スイミングスクールに通い始め、訪問介護先でもその話を広げております。
沖縄出身で「かなづち」は案外話しを盛り上げます。
「え? あんた、泳げなかったの。」
びっくりしたように、90歳の利用者さんは仰いました。この台詞、時々聞いております。沖縄出身だとどこでも言って歩くからです。今のように沖縄ブームでない頃からそれは同じです。今まで気にもせず、むしろそれを言わせて遊んでいる部分がありました。
「海は近くなかったの?」と聞かれて、「いやあ、それが微妙でして、うちは小高い場所にある村でして、前に海は見えておりますが、歩いて行くにはちょっと遠いというような。」と答えました。すると、利用者さんは水を得た魚のように話し始めました。
「私のところは目の前が海だったよ。2歳の時から泳いでいると親が言ったけどね。
子どもたちだけで泳いだけど危ないことなんてなかったよ。
夜は泳ぐなと言われていたけど、親の目を盗んで泳ぎに行ったよ。お転婆だったからねえ。泳いではいけない日をちゃんと親に教わっていたからね。
雲の流れを見て、『今日は海が荒れるから駄目だよ。』それから、引き潮、満ち潮、みんな親から教わったよ。あの頃は男の子、女の子、関係なしに服を脱いでパンツ一枚で泳いだよ。誰も悪さする人なんていなかったよ。」
そして、ため息を吐かれてから「今は、変わったねえ。ニュースを見てもいいことないよ。」としみじみ仰いました。
お話を聞きながら、思い出したことがありました。
私が集っている吉祥寺集会でのメッセージで聞いたことがあります。
メッセンジャーは奄美大島の出身ですが、兄弟の中で男は3人で彼はその真ん中だったそうです。お兄さんは秀才で勉強が良く出来ました。
弟さんは勉強は得意ではなかったのですが、彼は魚捕りの名人でした。小船に乗って魚捕りに行くわけですが、彼には魚のいるところ、魚の捕れる距離がわかるようで、村の大人も全く敵わなかったそうです。
そして、魚捕りに行く大人が先を競って、彼を連れて行きたがって呼びに来たそうです。
お父さんはそれを黙ってみていらっしゃったようですけど。
危なくない話では、考えると、いえ、考えなくてもですね。昔はうちも、また、村の家、何処でも鍵を掛けて寝る家はありませんでした。
安心にお金のかからない時代でした。
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