大げさなタイトルだけど 別に皆さんに迷惑かけたわけでもないのです。
尼になった姉の話の続きをちょこっと(長いかも)
姉は自由人というより自分の感性(個性?)に忠実に生きていくのです。
姉の口ぐせ?「女性も男性も同等 女性も自立 男性に頼っていてはだめだ」
昭和40年~50年代ですからまだまだ夫の言いなりに生活していく妻は
多かったはずです。(まーあ 私が良い例ですけどね(-_-;))
学校を出て社会人になった姉の周りには やはり同じ思想・見解を持った人々が
集まって夜中まで談義に明け暮れていました。
その頃は学生運動の影はどこへやら 世間も静かになっていましたが
若者の間では 文学はもちろん 政治 環境等 語りつくせない話題は多かったのでしょう。
私は 姉のいるこの街に出てきて 服飾学校へ通ってました。
学校 アルバイトの繰り返しで 姉に会うことも少なくなってきましたが
全く違う生活でした。
私たち姉妹は 外見も性格も全く正反対で 周りから「本当に姉妹?」必ず言われました。
姉は料理はするんでしょうが(どの程度かは?)三角おにぎりはできません
いつもまーるい団子(笑)編み物も縫物もできないと思います。
よく「どちらがもらわれてきたんだろう?」思ってましたが(笑)
普通の姉妹ではないので 私はお姉ちゃんと呼んだこともありません。
一緒に旅行に行ったこともないけど お酒は一緒に飲んだことはあります
これは二人とも父の血を受け継いだのか ほとんど酔いません(-_-;)
これが姉妹の共通点? 笑えます!。
私の結婚の数年後 姉も結婚 一女を産みました。
子供ができても 他人の目を気にすることなく 姉の生活スタイルは変わりませんでした。
人に惑わされることなく 自分自身こうあるべきという信念は変わらなかったでしょうね。
自分の好きな生き方 (変わった人 と他人は言う)
例えば 昔の行商人の人が荷物を入れて押して歩いていたものを探してきて
(竹で編んだかごに車輪がついている(今のショピングカートみたいなもの))
子供の乳母車として娘を入れて街中をカッポしてた。。
(普通に乳母車を買った方が安いんでないの、と凡人の私は思う)みんなが振り返ってましたけどね。
すべてが個性的 しゃれた言い方をすればレトロ調(笑)
環境問題 無農薬野菜 食生活 会うたびうるさく説明されました。
白砂糖 化学調味料 粉末だしの元 これだめ×
わが夫 これすべて大好き ((-_-;))交わることのない姉と私たち夫婦
姉は家族とともに実家近くに戻り 古民家を借りて住居を構えました。
そして染色の道へと進んだのです。
すでに京都で着物にデザイン・染めをしていた兄嫁とともに新たに工房を設けて
本格的に始め 姉たちが染め 母や知り合いが縫製し 販売してました。
ここで 少しだけ共通点 それは「布遊び」 私は洋裁 姉は染色
やはり姉たちの周りには 人が集まってきます。
同業者はもちろん 人づてに聞いて 家出少女や少年が工房に来るのです。
姉たちは 何も言うことなく 好きなだけ工房に寝泊まりさすのです。
そして 彼女たちは自分自身納得したら 出ていきます。
姉と共通する何かを感じるのかもしれません。。染め物に興味を持つ子も居れば
何気に遊んだ染め物に自分の才能を見つける子もいるでしょう。
個展等で友達の輪が広がる姉たちにはどこに行っても 生きて行けるようです。
ある雑誌に載ったことも 新聞に載ったこともあるけど
そのたびに 私のスタイルではない。。と嫌っていましたっけ。
イギリスに展示即売に行くとき 空港と違う方向のバスに乗って
危うく飛行機に乗りそこねるとこだったと 後で聞かされましたが
「あんたらしいわ、、」っておもいましたわ。
私といえば 主人の大けがの手術がきっかけで 働きに出ました。
それから30年退職するまで ミシンを出すことなかったのです。