「欧米で人気の高い花鳥木版画家の展覧会が茅ヶ崎市美術館で行われている」と友人から耳にしたのが、私が小原古邨(おはらこそん)を知ったきっかけでした。明治末期から戦前にかけて隆盛した新版画家の一人に含めることができますが、新版画のほとんどは風景画か人物画です。花鳥画があること自体認識していませんでした。
茅ヶ崎市美術館で鑑賞した古邨の木版画は驚きの連続でした。鳥の羽毛は紙の上に本当に毛が生えているようにとても細かい陰影がつけられています。雨空や日陰の空気の表現は本当に水蒸気が紙の上から上がってくるのではと感じるほど見事な質感です。
茅ヶ崎を訪れることができたのは展覧会の終了間際でした。時間が確保できたことは本当にラッキーでした。私は川瀬巴水や吉田博は以前から好きで、展覧会には足しげく通っていました。周辺の新版画家の勉強を怠っていたと後悔しています。小原古邨についてまずは調べてみました。
美術館のある高砂公園
小原古邨は1877(明治10)年に金沢に生まれ、東京へ出て花鳥画で知られた鈴木華邨に師事します。当初は肉筆画を手掛けていました。
アーノスト・フェノロサから欧米へ輸出する木版画の下絵制作を勧められたことが古邨の人生を大きく変えます。また同じ頃、高度の彫・擦の技術を有していた版元の大黒屋松本平吉、通称:大平(だいへい)とも出会ったことも幸運でした。
大平は、明治初期に光線画(こうせんが)と呼ばれた明るい風景画で絶大な人気があった小林清親(こばやしきよちか)の作品を出版したことで、一躍名をとどろかせていました。古邨作品の素晴らしさも、光線画で培った大平の高度の彫・擦の技術がないと発展しなかったと思われます。
明治末期の1905年頃から大正前期の1920頃までが、古邨の制作の最初のピーク期と考えられます。現存していて展覧会に出展されている作品も、この時期に大平で制作された作品に集中しています。
美術館の建物
大平の商売は大正になって陰りを見せ始めます。1923(大正12)年の関東大震災で壊滅的な打撃を受けた後は、往年の商勢を取り戻すことはありませんでした。
新版画の版元としては現在も銀座で店を構える渡邊版画店(現:渡邊木版美術画舗)が、同じ頃に大平にとって代わるように版元として商勢を増していきます。渡邊版画店も関東大震災で多くの版木を焼失し大打撃を受けましたが、見事に復活しています。
古邨と渡邊版画店も少しずつ関係を深め、昭和以降は祥邨(しょうそん)と名を変えて本格的に出版するようになります。この頃の作品は国内にはあまり残されていませんが、欧米の美術館にはたくさんあります。渡邊版画店の手により、欧米向けに第二の制作のピークを迎えたのでしょう。
納得。
展覧会出展の大半を占める大平時代の作品は、江戸時代の円山派・四条派のような写実的な描き方です。色使いは控えめで、日本人好みの上質な印象を与えます。
【公式サイトの画像】 蓮に雀
【公式サイトの画像】 柳に油蝉
「蓮に雀」は展覧会チラシにも採用されており、可憐な蓮の花の背後から顔をのぞかせる花より小さい雀を配しているところがとても洒落ています。背後の無地空間はグラデーションのように夏のみずみずしい空気を表しています。「柳に油蝉」は、蝉の羽の光り方が見る角度によって変わります。絵・彫・擦三位一体となった高度な技術がうかがえる作品です。
【公式サイトの画像】 枝垂れ桜に尉鶲
古邨は特に鳥をつがいで描くことが目立ちます。愛情や子孫繁栄の思いを込めたのでしょうか。「枝垂れ桜に尉鶲」はつがいを華やげるように桜の花びらが配置されています。大きな余白空間に向けてまさに飛び立つのではと思える絶妙な構図も見ものです。
【公式サイトの画像】 左「月に桜と鳥」右「雪の柳に鳥」
「月に桜と鳥」は、月の光にかすかに輝く羽の艶が、まるで生きているように表現されています。「雪の柳に鳥」は、柳に積もる雪を神の地色をそのまま見せる白抜きで表現していると思われます。赤く染まった空、黒い鳥の羽との対比が絶妙です。
【公式サイトの画像】 左右とも「有明月に木菟」
「有明月に木菟」は、ミミズクが月夜に飛び立とうとする瞬間を描いています。羽の躍動感と闇夜の空気の質感表現に見とれてしまう作品です。
以上はすべて大平時代の作品です。渡邊版画店時代の作品は彩色がより明確になる傾向があります。渡邊版画店には川瀬巴水のように彩色が明確な画家が多く彫師・擦師がその傾向に慣れている、時代が下っているので好みが変わっている、欧米市場の嗜好をより重視した、どれが事実かはわかりませんが、様々な理由があって変化したのでしょう。
原安三郎
今回の展覧会が開催されたことには、もう一人の人物をお話しする必要があります。戦後に財界の重鎮として活躍した実業家・原安三郎(はらやすさぶろう)です。今回の出展作品はすべて原の旧蔵です。原は浮世絵コレクターとしても知られています。
展覧会図録の学芸員の解説によると、原がこれだけまとまって古邨作品を収集した経緯は不明なようです。可能性のある仮設として「昭和になって太平の経営が傾いたときに一括購入」をあげています。原が経営再建に携わった会社とのつながりで太平とは接点があった、原コレクションはきわめて擦りと保存の状態が良く太平が作品の見本帳として大切に保管していた、という背景を指摘しています。不自然ではない仮説だと感じます。
いずれにしろ原が入手後も大切に保存してきたからこそ、現在の美しさがあります。茅ヶ崎美術館のある高砂(たかすな)公園は、原の屋敷跡です。
大正・昭和の新版画がまた一つ好きになりました。時間を見つけて古邨以外の新たな新版画作家についても学びたいと、あらためて感じました。
こんなところがあります。
ここにしかない「美」があります。
これは版画なのか?
茅ヶ崎市美術館
開館20周年記念-版の美Ⅱ-
原安三郎コレクション 小原古邨展 -花と鳥のエデン-
【美術館による展覧会公式サイト】
主催:茅ヶ崎市文化・スポーツ振興財団
会期:2018年9月9日(日)~11月4日(日)
原則休館日:月曜日
入館(拝観)受付時間:10:00~17:30
※10/8までの前期展示、10/11以降の後期展示で全展示作品が入れ替えされます。
※この展覧会は、今後の他会場への巡回はありません。
※この展覧会は、非営利かつ私的使用目的でのみ、撮影禁止作品以外の会場内の写真撮影とWeb上への公開が可能です。ただしフラッシュ/三脚/自撮り棒/シャッター音は禁止です。
◆おすすめ交通機関◆
JR東海道線・相模線「茅ヶ崎」駅下車、南口から徒歩8分
JR東京駅から一般的なルートを利用した平常時の所要時間の目安:1時間20分
東京駅→JR東海道線→茅ヶ崎駅
【公式サイト】 アクセス案内
※この施設には無料の駐車場があります。
※道路の狭さ、渋滞と駐車場不足により、健常者のクルマによる訪問は非現実的です。
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