久々の更新になりました。
最近毎日、1mmづつ眉毛が伸びていくマダムJudyでございます
長い長い1年が終わろうとしています。
ほんとにほんとに長かったです・・・
そんな今、やっと、ブログを書く気になりました。
年賀状を書き、今年最後の放射線を終え、そして最後の仕事を終えたとき、
突然、キタァ~
無気力と脱力。
突然、
《もう何もしたくない病》になってしまいました。
“よく1年間がんばったねー!!!!!”という自分へ言葉と同時に、
『もう、頑張れない・・・』
この言葉を吐いたとたん、へとへとになって動けなくなってしまった。
この数日間、最低限のことしかできませんでした。
息子の食事と、母の介護だけは手を抜けなくて。
それ以外、ごめんなさい、許して~~、で済ませた
今年1年毎日、目にしてきたものを全て、
一切見たくなくなって、
ただただ、目の前から全て手放したくなってしまった。
そう思ったら、『いらない物を捨てたくなる病』になって、
おかげでスッキリサッパリ大掃除はできました
特に、過去に執着しがちな物は、捨てまくりました。
色々なことが、うっとうしく感じて、
Judyは、年末、すっかり、相当なひねくれ者になってしまったのです
家でも、笑顔どころか、こんな顔したり、こんな顔になったり、こういう顔はひっそりだけど、その他、・・・こんな顔で、人がイヤがる顔をしまくり、リビングの真ん中で、ジィーーとしていました。
家の中にこんな人がひとりでもいると、どうしても家の空気が悪くなります。
夫は、私にあまり近づかないようになり、息子は時々、心配して話しかけてくれた。いい子です。
癌になってから、『過去、現在、未来』というこの3つに分けた自分の人生を考えることが多くなった。
今までの人生が、あの癌告知の瞬間で、確実に区切られてしまったのです。
時間がたてばたつほど、あの前の人生が遠い昔のような気さえする。
何度、この1年、『今』を大事に生きてい行こうと思ったことだろう。
これもまた、無理があったような・・・
しかし、未来とも折り合いがつかないし、過去にしがみつきそうになるわで、とりあえず、今と仲良くするしかないもんね。
癌になるまで、100才まで生きたいな、とか、80才位まで生きられればいいわ~とか、自分には起こらない非現実的な感じで、自分の死を考えていた。
しかし、もう違う。
確実に、死が身近になったし、考えざるを得なくなった。
現代の進んだ医療のお陰で癌は治る病気です。
でも死んでしまう可能性のある病気でもあるのです。
しょうがない、これは、事実なんだから。
手術も、抗ガン剤も、ホルモン療法も、放射線をしても、100%の完治は無いということをしっかりと受け入れなければならない。
そして、それを受け入れたとき、初めて私は、この先、どう生きようか?と、真剣に考えた。
今も考えている途中でもある。
しかもまだ、自分の死についての思いを完全に消化しきれていない。
当たり前かな。。。
しっかり向き合いたいと思っている。だから死生学を学び始めた。
しかし、この数日間、やっと今までと違う自分を受け入れることはできたように思う。
そうしたら、とても気が楽になった。
今までは、過去→今→未来という『時間の軸』と共に、つねに自分を成長させたい願望が強かった。
この3つが上手くつながっていることが、気持ちよく、満足感や達成感にもつながる。
自分が成長している、伸びている、前進していると認めることができるから。
しかし、それをいつも追い求めていると、常に、過去→未来に向かって、いつも前に進んでいなければならない、ということになる。
それは、『もっと、もっと・・・』になる。
では、いつになったら、ゴールの自分に満足できるのか?
もうそろそろ、『もう十分』でもいいのではないか?
『もう十分』な自分で生きたらいいのではないか?
生きたい、という欲求だけがあればいいのではないか?
そう思ったのです。
最後の診察のときに、先生に言われた。
「そろそろ、現実を受け入れるときだよ。
Judyさんは、きっと今まで目標を持って、それに向かってどんなことでもがんばって手に入れてきた人のような気がするけれど、
今までみたいな勢いでは、これからはやっていけないと思う。
それを理解しておかないと、今までは出来た自分と、今の思い通りにいかない自分の違いに愕然としたり、そのために落ち込むことが多くなるんじゃないかな。
頭ではわかっていると思うけれど、受け入れるというか、嫌な言い方かもしれないけれど、あきらめる、ということも必要なこともあるよ。
それはネガティブな言葉ではなくて、
よりよく生きるために、今までのやり方をあきらめると言ったらいいかな。」
まだ、何度かしか話したことがないのに、何でそんなに私のことわかるのぉ~!?と驚いた。
まさに、先生のおっしゃるとおりでなのでございます
ホルモン療法のせいか、理由もなく、精神的に落ちることが度々あった。
先生がおっしゃるには、そのせいもあるし、放射線の患者さんの30%が鬱になりやすいというデータが出たそう。
Judyの場合は、鬱というより、病名をつけるとすれば、お薬や治療にうまく適応することができず、さまざまな心身の症状があらわれてしまう『適応障害』というものだそうです。
これって雅子様と同じではないかしら~
お薬を頂くため、来月から、精神腫瘍科を勧められたので、興味もあるし受診することにした。
「その前に治ると思うけどね」と先生に言われましたが、とりあえず安心。
ほんと、あの先生、いい先生だわ~。放射線が終わっても会いに行きたい。
話しは戻るが、今のままの考え方や、
現実がどうあろうとも、そんなことには負けるもんかというような根性論的発想では、
無理があるということだ。
今までと同じようにがんばっても、時間と共に前進していけないかもしれない。
どんなに努力しても、自分が描いている未来の図には、全くならないこともあるかもしれない。
でも、“もう自分には十分に足りている”と思えば、今抱いている目標も、
『必死』に頑張るのではなく、『余裕』を持って楽しみながら取り組めるだろう。
しかし、Judyは、自分にあえて無理難題な課題を出して、それを辛い思いをしながら乗り越えることに喜びを感じるクセが大いにある。
ある程度の緊張やストレスを自分に与えることが好きで、それは、Judyの生きる底力になっている。
これは46年間の生き方だったし、それが「私らしさ」でもある。
しかも、いい意味にとらえようとしても、あきらめる、っていうのは大嫌いな言葉だ。
難しいわ~。
もう十分よ!と言いながら、自分をいじめる“一人SM女王さま”を目指すしかないなぁ~(笑)
来年は、余計なことで悩んだら、こう自分に聞いてみたい。
それは、今のあなたの人生に役に立つことなの?
今のあなたを幸せにしてくれるの?
あと、数時間で今年も終わる。
今、今年一年の自分を省みると、
ほんとうに、ほんとうに、様々な新しい自分に出会った。
毎日がチャレンジみたいな一年だったなあ。
アホみたいに、体を動かしたし
癌という事実に、必死で抵抗していたんでしょうね。
しょうがない、癌になっちゃったんだから。
そんな自分と仲良くしていかないと。
毎日が、生きるためのレッスンみたいだった。
命、
人間の尊さ、
素直、
愛、
感謝
を深く知ることができたと思います。
これだけでも、人間やってきてよかったんじゃない?
それは、Judy一人で得られたのではなく、Judyを支えてくれた様々な人たちを通して、与えられた大きな人生のギフトだと思っています。
ありがとうございました
しかし、もうこんな年は二度と味わいたくないわぁ~
Judyさまのあの大事な自慢のオッパイが片パイにさせられ、未だに左胸も腕もしびれて、それなのに抗ガン剤も8ヵ月近くも打たれて、ハゲになり、手足もしびれて、今もまだ足のしびれがひどくて、これもまだ何年もかかるかもしれないそうで、その上、ホルモン療法で、更年期障害みたいにさせられてイライラしたりして、それなのに、放射線で胸をヒリヒリにされて、胸の皮がひきつり左腕が上がりにくくなってしまって、すぐに疲れてしまうし、だるくなるし、ほんとにこの身体どうにかしてほしいぃ~~
ほんと、ほんと、最悪な1年だったわぁ~
ふぅ~
一年の最後に一気に愚痴りまくりました~
あーーやっと、最悪な今年が終わるぅ~~~!!!!!
2009年よ~さよなら~
永遠にさようなら~
今日は、とりとめもなくブツブツと長いブログになりました。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
来年は、明るくステキなブログになるよう、
マダムJudyさまは、
2010年、華やかに大胆に生きていこうと考えています。
それでは、よいお年をお迎えください。
Judyは、絶対に絶対に、なんとしても、よいお年を迎えようと思います
心より感謝を込めて
Love, Judy
最近毎日、1mmづつ眉毛が伸びていくマダムJudyでございます
長い長い1年が終わろうとしています。
ほんとにほんとに長かったです・・・
そんな今、やっと、ブログを書く気になりました。
年賀状を書き、今年最後の放射線を終え、そして最後の仕事を終えたとき、
突然、キタァ~
無気力と脱力。
突然、
《もう何もしたくない病》になってしまいました。
“よく1年間がんばったねー!!!!!”という自分へ言葉と同時に、
『もう、頑張れない・・・』
この言葉を吐いたとたん、へとへとになって動けなくなってしまった。
この数日間、最低限のことしかできませんでした。
息子の食事と、母の介護だけは手を抜けなくて。
それ以外、ごめんなさい、許して~~、で済ませた
今年1年毎日、目にしてきたものを全て、
一切見たくなくなって、
ただただ、目の前から全て手放したくなってしまった。
そう思ったら、『いらない物を捨てたくなる病』になって、
おかげでスッキリサッパリ大掃除はできました
特に、過去に執着しがちな物は、捨てまくりました。
色々なことが、うっとうしく感じて、
Judyは、年末、すっかり、相当なひねくれ者になってしまったのです
家でも、笑顔どころか、こんな顔したり、こんな顔になったり、こういう顔はひっそりだけど、その他、・・・こんな顔で、人がイヤがる顔をしまくり、リビングの真ん中で、ジィーーとしていました。
家の中にこんな人がひとりでもいると、どうしても家の空気が悪くなります。
夫は、私にあまり近づかないようになり、息子は時々、心配して話しかけてくれた。いい子です。
癌になってから、『過去、現在、未来』というこの3つに分けた自分の人生を考えることが多くなった。
今までの人生が、あの癌告知の瞬間で、確実に区切られてしまったのです。
時間がたてばたつほど、あの前の人生が遠い昔のような気さえする。
何度、この1年、『今』を大事に生きてい行こうと思ったことだろう。
これもまた、無理があったような・・・
しかし、未来とも折り合いがつかないし、過去にしがみつきそうになるわで、とりあえず、今と仲良くするしかないもんね。
癌になるまで、100才まで生きたいな、とか、80才位まで生きられればいいわ~とか、自分には起こらない非現実的な感じで、自分の死を考えていた。
しかし、もう違う。
確実に、死が身近になったし、考えざるを得なくなった。
現代の進んだ医療のお陰で癌は治る病気です。
でも死んでしまう可能性のある病気でもあるのです。
しょうがない、これは、事実なんだから。
手術も、抗ガン剤も、ホルモン療法も、放射線をしても、100%の完治は無いということをしっかりと受け入れなければならない。
そして、それを受け入れたとき、初めて私は、この先、どう生きようか?と、真剣に考えた。
今も考えている途中でもある。
しかもまだ、自分の死についての思いを完全に消化しきれていない。
当たり前かな。。。
しっかり向き合いたいと思っている。だから死生学を学び始めた。
しかし、この数日間、やっと今までと違う自分を受け入れることはできたように思う。
そうしたら、とても気が楽になった。
今までは、過去→今→未来という『時間の軸』と共に、つねに自分を成長させたい願望が強かった。
この3つが上手くつながっていることが、気持ちよく、満足感や達成感にもつながる。
自分が成長している、伸びている、前進していると認めることができるから。
しかし、それをいつも追い求めていると、常に、過去→未来に向かって、いつも前に進んでいなければならない、ということになる。
それは、『もっと、もっと・・・』になる。
では、いつになったら、ゴールの自分に満足できるのか?
もうそろそろ、『もう十分』でもいいのではないか?
『もう十分』な自分で生きたらいいのではないか?
生きたい、という欲求だけがあればいいのではないか?
そう思ったのです。
最後の診察のときに、先生に言われた。
「そろそろ、現実を受け入れるときだよ。
Judyさんは、きっと今まで目標を持って、それに向かってどんなことでもがんばって手に入れてきた人のような気がするけれど、
今までみたいな勢いでは、これからはやっていけないと思う。
それを理解しておかないと、今までは出来た自分と、今の思い通りにいかない自分の違いに愕然としたり、そのために落ち込むことが多くなるんじゃないかな。
頭ではわかっていると思うけれど、受け入れるというか、嫌な言い方かもしれないけれど、あきらめる、ということも必要なこともあるよ。
それはネガティブな言葉ではなくて、
よりよく生きるために、今までのやり方をあきらめると言ったらいいかな。」
まだ、何度かしか話したことがないのに、何でそんなに私のことわかるのぉ~!?と驚いた。
まさに、先生のおっしゃるとおりでなのでございます
ホルモン療法のせいか、理由もなく、精神的に落ちることが度々あった。
先生がおっしゃるには、そのせいもあるし、放射線の患者さんの30%が鬱になりやすいというデータが出たそう。
Judyの場合は、鬱というより、病名をつけるとすれば、お薬や治療にうまく適応することができず、さまざまな心身の症状があらわれてしまう『適応障害』というものだそうです。
これって雅子様と同じではないかしら~
お薬を頂くため、来月から、精神腫瘍科を勧められたので、興味もあるし受診することにした。
「その前に治ると思うけどね」と先生に言われましたが、とりあえず安心。
ほんと、あの先生、いい先生だわ~。放射線が終わっても会いに行きたい。
話しは戻るが、今のままの考え方や、
現実がどうあろうとも、そんなことには負けるもんかというような根性論的発想では、
無理があるということだ。
今までと同じようにがんばっても、時間と共に前進していけないかもしれない。
どんなに努力しても、自分が描いている未来の図には、全くならないこともあるかもしれない。
でも、“もう自分には十分に足りている”と思えば、今抱いている目標も、
『必死』に頑張るのではなく、『余裕』を持って楽しみながら取り組めるだろう。
しかし、Judyは、自分にあえて無理難題な課題を出して、それを辛い思いをしながら乗り越えることに喜びを感じるクセが大いにある。
ある程度の緊張やストレスを自分に与えることが好きで、それは、Judyの生きる底力になっている。
これは46年間の生き方だったし、それが「私らしさ」でもある。
しかも、いい意味にとらえようとしても、あきらめる、っていうのは大嫌いな言葉だ。
難しいわ~。
もう十分よ!と言いながら、自分をいじめる“一人SM女王さま”を目指すしかないなぁ~(笑)
来年は、余計なことで悩んだら、こう自分に聞いてみたい。
それは、今のあなたの人生に役に立つことなの?
今のあなたを幸せにしてくれるの?
あと、数時間で今年も終わる。
今、今年一年の自分を省みると、
ほんとうに、ほんとうに、様々な新しい自分に出会った。
毎日がチャレンジみたいな一年だったなあ。
アホみたいに、体を動かしたし
癌という事実に、必死で抵抗していたんでしょうね。
しょうがない、癌になっちゃったんだから。
そんな自分と仲良くしていかないと。
毎日が、生きるためのレッスンみたいだった。
命、
人間の尊さ、
素直、
愛、
感謝
を深く知ることができたと思います。
これだけでも、人間やってきてよかったんじゃない?
それは、Judy一人で得られたのではなく、Judyを支えてくれた様々な人たちを通して、与えられた大きな人生のギフトだと思っています。
ありがとうございました
しかし、もうこんな年は二度と味わいたくないわぁ~
Judyさまのあの大事な自慢のオッパイが片パイにさせられ、未だに左胸も腕もしびれて、それなのに抗ガン剤も8ヵ月近くも打たれて、ハゲになり、手足もしびれて、今もまだ足のしびれがひどくて、これもまだ何年もかかるかもしれないそうで、その上、ホルモン療法で、更年期障害みたいにさせられてイライラしたりして、それなのに、放射線で胸をヒリヒリにされて、胸の皮がひきつり左腕が上がりにくくなってしまって、すぐに疲れてしまうし、だるくなるし、ほんとにこの身体どうにかしてほしいぃ~~
ほんと、ほんと、最悪な1年だったわぁ~
ふぅ~
一年の最後に一気に愚痴りまくりました~
あーーやっと、最悪な今年が終わるぅ~~~!!!!!
2009年よ~さよなら~
永遠にさようなら~
今日は、とりとめもなくブツブツと長いブログになりました。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
来年は、明るくステキなブログになるよう、
マダムJudyさまは、
2010年、華やかに大胆に生きていこうと考えています。
それでは、よいお年をお迎えください。
Judyは、絶対に絶対に、なんとしても、よいお年を迎えようと思います
心より感謝を込めて
Love, Judy
今回のブログを読みながら、おおいにうなずかされました。わたしも全力でつっぱしてきた人生だと思います。
努力によって何でも手に入ると信じていたんだと思います。
でも、一年一年、年もとっていくし、癌になったのは体がいつのまにか悲鳴をあげていたんですね。
今年は無理せず、ストレスをためず、そしてできたら、病気になったからこそできる新しい分野にも楽しくチャレンジして過ごしたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
みんな同じ思いなんですね。
だけど、辛い辛い・・と嘆く一日より、笑顔の多い一日にしよう♪と意識して生活する方がずっと幸せを感じる人生だと思います。
お互い、今年はより楽しく暮らしていきましょうね。
今年もよろしくお願い致します★
そうですよね、病気になったからこそできること、ありますよね。病気になったからこそ、気付いたこともたくさんありますものね。
私も今年は、チャレンジYearです(笑)
Shizuさんは、放射線あとわずかですよね。
待合室でのちょっとした時間ですが、色々伺うことが出来て、とても参考になりました。
ありがとうございました。
あと少し頑張って下さいね。
お互い頑張りましょう!!