現在の羅城門は小さな公園
羅城門(らじょうもん)とは古代日本の都の正門で、平安京にあったものがよく知られている。芥川龍之介の小説や黒澤明の映画「羅生門(らしょうもん)」の舞台となったためだ。京都駅の南側にある門の跡地一帯には、東寺や西寺跡など平安京の創成期をしのばせる痕跡が多く残る。平安京の街の変遷とともに数奇な運命をたどった門があった場所は、悠久の時間の流れを感じさせる。
羅城門と羅生門の漢字の違いにお気づきの方もいらっしゃるだろう。平城京~平安京の頃は「羅城門」だったが、いつしか「生」に変わり、近代までは「城」はあまり使われていなかった。そもそも「羅城」とは都を取り囲む城壁のことで、門はその城壁の入口となる。なので字としても「城」の方が正しい。
平安京の「羅城門」は、平安時代の創成期は都の入口として威容を誇っていたが、早くから荒廃が始まっていたと考えられている。都の西南部は低湿地帯で居住に適さなかったことから、都の南の中心に位置する羅城門も、都の入口ではなく都のはずれとして存在が忘れられるようになっていった。そのため小説に描かれたような死体が捨てられる場所であったことは、事実だとしても不思議はない。
高さが20mあったと推定される巨大建造物は、平安時代半ばの980(天元3)年に大風で倒壊し再建されなかった。現代まで1200年続く京都の街と比べると200年に満たない短い命で、華やかな王朝貴族と正反対の下層民のように、都の中で打ち捨てられる運命だった。
門の跡地は発掘調査で遺構を確認したわけではない。創建以来、位置が不動とされる東寺の南門を起点に、文献で伝わる都のサイズから位置を特定したものだ。跡地を示す石碑は、子供向け遊具の置かれた小さな公園の中にさりげなく建てられている。人口150万人の京都市内には遊休地や田畑はほとんどない。1200年間、大都市としての地位を保ってきた街の状態を伝える痕跡と言える。
公園の小高い丘に「西寺跡」碑が建つ
羅城門の西側には、東寺とペアで官寺として創設された「西寺(さいじ)」の跡地もある。鎌倉時代に廃寺になったと考えられており、人々から見捨てられていた西南部にあったこと、東寺の空海のようなスーパースターに恵まれなかったことが災いした。
「西寺跡」の石碑は、羅城門跡よりもかなり大きい公園にある。こちらは発掘調査で遺構が確認されており、国の史跡にも指定されている。大きく開いた空の中に、新幹線が走る姿が映える。一度は忘れられた都の南端の玄関口は、現代に京都駅として再び大きな役割を果たしている。
東寺には、羅城門の唯一の名残と伝えられるものが大切に保管されている。国宝の仏像・兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)だ。唐で作られた像が、門の守護神として輸入されたのだろうか。いかにも西域のアジア人を思わせる顔立ちはとても神秘的で、西安にある兵馬俑のような趣を感じさせる、門の倒壊後に東寺で安置されるようになったと言う。
京都駅のすぐ南側は、平安京のいわば“原点”を知ることができるエリアだ。天皇が住んだ大内裏の跡地には石碑が建つだけで、東寺に伝わる仏像のように当時の痕跡を示すものは何もない。京都の魅力を深めることができるエリアである。ぜひおすすめしたい。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさんある。ぜひ会いに行こう。
古地図に現代地図が重ねて表示されているので教科書的に便利
羅城門跡(京都市観光協会サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=6000058
西寺跡(京都市観光協会サイト)
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=6000019
※見学自由
東寺 宝物館
http://www.toji.or.jp/houmotsukan.shtml
※3月下旬~5月下旬、9月下旬~11月下旬のみ公開
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。