私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

すねる愛車⑤

2010-03-24 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
愛車が帰ってきた。

長い長い検査入院だった。

いろいろ調べてもらった結果、やはり、十分な回転をエンジンに与えてこなかったことで、エンジン内に炭がたまり、この排出が上手く出来ない関係でエンジンがかからない…という現象が起きていたという結論だ。

人間で言えば、内視鏡検査とポリペクトミーを施されて、帰って来た愛車は私の始動でもすぐにきちんとエンジン作動を始めるようになった。

しかし、言ってみれば生活習慣病なので、環境が改まらない限り再発は必至。
渋滞道路と、馬力の必要な山道ばかり走っていては、遠からずまた弁が詰まってしまうだろう。

何だか車が可哀そうになってしまう。
言葉にならないものだから車が
「私の性格に似合った生活環境があるところに送ってやってよ」
と訴えているような気さえする。

実際、彼岸連休の走行も、結局渋滞路と山道が主で高速で走ることは少なかった。

家に帰るとラゲッジスペースのドアが開かない。
中の荷物が引っ掛かって、開閉の邪魔をしていたのだが、こんなことも今まで一度も無かったことで、結局のところ「私を手放して!」という車の叫び声が聞こえているように思えてならないのだった。
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すねる愛車④

2010-03-06 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
二度目の愛車の入院は、思った通り長期間になった。

例によって現象がみられないというのだ。

二度目なので、現象がみられないという回答で再び引き取る勇気はない。
どこでエンジンがかからなくなるかわからないのだから。

ほぼ3年間、癖があるとは承知していても、問題なく気持ちよく走ってくれていた車なのだ。

その訴えを受け止めずして車を走らせることは、車にとっても不幸なことだ。

脳梗塞で言葉を失って「痒い」「痛い」という状況さえも伝えることが出来なかった父が、ただただ大きな声で叫ぶしか術がなかったように、車も、エンジン始動ができないという現象でしか訴える術をもたないのだとしたら。

何か、重大な出来事がシステム上で起きているかもしれないのに。

そして、ディーラーでは現象が現れず、私の運転時のみ現象が起こるのだとしたら、私はその車の運転から手を引いた方がよいのだ。きっと。

…と、何かしらひどく飛躍した思考をめぐらせながら、不便な生活を余儀なくされているのである。
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すねる愛車③

2010-03-02 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
エンジン始動不具合のチェックと車検を兼ねた車の整備は、土日をはさみ丸四日間で終了した。

始動不具合の再現は見られず、これといった不良個所も確認されなかったという。
ただ、エンジンにつながる箇所にかなりの汚れが見受けられ、それが原因となった吸気不良といったものが影響したのではないか…ということだった。

再発防止のために、時にはエンジンを3,000回転ぐらいさせる環境を与えてやって欲しいということだった。

確かに、走りを楽しむ傾向の強い車種の愛車は、高速走行において快適な印象だった。
馬力はないのだが、なめらかな走りが特長と感じてもいた。

そして、高速走行を含めて毎日20~30キロ走ることの当たり前だった愛車が、今年に入って街中の渋滞道路をちょろちょろすることが週に何度か…といった環境変化の下にいたのも確かなのだった。

私は、おっかなびっくり渋滞道路をふかしたり、あおったりしながら運転するようになった。
そんな運転、全然趣味じゃないのだけれど。
ひょっとして途中でストップしたら。
そしてエンジンがかからなかったら…なんて想像すると、アクセルを踏み、あおらずにはいられないのだ。

そして、やはりエンジンの始動が一回で決まらないという状況は続くのだった。

現象が再現されない…といわれているからには、整備工場に再持ち込みすることには勇気を要した。
なるべくふかして、まめに始動してやるけれども、再度エンストした際の想定をしつつ運転し続ける訳で、まるでホラー映画の恐怖シーンばかり連続して見続けているようなものだ。

胃にキリキリとした痛みが走り、炎症が起きているのを手にとるように感じることができた。

何故、こんな思いをして自分の車を運転しなくてはならないのか。
いい加減疲れ果て、四十九日の客人の送迎を何とかなし終えた翌日、再びエンジンはかからなくなった。

その日も雨が降っていた。
来客を迎えに行き「最近、運転が怖いのですよ…」と話しながら、途中ガソリンスタンドへ給油に寄り、もしもエンジンが止まったりした時の為に20リットルだけ給油をし、エンジンを始動しようとした時、スタータースイッチは空回りを続けた。

「エンジンかからないみたいですねぇ」とガソリンスタンドのスタッフが物慣れた様子でバッテリーチェッカーをセットしてみてくれたところ、バッテリーの状態はすっかり劣化していて早めの交換を必要とするレベルだった。

「ほんの二週間前にバッテリー交換したばかりなのだけど…」
と訴えると
「蓄電ではなく、電気をつくる部分の異常かもしれませんねぇ」
と、スタッフはやはり慣れた物言いである。

結局、ガソリンスタンドのバッテリーにコードをつないでもらってエンジンを始動し、ディーラーへ向かうことになった。

そして、雨降りの中、ディーラーまで、夕方の渋滞道路を運転しなくてはならなくなった。
ワイパーもライトも曇り止めエアコンも極力使いたくない。
いつエンジンが止まるかわからないのだから。

数キロの道のりを必死の思いで運転し、整備工場まで愛車を持ち込んだのだった。
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すねる愛車②

2010-03-01 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
ガソリンスタンドへ着くや否やバッテリーの交換を依頼する妙な客を、スタッフのおにーさんは商品の陳列されたコーナーに案内し、該当サイズのものと値段を提示する。

26,000円也のバッテリーだが、路上で突然ストップし再起動できなくなる恐怖を思えば、嫌も応もない。
直ぐに交換してもらい、安堵して出発するはずだった。

ところが、交換後、スタータースイッチをまわしても一度目はエンジンがかからなかった。
二度目にエンジンは動き始めたが、そもそも新品のバッテリーというものはフル充電の状態なのだろうか?
私の問いにガソリンスタンドのスタッフは即座に当然です…と頷くのであった。

しかし、今まで普通のことだった一度目のスタータースイッチでエンジン始動という状態に、翌日も、翌々日も至らない。

二十数年の我が運転歴の間に、バッテリー交換は幾度もしているけれども、バッテリー交換直後からエンジンがかかりにくいなんて状況は記憶にない。

バッテリー交換から二日目、作業をしてくれたガソリンスタンドに乗り付け「ちょっと見てもらいたいのですけど」と意気込んだが、バッテリーチェッカーはバッテリーの容量を正常値と計測し、エンジンは一度目で始動した。

「最近は、コンピュータ制御が色々からんでいますからね…バッテリーの所為ではなく、クラッチペダルのセンサーとかどこか他の不具合かも」と、穏やかに経験豊富な感じのスタッフが解説してくれる。

それでは…と、翌週に予定されていた車検を待たず、ディーラーの整備工場へ愛車を持ち込んだのだった。
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すねる愛車①

2010-02-27 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
愛車の調子が著しく不良である。

父の死を境に、乗車頻度が目に見えて低下した所為もあるだろうが、エンジン始動がスムーズになされないのだ。

ちょうど三年目の車検を前に、そろそろバッテリーを変えてやらなくては…とは思っていたのだが、ある日のこと、愛車は、橋の手前の緩やかなスロープに差し掛かる4車線道路で突然エンストした。

夕方のぼちぼち渋滞が始まる時刻、緩やかなスロープにかかった辺りで、未だマニュアル車に乗る私は、自分のクラッチ切り替えが遅きに失したのだと思ったのだが、回復の為にスタータースイッチをいくらまわしても一向にエンジンはかからない。

慌てた。
かつてない事態だ。

渋滞時刻、広い道路でたった一人、そんな状況に陥った経験はない。
何度スタータースイッチをまわしても、エンジンがかかる気配はない。

ニュートラルにクラッチを切り替え、後ろから押してみたり、アクセルやブレーキを踏んでみたり、じたばたとする私に助けの手は差し伸べられない。

後ろにつけたワンボックスカーのおじさんは、ハンドルを握ったまま不機嫌な顔でこちらを眺めているばかり。

とてもとても長い時間に感じられたのだが、ほんの1~2分の出来事であったのかもしれない。
何度目かのスターターの動作で、奇跡的にエンジンが回り始め、思いっきりアクセルを踏み込みつつローギアで橋を通過した。

原因は、バッテリーに違いない。
とにかくバッテリーを新しいものに交換しなくては!

自宅まで1~2キロの距離に来ていたので、利用することのままあるガソリンスタンドに直行。
「バッテリーを交換して欲しいのだけどっ!」
スタッフが駆けつけるや否や私は叫んだのだった。
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自浄能力

2010-01-25 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
かつての与党、自民党が長い長い政権与党たり得たのは、その党内に「君たち本当に同じ党員なの?」といぶからねばならないほどの、多彩な考え方の集団があって、その集団がたとえ政争と言われても、互いに牽制しあいながらバランスを保つ能力に長けていたからだと思う。

妙な政治家が一人や二人出てきても、党内で必ず反対勢力が勢いづいて、補完的役割を果たし、或る意味での自浄能力を発揮していたと思うのだ。

現在の与党には、その自浄能力が著しく欠如している。

このまま国もろとも沈没することになるのか?
軌道修正も、更生も効かないのか?
心中は嫌なのだけど。
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呆気なく安らかに

2010-01-15 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
父が逝ってしまった。

漸く落ち着いた生活環境を得て、もう1~2年あれこれと逸話を残してくれるに違いないと思っていたのだが。

この十数年間は、毎年のように新たな病を得ては驚異の回復をとげて見せ、その生命力で私を敬服させていた父だった。

最期は急変から10時間余り。
呆気ないものだった。

苦しまないようにとだけお願いした。
その願いを尊重して、精いっぱいの対応をしてくださったドクターに感謝をする。

呼吸が少しずつ浅くなり、血圧が低下して脈が弱くなり、眠るように静かな最期だった。

意識は無いように見えたけれど、多分声は聞こえていて、色々なことがわかっていたのだ。
最期の2時間ほど前には、両目から静かに涙がこぼれた。
「泣くな」と言いながらそっと涙をぬぐってやると、程なく力ない瞳になった。

最近は「お父さん」とではなく「○○くん」とまるで兄弟を呼ぶように話しかけていた私だったが、ICUの一つ向こうのベッドから聞こえてくる「お父さん」と別の患者さんに呼び掛ける声に満足したのかもしれなかった。

嵐のような目まぐるしい日々が訪れて過ぎ去った。
今日は本当の初七日。
父がそばにやって来て、静かに自分の居場所を確保したような気がする。
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福引

2008-12-29 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
年末だ。
あちこちで福引に臨んだ。

余りバイオリズムがよろしくないのか、今年は沢山「ハズレ」を引くことになった。
悔しがったりすることは少ないのだが、福引で自分の前に「当たり」を引き当てた人がいて、その後、自分がことごとく「ハズレ」を引く場合、かなりテンションが下がる。

人と比較されることを子どものころから終始嫌った私だが、それでも他者の「当たり」をみた後の「ハズレ」くじはキツイ。

人生でそんな巡り合わせが多いと…特にそういう巡り合わせで成長期を過ごしたりすると、素直な心は育まれにくいだろう。
厳しい不況下、ギリギリの生活を強いられている個人が、無闇にバブリーな様子の人を目にした時、決して正面切って語ることの出来ないような心境に陥るだろうと思ったり。

もっとも「外れたことで結局救われた…」なんてことが稀に起こるから、人生はドラマチックだったりする訳で、それはかすかな希望だが。

そんなことまで考える今年の福引週間だった。
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