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京都人が新しい季節を迎える祈りの場 ~吉田神社 節分祭~

2016年10月15日 | 祭・行事・季節の花


吉田神社は、京都市内の東端の銀閣寺の近くにあり、京都大学関係者が愛してやまない「吉田山」という小高い丘のような山の中腹に鎮座している。

平安時代に藤原氏が、自らの氏神である奈良の春日大社の神を、都の鎮守=守り神として平安京の地に勧請(かんじょう)=ここにも神様として祀らせてくださいとお願いすること、したことに始まる。室町時代には神職・吉田兼倶(かねとも)が吉田神道を創設し、幕末に至るまで全国の神道界に大きな影響力を持っていた。

京都の神社といえば、上賀茂、下鴨、八坂、北野、伏見、松尾、石清水と有名どころがずらりと並ぶが、吉田神社はの知名度は正直、こうした有名どころには劣るであろう。

藤原氏や天皇家と関係が深かったが、お社の雰囲気が気品に満ちて近寄りがたいわけではなく、非常に親しみがあり、京都の町衆に長く愛されてきたと感じられる。京都人にとって吉田神社は、日常生活の季節の変わり目を確認する大切な行事「節分」なのである。

節分は4つの季節の変わり目を指すが、江戸時代以降に春が始まる「立春」だけに着目されるようになったらしい。現代の暦では2/3前後だが、江戸時代以前の旧暦では正月の前日である大晦日だった。この節目の日に豆まきをして鬼を追い出し、厄除けをして新しい季節(年)を迎えようというものだ。

吉田神社の節分祭は室町時代から行われ、おそらく京都市内の節分祭では、壬生寺と並んでトップクラスの人手であろう。参道や境内には夜店(関西では縁日のことを「よみせ)という)が立ち並び、初詣並みの人ごみだ。

多くの人は18:00から始まる追儺式(ついなしき、「鬼やらい神事」とも呼ばれる)を楽しみにしている。本宮前の限られたスペースでの儀式なので、撮影スポットの確保のために1時間以上前から並ぶ人も少なくない。

節分の追儺式といえば「鬼は外、福は内」の豆まきを思い浮かべるが、吉田神社のそれは平安時代の宮中で行われていた儀式を再現したもので、豆ではなく弓矢で厄鬼を追い払う。2月の18時なのですでに夜のとばり、神官や鬼の動きが神秘的に見えるので必見である。



本宮以外にも興味深いところは多い。吉田神社を平安時代に勧請した藤原山蔭(やまかげ)は、料理道の創始者としても知られることから、全国の飲食店から信奉を集める「山蔭神社」がある。境内を囲む玉垣の石には有名店の名前がずらりと並び、見ているだけでも楽しい。

大元宮は、全国の神々を祀っている。節分祭と正月三が日、毎月1日だけ内陣に入ることができ、全国の旧国毎に掲げられた神札に参拝できるのが面白い。内陣中央にある大本宮は八角形の建物で、神社としては非常に興味深い。

藤原山蔭が生きた平安時代前期820~880年頃は、空海がもたらした密教文化が花を咲かせた時代で、東寺講堂で見る者を圧倒する立体曼陀羅の諸像、大坂の観心寺の神秘的な如意輪観音像といった、エキゾチックな表情が特徴の密教彫刻の最高傑作が多く作られた時代である。

奈良の白鳳・天平時代から続く中国文化への憧れがピークに達した時代だったのだろう。上流階級の代表格である藤原氏が、自らの氏神である春日大社を京の都に、と願って創建した吉田神社。今となって、上流階級だけでなく広く京都人に愛されているのは、みやこの歴史の奥深さを感じる。

日本や世界には数多くの
「唯一無二」の名作がある。

「そこにしかない」名作に
ぜひ会ってみてください。

節分祭 毎年2/2~2/3(例外が発生する可能性もあるので訪問前にご確認ください)
公式サイト http://www.yoshidajinja.com

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