美の五色 bino_gosiki ~ 美しい空間,モノ,コトをリスペクト

展覧会,美術,お寺,行事,遺産,観光スポット 美しい理由を背景,歴史,人間模様からブログします

百舌鳥古市古墳群 世界遺産登録_お膝元 堺市博物館で出土品の展覧会

2019年07月26日 | 美術館・展覧会

2019年7月6日、大阪の「百舌鳥・古市(もずふるいち)古墳群」が正式に世界文化遺産に登録されました。構成資産の中でも世界最大級の陵墓として知られる大仙陵(だいせん)古墳、通称:仁徳(にんとく)天皇陵に隣接する堺市博物館で、タイミングよく特別展「百舌鳥古墳群 ー巨大墓の時代ー」が行われています。

  • 古墳時代のピークに造営された百舌鳥古墳群の出土品から、古代社会の様子が学べる
  • 博物館から仁徳天皇陵まで徒歩2分、巨大な山の正面に鳥居があり神社のような神聖な趣
  • 1,500年前、この地に強大な王権が存在したことが如実に伝わってくる


常設展の仁徳天皇陵に関する展示も興味深く、加えて南蛮貿易で栄え千利休らが活躍した戦国時代の自由都市の展示も充実しています。古代と中世、1,000年ほどの間隔を経て日本史の檜舞台になった堺の映画をたっぷりと味わうことができます。


仁徳天皇陵の南側・正面拝所

古墳が築造された3cから7cを日本史では「古墳時代」と呼びます。ヤマト王権が全国を支配下におさめていき、日本で最初の国家としての体裁を表し始めた象徴のような存在が、古墳だからです。

世界遺産登録されている百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳は、古墳の大きさがピークを迎えた5c前半に主に築造されたと考えられています。古墳群の中でも特に規模の大きいものはすべて、宮内庁により天皇の陵墓と治定されています。

この時代の天皇は古事記や日本書記の記述に基づき”推定”されており、学術的に実在が確実と考えられているのは1cほど時代の下った6c初頭の26代・継体天皇以降です。

例えば仁徳天皇は在位87年、110歳まで生きたと記述されており、当時の平均寿命を踏まえるとかなり現実離れしている感を受けます。また陵墓の大きさ1位の仁徳天皇は16代天皇、3位の履中(りちゅう)天皇は17代ですが、古墳の様式としては履中陵の方が古く、宮内庁による天皇の在位順とは矛盾しています。

天皇の実在の確定には、まずは古墳の学術的な発掘調査が必要ですが、よく知られているように宮内庁が許可していません。世界遺産となった百舌鳥・古市の巨大古墳の主を正確に突き止めるには、古墳の発掘以外に術はないでしょう。


仁徳天皇陵の三重の堀の最も外側

学術的な不明点は少なくありませんが、世界遺産登録にあたっては「3)現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」「4)人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」の2つの基準を満たしていると認定されました。

仁徳陵の前方後円墳の長さは水面に現れている部分だけでも485mあり、世界的に著名な巨大墓であるクフ王のピラミッド230m、秦の始皇帝陵350mを上回ります。墓の範囲を定義するのが難しいことに加え、体積では下回っているため「世界最大の墓」と称するのは困難ですが、けた外れの権力がけた外れの土木工事を可能にしたことだけは間違いなく事実でしょう。

大林組による1985年の試算では、古代工法での仁徳陵の築造には一日あたりピーク時に2,000人が動員され、約16年かかったと推定しています。表面は石で覆われ、15,000もの埴輪が周囲を取り巻いていたと考えられています。

仁徳稜は、大坂城や四天王寺もある上町台地の延長線上にあり、大阪湾からは燦然と輝くように見えていたと想像できます。船で大陸からやって来る人々にヤマト王権の強大さを見せつけたのでしょう。」


仁徳稜の前方部で発見された石棺のレプリカ

展覧会では百舌鳥古墳群をはじめとする様々な出土品の展示が充実しています。仁徳陵からの出土品もあり、ボディラインが美しい幾何学的に均整のとれた円筒埴輪が目を引きます。墳丘に整然と並べられていた光景はさぞかし荘厳であったろうと目に浮かんできます。

仁徳稜は、明治の初めに風雨で前方部斜面が崩壊し、埋葬施設が露出した際に調査が行われています。前方部ですので主の墓ではないと考えられますが、その際のスケッチを元に製作した石棺の実物大レプリカを堺市博物館の常設展で見ることができます。長方形の石棺の周囲には突起物があり、UFOのような不思議な物体に見えます。当時の宗教観や大陸文化の影響が色濃く現れているものと考えられ、見応えのある展示です。

江戸時代には後円部の石室も露出していましたが、詳しい調査が行われることなく埋め戻されています。この際に盗掘されていることが確認されています。前方部の埋葬施設も同じく埋め戻されており、巨大な墳丘にはまだまだ多くの古代の証拠が眠っているかもしれないとロマンが掻き立てられます。


鉄砲の常設展示

常設展示では、古墳時代の1,000年後、堺が再び脚光を浴びることとなった戦国時代の自由都市に関する展示も充実しています。三好長慶や織田信長ら強大な戦国大名たちとうまく立ち回りながら繁栄を守った商人仲間・会合衆(えごうしゅう)の活躍や、日本最大の生産地だった鉄砲に関する展示からは、日本の最先端国際都市だった熱気がひしひしとつたわってきます。


堺市博物館の入口

百舌鳥・古市古墳群はこれから徐々に国内外の観光客が増えていくと思われ、大きさが最大の仁徳稜はその中心として賑わうことになるでしょう。世界遺産ブランドは絶大です。

仁徳稜の南側正面の拝所は神社のような神聖な趣があり、35mの墳丘の高さからその大きさを想像することができます。

しかし観光面では課題もあります。現状では大きさの全貌が一目でわかるわけではなく、出土品の展示もごくわずかに限られます。高さが150mほどあり内部にも入れるクフ王のピラミッドや、兵馬俑という圧巻の副葬品が見られる秦の始皇帝陵と比べると、観光コンテンツとしての劣勢は否めません。

博物館のある大仙公園から気球にのって上空から大きさを体感するツアーの計画も進んでいるようですが、墳丘の現状は鬱蒼とした森になっており、石や埴輪で覆われた築造当時の荘厳な姿を見られるわけではありません。

となるとやはり本格的な発掘調査による副葬品の”発見”に期待が高まります。実在が確認されていない古代の天皇の史実を明らかにすることができる可能性もあります。宮内庁には発想の転換が求められます。

こんなところがあります。
ここにしかない「空間」があります。



百舌鳥・古市以外の全国の著名古墳も収録、とても便利
________________

<堺市堺区>
堺市博物館
特別展
百舌鳥古墳群 ー巨大墓の時代ー
【美術館による展覧会公式サイト】

会期:2019年7月6日(土)~9月23日(月)
原則休館日:月曜日
入館(拝観)受付時間:9:30~16:30

※展示期間が限られている作品があります。
※この展覧会は、今後の他会場への巡回はありません。
※この美術館は、コレクションの常設展示を行っています。



◆おすすめ交通機関◆

JR阪和線「百舌鳥」駅下車、西口から徒歩8分
JR大阪駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:50分
大阪駅→JR大阪環状線内回り→天王寺駅→JR阪和線→百舌鳥駅

【公式サイト】 アクセス案内

※この施設には有料の駐車場があります。


________________

→ 「美の五色」とは ~特徴と主催者について
→ 「美の五色」 サイトポリシー
→ 「美の五色」ジャンル別ページ 索引 Portal



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北京 景山公園_幻想的な紫禁... | トップ | 京都 龍谷ミュージアムの奥深... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

美術館・展覧会」カテゴリの最新記事