日本万国博覧会開催・70年大阪万博
下記は、サビの部分なら今でも歌えるぐらい
世界の国からこんにちは 三波春夫
黒ネコのタンゴ
ザ・ドリフターズ『ドリフのズンドコ節』
が歌われていた時代
マンガの本は古本屋さんで売っては購入のサイクル
卵は玉子屋さんパックなんて無かった
天ぷらは天ぷら屋さん
お菓子は駄菓子屋さん
タバコはタバコ屋さん
お酒は酒屋さん
単純な事かも知れませんが
それらが当たり前の時代
チリ紙交換のリヤカーが来ていた覚えが
(古新聞を天秤棒で計り目方によりチリ紙と交換)
わらび餅にチャルメラ等、行商の方が普通に街を練り歩き
賑やかな通りにはカラオケの無い時代
飲み屋さんからは軍歌を高らかに歌う声
流しの方がギターを鳴らす音
今から思えば戦後日本の高度成長期
三輪のトラックに乗った記憶もある時代
当時は白黒からカラーテレビへと徐々に入れ替わり
電話は一家に一台も無い時代
調べると家庭固定電話の普及率30%切っていたらしいです
まだカップ麺も無かった、はず
転職できるのは40歳が限度と思っていたので
最後の転職と考えていた
40歳の少し前に本当に自分が行いたい仕事は
何なんだと自問自答
本気で考えたら考える程、分からず
出来る出来ないは考えず
ちょっとでも思いついた職業を書いてみると
パイロット 大工さん等々、A4用紙3枚が、いっぱいになった
後は消去法だ実際できない事や好き嫌いを自分で見つめ直し消していくと
最後に残ったのが、なんと飴細工
私自身、夢にも見た事が無い、まさかの飴細工師だったのです
自分の事は自分が一番わかっていると言う方も居ますが
私の場合、自分の心底は、それまで全く分かっていませんでした