マダムJudyの Happy 気楽なSmile Life!

どんなことも、笑って吹き飛ばせ!強くしなやかに、キラキラ生きるためのエッセンス

充電期間終了/キュープラロスの会で希望の糸

2005-11-13 | 元気学
本日は、エリザベス キューブラ ロスのワークショップが主催する座談会に参加して参りました。11年前に、精神科医であるエリザベス キューブラ ロス博士の「死の瞬間」を読み、それ以来Judyが心から尊敬している人です。生きる上で起こる事は、偶然はなく、すべて必然であり、すべて肯定的な理由があると言います。降りかかる様々な困難を「学ぶための試練」だと受け止め、常に強く前向きに生きて行く彼女の生き方が、私は大変共感しておりました。
あの頃、大親友がもう治らないと宣告された癌に侵されていたため、少しでも彼女の気持ちを理解したくて、この本を手に取ったのですが、この本との出会いによって、ターミナルケアや死生学に強く興味を抱いた事も、今のこの仕事に至っている理由の一つです。
今日は、「悲しみから思い出に」(この本は9.11テロの被害者等の関係者に米国赤十字が無料で数千冊送りまして、今年の9月に日本でも出版されました)の著者であり、終末期の患者さんや家族のお世話や相談に応じるなどの活動を含めたホスピスのボランティアをしているKei Gilbertさんの来日講演がメインでしたが、アメリカでのホスピスの様子のスライドを見たり話を聞いて、とても懐かしかった。私も留学していたとき、ホスピスのボランティア活動に参加しておりました。日本も最近ようやく、ホスピスが増えてきましたが、10年前にはほとんどなかったため、親友は、日本で死ぬ事をあきらめ、アメリカへ帰りました。親友は、ホスピスのボランティアの人たちに支えられ、最期まで彼女らしい生活を家で過ごして亡くなりましたが、私は、あの時、いつか日本でターミナルケアーに携わる仕事をしようと、心に誓ったのです。今日は、今の仕事の原点に戻った気がしました。

9、11テロのとき、運良く生き残った人たちが最後に自分の愛する人に伝えたかった
言葉は、「I Love You」だったという話を聞きました。それを聞いて、やはり、最後に死ぬ前に、愛する人々に、「あなたが大好きだった」「ありがとう」そして「さようなら」とお別れを言えたら、幸せです。でも今の日本の医療の実態は、病院で様々な管につながれ、意識がうつろになりながら、いつのまにか死んでしまった、みたいな事がほとんどでしょう。私は、死を宣告されたら、絶対に家で好きな事をして、死にたい。死ぬ事も生きる事の一部です。あと3ヶ月病院で長く生きるより、余計な延命治療をせず限られた生きる時間を充実させたい。いい人生だったと、全てに感謝して死んで行きたい。

なんだか、熱く語ってしまいました。でも今日は、とてもリフレッシュしたので、まだ続きをお話ししたい気持ち。
残された人たちの悲しみの乗り越え方のお話もあったのですが、とても興味深い素敵なお話でした。素敵と言うのも、Keiさんがとても温かい素敵な人だったので、必ず悲しみは乗り越えられるということが伝わってきました。
私のクライアントには、笑顔になれない大きな理由のひとつに、愛する人との死別という方が多いのです。悲しむときには、だれかにすがりついて泣いてもいいし、思い切り悲しむ時間も大切なのです。でも誰にも助けを求めず、仕事や他の事に熱中したりして自分の気持ちを意図的にそこへ向けないようにする人たちもいます。そういうタイプの人たちは、悲しんでないように見えますが、心の中では、痛烈な悲しみと葛藤しています。そのタイプの人たちは、あの人は冷たい、等と言われる事が多いのですが、人それぞれ、悲しみの表現方法が違いますが、自分なりに悲しみを整理して行くことが一番大切です。整理する事で、次へ行けるからです。
日本人は、人前で悲しみ等の心の表現をすることが苦手な国民です。だから余計ひとりぼっちでその悲しみを抱えてしまいます。私のセラピーでで泣く人がたくさんいます。私もよくもらい泣きしておりますが、私はただ黙って、手を握ったり、背中をさすったりしながら、泣きたいだけ泣いてもらい、心が静まるのをひたすら待ちます。皆さん、泣きはらしたあと、共通しておっしゃる事は、こんなに人前で泣いたのは初めてであり、とても癒されて楽になったとおっしゃるのです。

今改めて思うと、私の役割は、クライアントが心の整理をして、次の希望を見つけるためのきっかけ作りをしているだけかもしれません。何だか,今日は話を聞きながら、私の仕事の行きつく先は、スマイルセラピーと言うより,笑顔療法と言う方がしっくりなじむなーと思ってしまいました。
Quality of deathの話を聞きながらも、「生きる」ためにいかに「希望」というものが大切かを実感した講演でした。

こうして充電期間として過ごしていたのも、色々なチャレンジをしてきた一年でしたが、達成感は獲得したものの、Judyはどこか、その先の希望というか目標を少し見失っていたと思います。ようやく、次なる『希望』の糸をつかんだ気がします。
Judyの求めている美しさとは、ほんとはね、ボンキュッボンやお肌のプリプリ感なども大事なんですが,そういった表面的な見た目の美しさだけではない、生きるということの意味で、それは壮絶で、かつそこに本物の生きる姿勢の美しさをしっかりと獲得するところまで、とことん行きつかないと、美の追求としては、目標達成にならないかもしれません。
おしゃれも大好きなのですが、今思うのは、この世に人として生まれ美しく進化していきたいJudyの美の追求と言うのは、自分の夢をひとつひとつ獲得しつつ、自己評価が高まる事によって、自信が生まれ、それが美しさのオーラを作ってくれる気がしています。
なんだか、明日が楽しみになってきました。
今、Judyをマンガにしたら、希望の星が目の中に、キラリと輝いている事でしょう。

そう言えば、また今日も、ウサギの絵を描いてしまいました。
と、いうのも、このような勉強の場でお話を聞いているとき、いつのまにか資料の裏の白紙の部分に、ウサギのイラストを書いてしまうのです。知らない間に、手が動いているのです。
なんでウサギなんだろうなー
今日は、見つめ合っているウサギのカップルと、サタデーナイトフィーバーに出てくるジョントラボルタの格好をして踊っているウサギと、ハート柄のビキニの水着を着てフィーバーしているウサギと、無表情で何も感じられないウサギと、落ち込んでしょぼんとしているウサギの絵を描いてしまいました。これ、なんだろねー。自分でもわからない。ウサギのイラストもJudyが生きる上で必然なのだろうか。私も、中村うさぎに対抗し、ラビットJudyのペンネームで、うさぎ専門絵本作家としてデビューするか。

いつものごとく話が脱線しましたが、真面目な話としては、Judyは、やはりですねー、在宅やホスピスなどの人々の最期の舞台にて、自分の力をしっかりと発揮できるようになることが夢であり、笑顔で人生に感謝して死んで行くためのお手伝いをしたいと思います。

今日の会は、偶然数日前に新聞で見かけ、心になんだか妙に引っかかり,どうしても私のどこかで、Judyくん!絶対行くべき!!とリピートしてささやくため、自分の直感を信じ、夕方から子供を預けてイソイソと出かけたのですが、
キューブラロスの言う通り、本日の会は、私には「必然だったのだなー」と思います。
親友が亡くなって、10年目。子供が生まれて10年目。ここで一区切り、更にチャレンジです。

もう充電期間は終わりにしましょう!!たっぷり今日で心身共に充電した気がする。
でも、来週の木曜まで、夫がいないからなあ~
それも、もったいないので、まあ、なあんとなーく気楽な暮らしをしながらも、まずは明日から活動開始です!




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