信州の旅、特に松本市から安曇野市にかけて、アルプスを背景にした道祖神の石碑は絵になる。
明治時代までは、東日本一帯にあったものです。
当時、外国人が最も観光に訪れた、日光街道→日光東照宮 沿線では、恥ずかしきしろもの、文明開化の御世にそぐわないと、撤去されていきました。
当時は、お上のご意向は絶対ですから、いつの間にか、各地の道祖神の石碑が消えていったことでしょう。
近代彫刻家オシップ・ザッキンは、
抱き合ったり・キスをしていたり、中には下部を探りあったりしている、男女の双体神--道祖神を見て大感激
「芸術の不毛といわれる江戸時代に、辺土ともいうべき信濃なる山国に、スポンサーもなく、農民の支えだけで生まれた心の形だ。
愛のかたちを簡潔にしかも美しく石にきざみこんでいる。
私は無限の親しみと驚きをかんじる」
というような事を書いています。
「福の神」の歌っていた 御まら様 は、ずばり男根のこと。
今でも、道祖神祭りに、ご立派な木彫が並び、
かくありたいものと、ニヤニヤ。
明治時代までは、東日本一帯にあったものです。
当時、外国人が最も観光に訪れた、日光街道→日光東照宮 沿線では、恥ずかしきしろもの、文明開化の御世にそぐわないと、撤去されていきました。
当時は、お上のご意向は絶対ですから、いつの間にか、各地の道祖神の石碑が消えていったことでしょう。
近代彫刻家オシップ・ザッキンは、
抱き合ったり・キスをしていたり、中には下部を探りあったりしている、男女の双体神--道祖神を見て大感激
「芸術の不毛といわれる江戸時代に、辺土ともいうべき信濃なる山国に、スポンサーもなく、農民の支えだけで生まれた心の形だ。
愛のかたちを簡潔にしかも美しく石にきざみこんでいる。
私は無限の親しみと驚きをかんじる」
というような事を書いています。
「福の神」の歌っていた 御まら様 は、ずばり男根のこと。
今でも、道祖神祭りに、ご立派な木彫が並び、
かくありたいものと、ニヤニヤ。
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