17cのスペイン国王・フェリペ4世(Felipe IV)は、ベラスケスが宮廷画家として仕た国王です。ベラスケスはスペインが世界に誇る画家ですが、その生涯は偉大なパトロンであるフェリペ4世の存在抜きには語れません。
フェリペ4世は、「太陽の沈まぬ国」と言われた16c後半、日本では織田信長の時代にあたりますが、スペイン帝国の全盛期を治めたフェリペ2世の孫です。1621年に王位に就く頃にはスペイン帝国の国力には陰りが目立つようになり、政治面よりも文化面での功績が知られています。
世界中から人々を惹きつけるプラド美術館のコレクションは、フェリペ2世と4世、二人の国王の情熱抜きには語れないのです。
フェリペ2世と4世が愛したエル・エスコリアル宮殿(修道院)
新大陸からもたらされる大量の銀と、ヨーロッパの物流の中心地・ネーデルラント(現ベルギー・オランダ)からもたらされる税収が、フェリペ2世統治下のスペイン帝国を支えていました。
しかしネーデルラントの独立、銀の供給過剰による価値下落など、スペイン帝国は既得権を失い始めます。また足元のカタルーニャやポルトガルでも反乱が相次ぎます。蓄えた資産による新たな産業の育成を行ったことが、スペイン帝国を衰退に向かわせた主な原因と考えられています。
とはいえスペインにはフェリペ2世時代の隆盛の所産がまだ残っており、セビリアやマドリードにおいて、上流階級による芸術を支援する経済力と知性が17cになって花開いたと考えられます。ベラスケス以外にも、スルバラン、カーノ、リベラ、ムリーリョ、レアルといった、現在のプラド美術館の至宝となっている画家を多く輩出した時代でした。
国力が衰退する時期に入って芸術が花開くことは歴史的にもよくあります。オスマン帝国の進出や大航海時代の幕開けにより、東西交易の富を失った後のヴェネツィアで、ティツィアーノらヴェネツィア画派の巨匠が活躍した例がその代表です。
【プラド美術館公式サイトの画像】 1626-28 フェリペ4世
フェリペ4世は、政治経済面でのもどかしさと向き合う中で、絵画コレクションの充実による国威の発揚に希望を見出した人物のように思えてなりません。
オランダとして独立しなかったスペイン領ネーデルラントの南半分の中心都市であるアントワープの外交官だったバロック絵画の巨匠ルーベンス、名コレクターとしてその名を知られていたイングランド国王・チャールズ1世、そしてベラスケス。当代一流の芸術家との交際を通じて“見識眼”を養い、コレクションを充実させていきます。
【プラド美術館公式サイトの画像】 ブレダの開城
【プラド美術館公式サイトの画像】 王太子バルタサール・カルロス騎馬像
フェリペ4世は、現在のプラド美術館の裏手に広がる広大なレティーロ公園に離宮を建設し、「諸王国の間」をスペイン帝国の栄光を描いた名画で埋め尽くしました。ベラスケスの戦勝画「ブレダの開城」や、プラド美術館展に出展される「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」もここに飾られていました。
またマドリード北方の狩猟場の休憩塔としてトーレ・デ・ラ・パラーダも建設します。プラド美術館展に出展されるベラスケスの「マルス」や矮人画がここに飾られていました。
【プラド美術館公式サイトの画像】 マルス
ルーベンスの死後に遺族によって行われた売却、イングランドのチャールズ1世処刑後のコレクションの競売、ベラスケスのイタリア旅行時の購入、といった傑作をまとまって入手できる機会も見逃していません。
1660年、フェリペ4世を支え続けたベラスケスが亡くなり、1665年にはフェリペ4世自身も生涯を終えます。ヨーロッパの中心は、世界貿易の中心オランダ、太陽王ルイ14世が君臨するフランス、ピューリタン革命により絶対王政から脱したイングランドと、明らかに北へ重心を移します。
フェリペ4世の治世は、日本では江戸幕府3代将軍・家光(在位1623-51)とほぼ重なります。家光も数々の城郭・離宮・寺社を造営し、今に遺る美術に多大な貢献をしたパトロンである点はフェリペ4世と同じです。
しかし家光時代は、国力がピークに達した時期であることがフェリペ4世とは決定的に異なります。こうした時代背景の違いは、作品を鑑賞した際の印象に影響します。印象がどう異なるか、それを見比べるのも美術鑑賞の一つの楽しみです。
【Wikipediaへのリンク】 フェリペ4世
会計を紐解くと世界史がわかる
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