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名著レビュー「寺社勢力の中世」_もっと経済から歴史を見るべし

2019年05月05日 | 名作レビュー

ちくま新書、伊藤正敏著「寺社勢力の中世」を読みました。平安時代から室町時代にかけて、公家・武家の政治権力者以上に社会を支配していた「寺社勢力」の実態を明らかにしています。寺社勢力が日本の中世の社会や文化の理解に欠かせない存在であることがとてもよくわかります。

  • 鎌倉時代の全国の延暦寺領は幕府の領地より多く、京都の経済活動をほぼ牛耳っていた
  • 中世の社会に最も影響力があったのは寺社勢力だが、江戸時代以降はその実態が伝えられなくなった
  • 無縁者の取り込みが寺社勢力の力の源泉と指摘、無縁者こそが新たな文化やシステムを生み出した


歴史ドラマや小説で寺社勢力が主役になることは、ほとんどありません。現代人にとって新たな視点で中世に目を向けることができ、寺社勢力がなぜ数多くの文化や社会システムを生み出すことができたかを理解することができます。


延暦寺 西塔 にない堂

中世の寺社勢力と言うと、比叡山や興福寺、本願寺などがすぐに浮かんできますが、いずれも政治権力者を苦しめたアウトサイダーのようなイメージで語られがちです。著者はこの要因を「江戸時代以降の歴史書が寺社勢力の社会への影響力を語らなくなったため」と指摘しています。

天下を統一した信長・秀吉・家康の三英傑共に、寺社勢力の無力化は社会支配には絶対に必要でした。中世以来脈々と続く寺社勢力の治外法権や経済支配といった、政治権力者がそれまで介入できなかった影響力の大きさを知っていたからです。

寺社勢力を完全にコントロール下に置いた徳川幕府にとっても、寝た子を起こしかねない中世の寺社勢力の活躍の話は封印しておく方が好都合でしょう。江戸時代の歴史家が、そうした空気を”忖度”したとも考えられます。


中世の寺社勢力は無縁者を受け入れた

筆者はまず、中世の社会の実態を紐解いていきます。日本では安土桃山時代以降は一つの政治権力が社会を支配しており、政治権力者の支配が及ばない地域やシステムはありません。しかし室町時代までは、寺社勢力の支配地に政治権力者が影響を及ぼそうとすると、拒まれることが普通でした。寺社勢力は地域の経済システムを牛耳っていることが多く、へそを曲げられるとまずいという事情があったのです。

こうした様子を源義経の逃避行を例にわかりやすく解説しています。勧進帳に描かれるように、機内でも吉野のような山奥や東北へ向かう逃避行ばかりが知られていますが、畿内の中心にある二代有力寺院・延暦寺と興福寺に一定期間、義経が潜伏していたというのです。

延暦寺と興福寺は領地内における政治権力者の警察権を認めていなかったため、鎌倉勢が寺内を捜索することはできませんでした。延暦寺と興福寺にとっても、何も鎌倉勢に対抗するために匿ったのではなく、一切の事情に関わらず無縁者を受け入れるという、当時としては普通の行動だったというのです。

無縁者とは、現代の意味と同じく、社会との関わりを失くした人を指します。義経のような逃亡者から、社会からつまはじきにされていた障がい者や(せんみん)、捨て子まで、あらゆる事情で普通の社会生活を送れない人たちです。自らの意思で寺に入り、世俗との関係を断ち切った出家者も含まれます。無縁者とは言い切れませんが、武家や公家で家督を継ぐ可能性のない子供も寺に出されています。

困ったら寺に行くという考え方が中世では普通であり、寺の人材確保の有力な手段にもなります。中世の僧はほとんどが妻帯を許されておらず、世襲で組織を継続していくことができなかったという公家や武家にはない寺特有の事情もありました。多様な価値観を持つ人が寺社勢力に集まったことが、組織の活力を維持していたのです。


中世の寺社勢力は唯一の自由競争組織だった

無縁者が寺に入ると、健康な者は山伏や聖(ひじり)の姿で各地を行脚し、布教や寄付集めに携わりました。庶民は政治権力者を警戒しますが、山伏や聖は自らに不利益を及ぼすことがないため警戒しません。行脚を通じて公家や武家が知らない情報を得ることで、さらに経済システムを進化させていきます。

無縁者は寺の中では実力で生きていくしか術がなく、常に結果を出そうと努力せざるを得ない環境にありました。公家や武家のように、生まれながらにして権限や仕事が固定されているのではなく、寺は自由競争社会でした。

無縁者を受け入れるというと、現代では駆け込み寺のように手厚く保護してもらえるように想像しがちですが、全くそんなことはありません。このような組織の実態の違いを理解すると。既得権やしがらみで硬直化した公家や武家は、寺社勢力との経済競争に勝てないことがよくわかります。


興福寺 東金堂と五重塔

筆者は「境内都市」という概念も提唱しています。「門前町」と同じく寺の周囲にできた町を指しますが、人が集まる要因を、信仰ではなく経済活動に置いたものです。寺社勢力は様々な職人集団も抱えており、宗教集団とビジネス集団の2つの側面を持っていました。比叡山が琵琶湖の水運を支配し、都への物資の流通に大きな影響力を持っていたことはその一例です。

門前町という信仰に重きを置いた概念だけでは中世社会の実態を説明しきれないことに、賛成できます。

現代も過去も、人間が生きていく上で最も重要なシステムは、政治ではなく経済です。経済や情報を牛耳ることで、文化や科学技術も発展します。喫茶、念仏踊りや狂言、酒造り、生け花、庭造り、これらはすべて寺社勢力が世に広めた文化です。


経済と文化からも歴史を見る

政治だけでなく経済と文化からも歴史を見ることで、常に動き続けている社会の実態をより正しく理解できることに、この一冊は気付かせてくれます。筆者が丹念に文献から読み取った中世の寺社勢力の活動実態の話は、驚きの連続です。

戦国大名をも凌駕する宗教・経済集団を作り上げた本願寺の蓮如がNHKの大河ドラマの主役になると面白いのでは。読み終えた後にふとそんなことを思いつきました。




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寺社勢力の中世 ―無縁・有縁・移民
著者:伊藤正敏
判型:新書
出版:筑摩書房
初版:2008年8月10日


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