おかんの姉ちゃんのよしえちゃんが来て、長い間物置と化していた応接間の掃除をしていた。
ので、手伝った。
応接間には、私が4歳の時に亡くなってしまった、じいちゃんの物が沢山置いてある。
じいちゃんはとっても賢かったらしい。
床の間には、文部大臣から頂いた巨大な表彰状と、勲章がある。
昔堅気の、頑固な国語の先生だった。
私が臨時講師の申し込みに、各市町の教育委員会を回った時も、
お偉いさんがみんなじいちゃんの教え子だったりして恐縮した。
じいちゃんはすごい人だったらしい、とその時実感したっけ。
壁には一面、じいちゃんの集めた膨大な数の本があって、
戸棚や引き出しの中には、古い古い物が沢山あった。
何でも鑑定団を呼びたい、と心から思った。
超マイナーな話だけど、西尾の今はすたれたミカの、オープンを知らせるちらしとかもあった。
知ってる人は知っている。
「巨大ショッピングセンターついにオープン!」
とか書いてあって、笑った。
おもしろくて、掃除どころではなくなっちゃったんだけど、
その中でも特に「いいもの」を見つけてしまった。
じいちゃんの、手帳。
何十年分もの手帳には、1日も欠かすことなく、日記が綴られていた。
1976年からは、初の内孫である私のことも書いてあった。
じいちゃんは、無口だったし、気難しくてよく怒った。
でも私はきっと、とてもかわいがってもらった、と思う。
ある日、おかんがじいちゃんの部屋を通りかかったら、なんと幼い私はじいちゃんの頭に石鹸をつけて、泡立てていたらしい。
床屋さんごっこだと思われる。
おかんは度肝を抜かれて、大慌てで謝り、大騒ぎだったらしい。
それでも、にこにこして床屋さんごっこをする私を叱りもせず、
じいちゃんは黙って読書をしていたらしい。
なんてでかい人だろうか(笑)。
孫とはそんなパワーを持っているというのか。
いや、それにしても、そこは怒っていいところだろうに。
日記には、等身大のじいちゃんがいた。
(ほとんどは、大好きだった趣味の盆栽や庭いじりのことだったけど)
家族の愚痴や文句も多大にあったので、
私の判断により、誰にも見せずに私がしまうことにした。
私だから、客観的に見れるんだろうし。
親父やおかん、おばさんたちが読んだら、気分を害することもあるだろうし。
今更、じいちゃんを悪者にしてもしょうがない。
私が生まれてからは、じいちゃんの体調は芳しくなかった。
じいちゃんの、病への恐怖や不安が綴られていた。
頑固なじいちゃんは、こんな気持ちをきっと誰にも話せずに死んでいったんだろう。
大丈夫だよ、と思った。
私がちゃんと読んであげる、と思った。
じいちゃんが死んですぐ、私はじいちゃんに会っている。
後にも先にも、幽霊らしきものを見たのはあの時だけ。
じいちゃんは、浴衣を着ていて、
「一緒に風呂に入ろう」
と言った。
いや、正確には、口は動いてなかった。
そしてお風呂で振り向いた時には、もうそこにじいちゃんはいなかった。
日記の中に、私の名前が沢山出てくるのが嬉しかった。
チビ(香)、チビ子、と書いてあるのが嬉しかった。
達筆すぎて解読不可能な部分がほとんどだけどさ、
大事にしまっておいてあげるからね。
あと、私が生まれる前の日記は読むのやめとくからさ。
じいちゃん、そっちはどうですか?