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光源氏23歳--右大臣家の繁栄の始まり
翌年、源氏殿が23歳。いまは桐壺院になられていた父君の病状が10月になるとさらに思わしくなくなりました。
朱雀帝への遺言として、源氏殿を補佐役に治世するようにと固く申されました。
源氏殿には東宮(源氏の子供だか)をくれぐれもたのむと・・。院の崩御のあと、後宮は大きく入れ替わり、藤壺の中宮さまもお里の三条の屋敷にお移りになりました。
それ以後は、弘徽殿の皇太后の取り巻きと、右大臣家の栄華の始まりでした。
ということは我が左大臣家の権力が右大臣家に移ること。となれば、光源氏殿に積年の嫉妬があった弘徽殿が黙っているわけは無い。
私は妻が右大臣家なので問題はありませんが、内心は面白くなく政務もおろそかになっていきました。
翌年、源氏殿が23歳。いまは桐壺院になられていた父君の病状が10月になるとさらに思わしくなくなりました。
朱雀帝への遺言として、源氏殿を補佐役に治世するようにと固く申されました。
源氏殿には東宮(源氏の子供だか)をくれぐれもたのむと・・。院の崩御のあと、後宮は大きく入れ替わり、藤壺の中宮さまもお里の三条の屋敷にお移りになりました。
それ以後は、弘徽殿の皇太后の取り巻きと、右大臣家の栄華の始まりでした。
ということは我が左大臣家の権力が右大臣家に移ること。となれば、光源氏殿に積年の嫉妬があった弘徽殿が黙っているわけは無い。
私は妻が右大臣家なので問題はありませんが、内心は面白くなく政務もおろそかになっていきました。
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