ブログ やさしい雨が降る

片山日出雄さんのこと・その10

片山日出雄大尉の遺書を数回にわたって掲載いたします。
文章は「百万人の福音2006年8月号」より転記しています。
今回を含めてあと、3回になります。

 

片山大尉遺書③

 

ある朝、豪州の従軍牧師が親切に訪ねてくれました。それがクラーク大尉でした。柔和そのもののような人で私の愛する父に会ったような気がしました。驚いたことに私が東京外語時代講義を聴いたカニングハム女史は彼の旧友だったのです。一九四一年一月に彼女がくれたポケット聖書を私は常に持っていました。その扉に彼女はキリストのことばを書いてくれました。

「汝心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」  (ヨハネ一四章一)

クラーク大尉は旧友の筆跡を見てうれしそうでした。彼は私の求めに応じ、次の聖句を贈ってくれました。

「心を強くしかつ勇め、汝の凡て往くところにて汝の神エホバ共に在せば、懼るななかれ、慄くなかれ。」              (ヨシュア記一章九)

別れる時、彼は私のために祈ってくれました。福音を熱望する我々の熱意に動かされ、彼は親切にも、日曜を除いて毎日、我々のバイブル・クラスを訪ねようと約束してくださいました。

焼けつくような熱帯の下で、牧師は毎日訪ねて来られ、マタイ伝を講義してくれました。私たちは、毎日ワクワクする思いで牧師の来訪を待ちました。みんな彼の笑顔を見るだけで慰められました。
イースターがやってきました。これは地上での多年にわたる戦争が終わって最初のイースターでした。牧師が朗読してくださったルカ伝二十四章は、あたかも人類の永遠の希望を約束するように私の心に深い感銘を与えました。
イースターの朝、私は濠軍司令部で戦犯者名簿作っておりましたが、ちょうどその時、幸いにもメルボルン放送がイースターの荘厳な礼拝の模様を伝えてまいりました。私は眼を閉じ、静かにそれを聞きました。

説教の後、賛美歌「主よ、みもとに近づかん」の独唱がありました。

渇ける魂はその瞬間いやされ、心の中でともすれば衰えがちになる復活の意識が再び私をよみがえらせるのを感じました。

数日の後、日本の妻から待ちに待っていた手紙を受け取りました。

「日出雄さま 日夜、貴方のお帰りをお祈り申し上げております。(中略)私は御自身の潔白を証されることを信じておりますが、悪条件に負けないで最後まで戦ってくださいませ。貴方は正直な方ですから、他人をあまり信用なさいませんように。貴方はかけがえのない方です。私のために強く戦ってくださいますよう祈っております。」

これを見て、眼は涙で一杯になりました。私は彼女に対して忠実だったでしょうか。私のなしたことは彼女の願いに反することではなかったでしょうか。世間の眼から見れば、私の行為は大ばか者に見えたかもしれません。しかし、

「神はこの世の賢をかえて愚者となし、神にありて愚なる者を賢者となし給う。そして、神にありて弱き者は人よりも強いのです」

「われら生きるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬるのです。ですから生きるも死ぬるも我等は主のものであります」。

彼女の悲しみを考えると心も沈みがちとなりますが、この聖書の教えは落胆した心を励まし、立ち上がる力を与えてくれました。

クラーク大尉の援助により、私たちはラバウルに発つ前日までにマタイ伝を通読いたしました。
航海中も牧師は我々と聖書を読んでくださいました。今度は第Ⅰテモテを私たちのために選んでくださいました。
牧師は徹頭徹尾、よきサマリヤ人でした。ラバウルの港で、牧師は私たちが見えなくなるまで、船の看板で右手を振りながら立っておられました。

             続く

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