないところも沢山有ると思いますが、今後とも宜しくお願いします。


最後になりましたが、代表、奥様、諸先生方、私たち夫婦をはじめ、

子ども達の面倒まで見ていただき、本当にありがとうございます。

今後とも、私たちが道を間違えない様“時には厳しく、時には優しく”

ご指導を宜しくお願いします。

これにて、私の体験発表を終わらせていただきます。

ご清聴、ありがとうございました。

Aさんの体験発表(9月)

2013年10月14日 08時00分00秒 | 体験談
皆さん、9月本部月次祭、おめでとうございます。


私が明湧會に入會したきっかけは、皆さんは多分、

「あの!厳しいお世話人さん」からの勧めだと思ってみえる方も多いと思いますが、

私は置いてあった會報を内緒で読み、

『こんな素晴らしいお守り様があるなら、私も欲しい』と弟に話した事からです。

會報の内容は、お守り様を持ってみえた方が飛行機事故から免れた内容だったと思います。

それまで、母と弟は2人で何やらこそこそと、「尾鷲に行ってくる」と一言だけ私に言い残し、

いそいそと出掛けていました。

その頃は、何をしに行っているのかも、大して興味も無かったと思います。

お守り様を拝受していただくのに、初めて連れてもらったのが、

10年前の松阪産業振興センターの和室で開かれていた月次祭でした。

その頃の私は、髪の毛も茶髪で、「これがお姉さん?!」と皆さんが驚いてみえた顔を、私は今でも覚えています。

後で、「何でこんな素晴らしいお守り様の事を教えてくれなかったの?」って聞いた時に、

「姉ちゃんには神様の事は分かってもらえないと思っていた」と、言われた事を覚えています。


明湧會に入會し、色んな奇跡を体験させていただきました。

今、こうして自分の子供が授かった事が一番の奇跡です。

病院の先生からも、何の治療もせずに授かり、「奇跡の子」と言われています。


私は結婚後、子供が授かりませんでしたので、ずっと大祭特別祈願の申し込みをさせていただいていました。

大祭特別祈願を継続してさせていただいて5年が経ち、神様から子供を授かる事ができました。

やっと授かったのですが、実は、初めての子供は、心拍が確認できないまま流産してしまいました。

その頃の私は、今の松阪支部が出来てからは、浄霊会に参拝していませんでした。

食生活では、お客様に戴いた砂糖の沢山入ったお菓子や、買ってきたお弁当、外食など、

「少しくらいなら良いかな?」と軽く考えて食べていました。

流産した時、代表に、「何でこうなったのか考えてみなさい」と言われ、

浄霊の大切さ、食生活の事などご指導いただきました。

その後は、浄霊会は1回も欠かさず参拝させていただき、軽く考えていた食生活も気を付けるように努力しました。


そして、すぐに子供を授かる事が出来ましたが、残念なことに、

「出産時に大量出血の可能性が高く、母子の生命の危険が高い前置胎盤」となり、

予定日の1ヶ月前から管理入院となりました。

入院中は、喜畑先生は毎日、高速を使って約1時間かかる病院までご浄霊に来てくださいました。

弟や母も毎日仕事を抜け出しては長時間浄霊してくれました。

會員のBさんも、仕事前や仕事が終わった後に、花や果物を持って病院に来て、何度もご浄霊してくださいました。

入院中は貧血で、鉄剤の薬を出されましたが、薬を飲まずに、黒にんにく、ノニ、プルーン、

野菜スープを皆さんが持って来てくれたので、医者が驚く程、手術前日には貧血が改善していました。

また、『「み教え」を読むように。』とご指導いただき、弟(お世話人さん)は、今までの會報を持って来てくれました。

そして、母子共無事に出産させていただきますよう「特別祈願」を代表にお願いし、

弟と母と主人で、松阪支部に参拝させていただき、平日にも関わらず、「特別祈願」をしていただきました。

出産中は、弟が壁越しに一生懸命、ご浄霊をしてくれました。

神様のご守護をいただき、代表、そして沢山の人達のおかげで、出血も少なく母子ともに元気に出産する事ができました。

産後の経過も順調で、心配していた母乳もしっかり出ました。

妊娠・出産を経験して、改めてご浄霊の大切さを教わりました。


今、息子が無事に3歳を迎え成長させていただいているのも、明湧會に入會させていただき、

ご指導いただいている代表、奥様、喜畑先生、諸先生方、お世話人、會員の皆さまのおかげだと感謝しております。


いつも弟より、厳しい指導をされています。

本当は言いたく無いけど・・・と言われますが、最近では、直接言いにくいのかメールで届くようになりました。

以前はメールの内容を読んで携帯電話を放り投げる事もありましたが、

今では少しずつですが、冷静に受け止める事ができるようになりました。

指導してもらった事をスケジュール帳に書き込み、1つずつ消せるように頑張っていますが、なかなか消せません。

こんな私ですので、気長にご指導お願いします。


今、子供のしつけや食生活の事など、毎日勉強の日々です。

食生活は料理の苦手な私にとって一番の課題ですが、

毎日、主人にお弁当を持たせる事など少しずつできる事から始めています。

代表、喜畑先生、お世話人さんにご指導いただき間違いを教えていただきながら少しずつ歩いています。

まだまだ至らない私ですが、前向きに頑張りますので、

今後とも代表、奥様、喜畑先生、諸先生方、お世話人さん、會員の皆さま、ご指導宜しくお願い致します。