趣味の時間

最近、野鳥撮影が主になっています。その他の写真撮影や機材について。自転車もぼちぼち・・・

小中高校生の頃、教師から聞いた体験談 その2

2024年07月05日 05時00分00秒 | その他
にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へにほんブログ村<画像をクリックすると大きくなります>
↑クリックしてね

教師から聞いた体験談その2。

中学一二年生の時の担任は青学出身の英語教師K先生でした。

K先生は確か相模原近辺の農家のご出身だったような。農作業の手伝いで、冬の麦踏の話を何度か聞いた覚えがあります。

ご実家の近所だったのでしょう、やはり相模原からカローラに乗って毎日学校に通っていました。

私は英語が好きになれず勉強しませんでしたが、温厚な良い先生でした。

年齢は私の親と同じくらい、戦争中は小学生でした。当時小学生のお子さんがふたりくらいいたような・・・

先生の兄のおひとり、旧制中学から海軍の(おそらく甲種)予科練へ進まれた方がいて、頻繁にK先生へ手紙を書いて寄越したそうです。

予科練は、当時の青少年のあこがれであり非常に狭き門(戦争末期は搭乗員の大量養成が喫級の課題となってはいましたが)。

なかでも甲種は旧制中学卒程度以上ということで、大学や兵学校に難なく行けるほどの秀才が大勢いたそうです。

実際に予科練を卒業しても兵下士官、上手く出世しても下級士官止まり。。

当時海軍は英国海軍に範をとっていたので、士官と兵下士官では待遇の違いが大きく、事実毎日の食事さえ区別されていました(陸軍では区別なし)。

そんな中で忸怩たる思いを抱かれていたのでしょう、手紙では繰り返し軍であれその他であれ必ず上級学校へ進むよう努力することを説かれていたそうです。

軍であれば兵学校や士官学校、その他であれば大学やそれに類する専門性を有する学校ということですね。

大学やその他を卒業して軍(当時は当然国民皆兵)に入ったからといっても、もちろん士官になれるわけではありません(当然二等兵から)が、

士官になれる、なるための選択肢が広がるということです。

その海軍に行かれたお兄さんも、のちに神風特別攻撃隊員に指名され特攻戦死されたとのことです。

こういった胸の痛む思い出を淡々と話された姿に衝撃を憶えた記憶があります。

この話を繰り返し言い聞かされたことはありません、恐らくこの時一回だけだったと思いますが、内容が内容なので

半世紀経った今でも忘れずに憶えています。

先生はお元気なのだろうか・・もし御存命なら90を超えているはず。。

お声やお顔、体形まで今でも鮮明に蘇ってきます。



うちのあんにゃさん。7月3日で満5歳を迎えました。

































Av5.0 Tv1/25 ISO 6400


カメラ  Canon EOS R10
レンズ RF-S18-45mm F4.5-6.3 IS STM
画像設定  オート
ホワイトバランス   オート
撮影日  2024.07.02


にほんブログ村 写真ブログ デジタル写真へにほんブログ村<画像をクリックすると大きくなります>
↑クリックしてね
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« グラジオラス | トップ | カシワバアジサイ、オタフク... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事