アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

リトル東京 (4)

2009-02-15 10:02:21 | Weblog
二世の時代になった日系人は良く働き社会奉仕にも参加し、7つ以上の重要な合戦で18000以上の勲章をを受ける武勇伝を暦史に残した。
彼らの戦功が米国政府や一般人に、日系の忠誠心とデモククラシーに対する憧れを持っていることを信じさせた。

1946年羅府新報(新聞)が再刊された。

1910年頃から庭園業に従事する人が一世には多かった。農家出身の日系人にはもってこいの仕事で、大方は白人のスクールボーイとして雇われ庭の手入れを頼まれているうちに、それらのほうが収入が多い事がわかり専念するようになった。
元の百姓や大学出の二世までも庭園業へと転じた人も多かった。1955年南加庭園業連合を作る。

1981年リトル東京再開発が始まる。
地上16階300戸の高齢者アパートを建設、1978年日本村ショッピングセンターが完成し、48軒の店舗が開店した。
このセンターのシンボル的建造物となっているのが日本独特な 青瓦葺き屋根の火の見櫓 で リトル東京 の新しい名物として現地の人から注目されるようになった。

休日は夫と二人で出かけて、日本村のお店で、今川焼き、さつま揚げなど出来たばかりのものを買ったり
その他の日本の食品も1週間分買い物してオレンジカウンティーのアパートへ帰ったものです。
暫くしてオレンジ カウンティーにも日本のスーパーマーケットが出来たのでリトル東京に買い物に行く機会が少なくなりました。
しかしロスアンゼルスを訪れる日本からの観光客にとっては欠かせない観光コースの一つになっています。