私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

旅猫リポート

2018-11-14 | 2見る・読む・聴く
ずっと気になりながら、ようやく今日見てきた。

私以上に猫好きな友人は、観に行くことを嫌がった。
猫の悲しいストーリーが想像されて、センチメンタルになるのを避けたかったからだそうだ。

しかし、登場する猫は、大変よくできた賢い子であって、本当に哀しかったのは主人公の青年の方だった。
純粋な少年のままの心を持つ主人公の好青年。
その人生を、飼い猫のナナがリポートするストーリー。

随所で、涙があふれる。
泣くことになると、予想はしていたのだけれど。
優しい人たちに出会いながらも、哀しい青年の人生だった。

悲しくて哀しくて、泣きはらした目で運転しながら帰宅した。

眠りについて途中で目覚め、暗闇で目を凝らし、やっぱり哀しい。
首に、妙な痛みさえある。
いつものように、再び眠りにつくことは出来ず、パソコンを立ち上げてこれを書き始めた。

哀しい不幸な青年の人生は、しかし、温かい人たちと猫との出会いに恵まれて幸せでもあったと、大いに矛盾したことしか書けないのだけれど。

人生とは、矛盾にあふれたものなのかもしれない。
いや、矛盾に満ちたものこそ、人生だろうか。
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映画さざなみ

2018-02-01 | 2見る・読む・聴く
ふと思いつき、映画を見てきた。

「さざなみ」
45年連れ添った夫婦の、結婚45周年パーティーまでの一週間ほどを描いた映画。

二人に子供はおらず、45年間二人だけの暮らし。

結婚45年を前に、夫のかつての恋人が遺体で発見されたという報せをうけて、妻の心が波立つ。

男というのは、本当に無神経な生き物だ。
処世の術だけは心得ていて、しかし、さざ波の生じた妻の心の葛藤を思いやる大きさはない。
ある意味とっても子供っぽいのだ。

子育てをすることなく、二人だけで老いてきた人生に、表沙汰にされなかった過去の事実は、池に投じられた大きな大きな岩だ。
揺れ動く妻役、シャーロット・クランプリングの表情を追いながら涙が止まらなかった。
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「食べない人たち」という本

2015-05-17 | 2見る・読む・聴く
マキノ出版刊
「不食」実践者、お三方の共著。

久々に「そういう視点がありましたか」と「目から鱗」的な感想を抱いた本だった。

食に溺れている感のある私は、結局のところ暇人なのね…と深く自覚。
そして「バランスよくしっかり食べなくては健康は保てない」という、一種の脅迫観念にとらわれている自分を発見する。

食べざることで内臓が休み、心穏やかになるという側面があるということ。
食べなくても生きて行けると思えば、人の世は随分平和になるだろうという観測。

まだ、体の出来ていない子供には禁忌だろうという点に触れてない不足感は唯一あったけれども、読み終えて、心豊かになった実感がある。

断食と小食、不食はことなり、自分の体と対話しながら、ゆっくりと不食生活に目覚めればよい…という立ち位置はとても気に入り、何かしら静かに私の生活が変わってゆくような予感さえ覚えます。
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孤独のグルメ

2014-01-22 | 2見る・読む・聴く
テレビ東京系列の放送局がない地方都市で暮らす私が、「孤独のグルメ」という一風変わった仕立てのドラマを初めて見たのは、確か一昨年の年末か翌年始のことだった。

酒は飲めないが食べること大好き人間の私に、性別が違うというだけで、珍しく志向の一致を多く発見するドラマ。
松重豊氏演じる五郎さんの心のつぶやきで進行していく不思議なドラマは、その展開も音楽もどれひとつ違和感がなく好ましい。
地方局の編成では、年末年始の特番だったり、ウィークデーのどっぷり深夜が放送時間だったりするが、運よくその放映に出くわすと、一生懸命デジタル番組表を追っかけて録画をする。

適度に編集して、繰り返し見るのだが、見重ねているうちに、「グルメ」もさることながら「孤独」という感覚がひしひしと迫って来て切ない感覚にとらわれるのだ。

「独り」には慣れっこで、集団のなかで協調性を保ったり、家族と調子を合わせるといったことの方が苦手な私が、「孤独」という言葉にとらわれて、いささか追いつめられるような感覚に陥るのだ。
「孤独のグルメ」を見ているうちに。
特にSeason2のエピソードには、そうした追いこみ方をしてくるものが多かった。

原作の漫画はまだ読んだことがないのだが、存外哲学的なしつらえのものなのかもしれないと思う。

豪快に食べに食べ、瞬間の食の喜びに満たされながら、あふれ出る好ましい心のつぶやきは、抑えようもなく「孤独」を誘い、「孤独」の意味を問いかけてくる。

いささか辛くはあるのだけれど、とにかくお気に入りのドラマであることに変わりはない。
そう、Season4が待ち遠しいのである。
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大根役者はいい役者だって!?

2012-11-29 | 2見る・読む・聴く
「大根役者」は、ズバリ!「下手な役者」のことであって、「大根役者」がいい役者だなんてそんな話は聞いたことが無い。


しかし、先日の「ほんまでっかTV」で明石家さんま氏が力説しておられた。
「大根役者」はどんな風にも味付けされるよい役者!?だと。

「ほんまでっかTV」は、実によく出来た教養番組だと思っていたのだが、かの「大根役者はよい役者?」について訂正テロップさえ流れなかった。

弁舌さわやかな偉い先生方が幾人もおられたのに、どの先生もさんま氏の誤りを指摘なさらない。

放送まで十分時間があっただろうに、フジテレビサイドの編集・カットもない。

誰かに誤りを吹き込まれ、さんま氏はそれをずっと信じて来られているのだろうが、教養番組ではあり得ない誤釈をそのまま流しっぱなし…っていうのは。

知識人の先生方がエンターテーメントの流れにのまれて、誤りを見逃す対応力不足にもガッカリする。

嗚呼、またしても好ましいと思えるTV番組を失った。
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アメリカが好きかも

2010-10-22 | 2見る・読む・聴く
時代劇好きの私だが、気がつけば、最近、好んで見るのはアメリカのドラマばかりだ。

特にお気に入りなのが「ハーパーボーイズ」と「名探偵モンク」。

驚くほど奔放なアメリカ生活の中にも保たれている、良心と分別、そして家族愛。
ドロドロとしたしがらみの無さと、計算されぬいた台本から溢れるウィット。

初めは実にアメリカンなドラマの設定に、度肝を抜かれたのだが、今や「ハーパーボーイズ」の虜だ。

そして、デジタル契約に切り替えたケーブルテレビの、サービス視聴期間に見始め、当初の契約をグレードアップしてまで見続けているのが「名探偵モンク」。

主人公のモンクが潔癖な強迫神経症である所為ばかりではない、この探偵もの、おそろしくサッパリしている。
ドロドロした感情が渦巻いていないのが、探偵ドラマというよりコメディのよう。

そして、ここにも善良なアメリカ人の道徳観がきちんと息づいている。

冷静で、知性的な視点が底辺を支えているのが共通項だ。

豊かな大地と、新大陸に築かれて間もない歴史の故だろうか。

アメリカのポチでも良いかも…って思ってしまうニッポン人の私だ。
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ヒッチコック

2010-04-30 | 2見る・読む・聴く
NHKハイビジョンで放映中のヒッチコックにはまりかけている。

夜10:00にチャンネルを合わせると、結局最後までテレビの前から離れることが出来ず、見通すものだから、お風呂の時間と就寝時間がずるずると後に引き延ばされ、今宵も丑三つ時のパソコンチェクである。

時代劇にそのままありそうな、私腹をこやす悪代官様と、救いようのない××殿様の悪政?愚政??が繰り広げられるニュース番組などは見るに堪えず、かの人々の御顔が映し出されるや、すぐにチャンネルを変えるかスイッチを切りたくなる。

黄門様も必殺仕置人も現れる気配がまるで無い。

ヒッチコックの心理サスペンスは、約二時間の間にきっちりと収まっているのでよいのだが、世のサスペンス劇場はドタバタの末、正常細胞を蝕む癌のように、深く取り返しのつかない破壊を進めて実際にわれわれの命取りになるのだろう。

本当は、その経過を、根気強く見据えておくべきなのだとは思う。
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遅ればせながら「無縁社会」

2010-04-04 | 2見る・読む・聴く
かねて噂に聞いていたNHKドキュメント「無縁社会」を、今日、再放送とその反響についての追跡版と併せて観た。

ネーミングは私好みではない。
しかし、社会の明らかな実態だと思う。

日本社会を形作ってきた家の制度が崩壊した結果、半世紀かけて顕わになった現実だ。

長男に家を継がせることで脈々と引き継いできた家制度が壊されて、自由に息づくことが出来るようになった一方で、頼りない脆い個々人が数限りなく社会に息づくことになったという訳だ。

そのうち、世代の大半が当てはまってくるよ。

おひとりさまは言うまでもなく、結婚を維持し、子も孫もいたって「世話をかけたくない」「夫と同じ墓に入りたくない」といった正直な声を抑えようもなくあちこちで耳にするのだから。

家長制度の縛りの厳しい時代に戻してしまおうって人は少数派のはずだし、終身雇用に裏付けられた安定経済の基盤が復活する芽もない。

江戸時代は、封建制度のピラミッドの底辺で、その日暮らしの豊かな町人文化もあった。
食いつめて、悪事に走らざるを得ない人も多かったようだけれど。

長子でなかった次男坊、三男坊は、冷飯ぐらいで、生きる術を求めるのに苦労したわけだし、その自由な身の上に可能性が開けたりもした訳で。

ただ、社会の基盤として、現代社会の実態は、あまりにも危ういというのも確かな現実だよね。
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御家人斬九郎

2010-03-26 | 2見る・読む・聴く
時代劇チャンネルの、御家人斬九郎デジタルリマスター版を見るのが、目下私のささやかな楽しみである。

渡辺謙扮する松平斬九郎が、めっぽう強いのにも関わらず、情に厚い優しい男であるのがたまらぬ。

時代は明治維新前夜。

崩壊しかかった封建体制のもと、おかしな悪事が庶民の行き交う社会にもたくさん見受けられるのだ。
それを、斬九郎が、実に健全な正義感とめっぽうあたたかい気持ちでもって、ばっさばっさと斬ってくれるものだから、私はカタルシスを覚えさえする。

現代も多分、ひとつの時代が崩壊する前夜に位置するのだろうけれど、平成の松平斬九郎は現れないものだろうか。

ほぼ最終バージョンに入った放送。
若村麻由美演じる蔦吉姐さんの踊る手に、指輪がきらりと光る…というあり得ない修正漏れ箇所も、きっちり見つけて録画し満足。

デジタルリマスター版で、女姿で艶やかに踊る場面で、正面から指輪の映り込んだ画面はカットされていたようだけれど、若衆姿で踊る掌に光る指輪は、修正されないまま映像として残っていた。
ある種のお宝映像なのだろうが、修正をかけるたび、本来の演出からずれた作品になってゆくわけで、やはり大きなミスだろうと思う。
異なる衣装での指輪装着画面があるということは、指輪をはずさない演技はあるいは確信的だったのか、それとも、チェックが甘くならざるを得ないほどの、急ごしらえだったのか。

まぁいずれにしても、御家人斬九郎…傑出した時代劇であることに間違いないと思うのだった。
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講演会

2010-03-10 | 2見る・読む・聴く
講演会が好きである。
盛んに出かけていた時期があったのだが、最近はとんと御無沙汰だった。

久々に出かけたのは上野千鶴子センセーの講演会である。

墓参の帰り道、裏通りをそぞろ歩きしていると、ちょうどその講演会を主催された事務局が…。
入り口にでかでかと貼り出されたポスターを見逃さず、一も二もなくチケットを求めたのだった。

派手な宣伝もされていなかったと思うのだが、二週間前にはチケットを売り切ってしまわれたとか。
やはり上野先生の人気は並々ならぬということらしい。

実際、歯切れよく、ちょっとフェイントのかかったジョークをふんだんに交え、繊細かつ明解な講演会であった。

「おひとりさまの老後」以降のファンと、個性的社会学者としての活躍を以前から支持されていた層とが半々…むしろ以前から支持していらした人たち(先生曰くスジモノだそうだ)の方が多かった印象だ。

私のようなぼんやりタイプよりも、明確に目的意識をもっていらっしゃる様子がありありと見て取れる団塊世代の女性が多数派。
地方にも、威勢のよい女性の方々は結構いらっしゃる。

ちょっと目を見張り、かすかに嬉しい気分を味わった。
同調出来るかと言えば、やはり少し距離を置かざるを得ないのだけれど、はつらつとした女性を眺めるのは気持ちがよいものだ。

「おひとりさま」。
ひとくくりには語れないけれど、確実に増えていて、社会が無視できない存在となる生存の型だと思っている。
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