昨日、私が金木犀をアップしたコメント欄にブロ友さんが、
「一昨年は剪定時期間違えまして、花がほとんど咲きませんでしたが、
昨年はきちっとやったので今、庭でいいい香りを放っています。」
と書いてくださいました。
読みながら、剪定(刈り込み)が大事だということが聖書にもあることを思いだし、
今日はそれをご紹介しようと思います。
実は先日、ブドウの画像を撮ったのですが、使うとところがなくて
そのまま置いてあったのですが、今日、使えます。
無駄はないなあ。
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がその枝を取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
(ヨハネ15-1~2)
「我が子よ。
主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ
受け入れるすべての子に
むちを加えられるからである。」
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、後になると、
これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
(ヘブル12-5、6、11、12)