「小林一三ワールドII」展ポスターの顔はとても優しい
2017年から阪急グループでは、創設者の小林一三(こばやしいちぞう)の没後60年を記念して、様々なイベントを開催しています。2018年1月10日~15日には阪急百貨店うめだ本店で、一三のとても幅広い交友ネットワークを紹介した「小林一三ワールドII」展が開かれています。
一三は松下幸之助と並んで、現代に続く日本人の生活スタイルを創造した事業家です。驚くほどの各界の著名人との交流ネットワークがあり、育てたスター芸能人も数知れません。そうした事業・交友を通じて蓄積された娯楽文化は、まさに20世紀の日本人の生活スタイルの歴史でもあります。そんな一三が残した歴史をご紹介したいと思います。
うめだ阪急の「小林一三ワールドII」展のポスターには、花を生ける晩年の一三の写真が採用されています。花を持つ手はとても優しく、顔の表情もとても温和です。これだけの大企業の経営者と言うと、とても威厳のある顔を想像しますが、まったくそんなことはありません。
たれ目で人なつっこそうな顔を見ると、私は「おばさん」のように見えてなりません。「何が面白いか、どうやったら生活が便利になるか」という発想は、一般に男性よりも女性の方が長けています。一三は「何が面白いか、どうやったら生活が便利になるか」を事業として軌道に乗せました。女性的な発想がないと、ここまではできなかったように思えます。だからこそ「おばさん」に見えてならないのです。
一三の幅広い交流ネットワークから特に100人を選んで、うめだ阪急の展覧会や公式サイトで紹介しています。戦後の日本の映画界を盛り上げた女優たちの多くは宝塚歌劇団出身でした。扇千景は、自分の身の振り方を考えさせてくれたエピソードで、一三を「校長先生」と呼んでいます。他にも有馬稲子や原節子、越路吹雪など数多くのスター女優を育てたことが、とてもよくわかります
【公式サイト】 一三ネットワークの100人
当時のトップクラス文化人でもあった財界の大物との、茶道や事業を通じた交流も見事です。一三の郷里・山梨県の先輩実業家でもある東武鉄道の根津嘉一郎、荏原製作所の畠山一清、三井財閥の益田孝、川崎造船の松方幸次郎など、そうそうたるメンバーです。現代に多くのかけがえのない美術品を残した名経営者の審美眼から、一三は多くの価値観を吸収したことでしょう。
自ら開発した郊外住宅地の池田にある一三の旧邸は現在、「小林一三記念館」として公開されています。1937(昭和12)年建築の本館は、芸術と生活とを一体に楽しむ思いを込め「雅俗山荘」と名付けられています。外見は洋館ですが、内部は和洋を巧みに組み合わせた設えで、とても優しい空間になっています。一三の美的センスと人となりがよくわかります。
一三が蒐集した美術品は、2009年まで現・小林一三記念館で公開されていましたが、現在はすぐ近くの逸翁(いつおう)美術館に移されています。中世から江戸時代の日本絵画や茶道具を中心に、茶室に飾ると実に見事な作品が揃っています。
館の目玉でもある江戸時代半ばの呉春や与謝蕪村のコレクションは、「開館60周年記念展」として1月20日から公開されます。呉春の代表作である重文「白梅図屏風」ももちろん登場します。とても楽しみな展覧会です。
【公式サイト】 逸翁美術館開館60周年記念展 第五幕「応挙は雪松、呉春は白梅。」
新しいことを想像して人々に認めてもらうことのすばらしさを、教えてくれる偉大な人物です。何か迷いがあったような時でも、普通の時でも、ぜひ会いに行ってみてください。
うめだ阪急「小林一三ワールドII」展の入口の設えは人目をひく。とても上手。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
自ら語る「顧客とは創造するものなり」の軌跡
小林一三について(阪急文化財団サイト)
http://www.hankyu-bunka.or.jp/about/itsuo/
小林一三記念館
http://www.hankyu-bunka.or.jp/kinenkan/
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