縁の深かった祖母の終末を看取ってくれた叔母がいる。
その事を感謝していて、月に一度は食事に誘う様にしている。
自分の娘とスープの冷めない距離で一人暮らしする叔母であるが、老いて次々と兄弟姉妹を見送り、心細さを口にすることが増えた。
「だんだん手が掛かるようになって困るな…と思っているに違いないよ」とは、まだ十分自立しているが、確実に衰えていっている自分について娘が思っているであろうことを語る彼女の弁だ。
私にそれを否定してもらいたい訳で、いつも「そんなこと無いよ。まだまだ頼りにされているし、心強く思っているよ」と必ず返しておく。
しかし一方で、最期を看取ってくれた祖母について、叔母が当時負担に思っていたのを知ることになる。
立ち場が入れ替わると、過去の記憶が投影されるものだ。
人は、自分が思ってきた通りに感じるものだから。
今日、おついたち。
日付が変わった頃、妙な夢を見た。
「で、おばあちゃんは今どこにいるの」と聞く私に「もう亡くなった」と答える叔母。
事実とは異なる奇妙な状況。
私は涙ぐみ叔母を見つめ、息苦しくなって目覚めた。
何の投影かまるで解らないが、お仏壇に灯をともし、お線香をたいてみるぐらいしかできなかった。