私は「産めよ増やせよ・お国のためだ」と言われた時代からの、5人兄弟の末っ子。
親父は56歳、母は40歳。さいごの頑張りみたいなもので、両親の若い頃は皆目判らない。
これは私だけのことではなく、子供にとって親のことは判っていない。
もう少しつめてみれば、親も実はよくわかっていないところから始まっている。
結婚はわからないもの同士が、わずかな接点で結びつき、その小さな根を巨木に育てる根にしてゆくことなのであろう。
子供にとって最初の異性意識が、両親だと言われますが、男の子にとって父親は、目標であったり競争相手であったり、ときには憎しみの対象にもなってしまう。
つまり、男対男の関係だ。
女性の場合は、母親が女対女の関係になるのであろうか。
では、男の子にとって母親を「異性」として意識することがあったのか、あったとしたら何時ごろだったのか。
父親から「お母さんの若い頃の写真だ」と見せられたのは、小6のときだった。
どうしてそおなったのかは判らないが、ただただ面食らい内心「お母さんて若くて綺麗だったんだ」とおもった。
父もこの時代の母を知らないはずだ。この写真を見てコヤコヤしていたかもしれぬ。
写真裏には、父の筆による「大正15年・小学校補習科教員時代 21歳」とあるる
上記したように、私は晩年の子供で、物心ついた頃は母は50代だが、鼻ったれ悪がきのカーチャン連の中で毅然とし美しく、一目置かれていた存在だった。
「おふくろは、イイ女だったんだよナーー」
と、お茶を入れてもらいながらいえるようになったのは、私が50歳代。
親父の気持ちが、チョットわかるようになってからかもしれない。
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